日本的死刑論

渡辺ヤスヒロ



 2020年の話であるが、ある殺人事件の犯人が裁判で死刑を求刑されていたが無期懲役が出たというニュースに対して色んな意見がネットで出た。

 6人も惨殺しておいて死刑にしないなんて!と言う意見にも頭おかしいから死刑じゃなくて無期ねと言う意見にも今の司法制度で出た結果であれば反対はないのだが、やはり納得出来ない人はいるだろう。
殺人が結果として死なせてしまい、殺意が無かったという事件と社会的に無差別殺人を計画して実行した事件では同じ罪とは思えず出た判決が同じになっては納得出来ない。
しかしこれは現在の司法制度、言い換えれば死刑制度に問題があるからではないかと思う。

 つまり最高刑罰としての死刑であり、死刑か否かになってしまっているのが問題なのだ。死刑以上の刑罰が無いのが問題なのである。
ではどうすれば良いのだろう。つまり死刑に量刑があれば被害者遺族も社会的にもその刑罰の大きさを納得し易いのではないかと言えるのです。

 振り返って見れば幸い日本には古来死刑制度には事欠かない国で、何かあったらすぐ死刑なので刑罰の種類によって死刑の種類も多かったのです。死刑制度をある程度そこから復活させるのはどうでしょうか。
 そう。日本シリーズにおいて現行存在するダルビッシュの、UだけでなくVとWも出てきて先発でもしようものなら、中日はとても日本一になれなかったろう。

 例を挙げると、情状酌量の余地のある死刑囚は絞首刑とか名誉の切腹。極悪犯には市中引き回しの上、打首獄門して晒し首とか。時代劇で馴染みもありますし、賛成者も多い気がします。
「こんな社会、死んでもいいから死刑狙いで人殺しでもしようと思ったけど、打ち首獄門は嫌だなあ」と抑止効果もある事でしょう。

そうすれば死刑が増えてこの間の新幹線無差別殺人犯みたいに無期懲役狙いの犯行も減るのではないか(抑止効果が望める)と思うのです。





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