ラムネに見る太古の知恵とその復活

加藤法之



 ラムネは日本に昔から伝わる伝統の飲料だ。炭酸の効いた甘くて美味しい中身の飲料は勿論だが、しなやかなラインが真ん中でくびれた独特のデザインをしたビンもその魅力に一役買っていることを忘れてはなるまい。中でも特異なのが、買ったときに飲み口の部分にくっついているビー玉だろう。それは蓋の役目が主目的だが、飲んでいるうちに容器と当たって奏でる涼しげな音や、水に漬かることによって透明度が増す視覚的清涼感ももたらす優れもので、子供たちが憧れるのも無理は無い。そもそも押し込んで飲めるようにするというアイデアは、引きちぎることによって環境に悪影響を及ぼした一時期のプルトップなどに比べると格段にエコなデザインだ。更にビン事体もガラス製なため全体でリサイクルが可能であるとなれば、およそ後述する欠点などあばたもえくぼという程度のものだろう。現にラムネメーカーで再利用されるビンには、今風の飲み口がプラスチック製の物に混じって、旧来の全部がガラス製のものも十分現役で働いているというから驚きだ。
 本稿では、こんなラムネ瓶についての考察である。

 前項にて欠点と書いたのは、蓋であるビー玉を押し入れようとするときに吹きこぼれる点だ。炭酸は蓋をしているうちは圧力が飽和しているから、それが大気圧まで下がったときに一気に放出されるのだが、そのときの勢いで肝心の中身までも飛び出してしまうのだ。酷いときになると中身の1/3くらいが噴出したりするから本末転倒だ。そんなもん大した事無いと言われるかもしれないから、試算してみよう。
 コーラなど他のジュースが無かった時が最盛期だろうから、当時はひと夏に5本子供が飲んだとしよう。該当する子供を6歳から15歳程度までと仮定すると、ほぼ全人口の20%はいるだろうから、一本10mlがこぼれるとして、
 1億人×20%×5本×10ml=1000kl!!
 水の比重は1だから、重さでいうと1000トンもの飲料分が口以外の場所に散乱することになるのだ!! 1000トンと言われてもピンと来ないかもしれないが、なんとコンバトラーV2台分だ。それも1年で!!
「私は親から出されたものは残さず食べなさいと言われて育ったのに。」
「酸なんだから、手に炭酸がつくと溶けてしまうかもしれない。(飲むのに?)」
と言った嘆きの言葉は昔から少なからずささやかれていたものだが、これが決して大げさな言いようでないことはこれで納得してもらえただろうか。

 また、飲むときに邪魔になることも問題だ。瓶を90度以上に傾けると必ず口もとによってくるビー玉を避けるのは至難の業であることに異議を差し挟む人はおるまい。あの苦難を乗り越えて自由に飲み下せる人など、舌がヘビ並みに長い人か、カメレオン並みに素早く打ち出せる人しかいない。しかし、そんな先天的特異性を持った人がもし本当にいたら、009の一員にだってなれる。今すぐブラックゴースト団の壊滅に一役買って欲しいくらいだ。
 しかし天は人類を見放してはいない。偶然にもラムネの瓶には、胸部にデザインされている凹んだ二つのくぼみがあるから、あの部分にビー玉を引っ掛けて飲むという高等技術さえ身に付けることができれば、最後まで飲みきるという一般人には不可能な行為を成し遂げることができるのだ。ところが、かつて多くの人が知っていたその事実を、世代間の断絶があったことで知らない人が多くなっていることは悲しいことだ。さる筋によれば、そうした使用法を思いつくにはチンパンジー以上の知能が必要だとされる。現に筆者などは自力で思いつくことに成功はしたものの、その時には既に底に残ったものは限りなく砂糖水であったという苦い...甘い経験がある。そうした悲劇を避けるためにも筆者はここに、ラムネの正しい飲み方を国で指導することを提案するものである。そう、もう今しかないのだ。周りに伝承者が残っている今しか...。

 世代間の断絶。実は本稿の本題もここにある。リサイクル性が非常に高いラムネの瓶は、それ故に昔の瓶がいつまでも使い続けられることになる。ということは、そもそもあの特異なデザインの瓶をどうやって作るのか、知っている人間がいなくなる可能性があるということである。そう、あの瓶はそのデザイン以上の不可思議があることを、改めて読者に思い出してもらわねばならない。すなわち、
   あのビー玉はどうやって入れるのか
 製作者がいなくなってしまってからでは遅いので、筆者はここに考えうる限りの科学的手法でもってこれを考えていこうと思う。

 ラムネ瓶の製法に話を進める前に、筆者にはもう一つ詳らかにしておかねばならないことがある。それは瓶をリサイクルするのはいいのだが、中身をつめた後に中に入ったビー玉でどのように再び蓋をするかという問題だ。ラムネ水を詰める工程を考えるとき、
 (i)ラムネ水の入った容器に瓶を入れ、空気を適量まで抜いてラムネ水を詰める。
 (ii)瓶を下に向けたまま引き上げる。
 ここまではいい。だが、ビー玉はそれだけではほとんど蓋の先に乗っかっているに過ぎず、ひっくり返して上にしたときにくっついたままであったとしても、それは引っかかっているに過ぎない。ところが、ご存知のようにビー玉はそんなにやわな力で固定されているのではない。
 最近のラムネ瓶にはビー玉を押し込むためのプラスチックの簡単な部品が入っている。で、これをビー玉に当て、部品の反対側に手のひらを当てて体重を載せてグッと押し入れる。大体20kgくらいの力で押していると思われるのだが、ということは、これと同じ力でビー玉は中から押し付けられていたということだ。これだけの力でどの様に蓋をしたのか。引っ張るなんてことが出来るとは筆者には到底思えない。ビー玉の滑面を持たなくてはならないし、ガラスは磁石にくっつかないからだ。製法云々を言う前に、リサイクルの仕方を知らなければエコロジーには役に立たないのだから、後世のためにはこれをまず解決しておかなければならない。
 筆者の考えたモデルでは、この原理に遠心力を用いる。バケツを持って上下にぐるんぐるんまわすと、中にたとえ水を入れていてもその水は自分の頭に落ちては来ない。これが遠心力で、化学で使う遠心分離機なんかもこの原理だ。すなわち、瓶の口を外に向けた状態でぐるんぐるんまわせば、遠心力でビー玉は蓋部分に強く嵌まり込むと言うわけだ。  では実際に何回転・f必要なのだろう。ビー玉をΦ16mm、ガラスの比重を2.5gとすると、ビー玉の重さは5.36g、まぁm=5gとしよう。遠心力は外に行くほど回転はゆっくりで良いが、巨大な装置は工場の限られたスペースに不向きであるのと、瓶もぶん回すのだから装置自体が保たない恐れがある。このため、瓶を取り付けたら、中心からビー玉の位置がr=1mと仮定する。これがmrω2に当てはまり、更にこれが20kg重の力なんだから、
   (5×10−3kg)×(1m)ω2=(20kg×9.8G)
となる。真ん中を端折ってω=2πfから、f=32(Hz)となる。でかい工業系機械はこれくらい余裕で回るから不可能な数値ではない。もっとも、バランスが悪いから、観覧車のように四方、八方と均等に瓶を取り付けてまわすことが望ましい。ちなみに言うと相当速いのだが、これでも瓶は割れないのだろう。なにせ現実に目の前にこの方法以外で詰めることなど不可能なリサイクル商品がある以上、論理的に壊れていることはありえないのだから。きっと100人乗っても大丈夫ななんとか物置と同じような原理なのだ。(あれは実験したらつぶれたが。)
(ma=20kg重 なんだから、ざくっと重力の4百万倍の力が瓶にかかる。)


 さてこれで後顧の憂いは無くなったから、ビー玉入れに専念しよう。先述したように、最近のラムネ瓶は輸送中の破壊を防ぐためか、口の部分もプラスチックなので、ネジ回せば外すことができる構造になっている。ただ、現在も少数ながら残っている“口の部分もガラス”構造をもった太古からの瓶は、現状全くオーパーツとでも呼んで然るべき不思議さをかもし出している。とは言え、このまま手をこまねいて未解決にしてしまっては机上理論ではない。
 単純に考え付くのは、たまーに知り合いの家にお邪魔すると飾ってあるボトルシップみたいに、瓶の口から入るだけの部品を突っ込んで、ピンセットを使って中でくみ上げると言うものだ。組みあがった後に球状になればいいんだから、確かにこの方法であれば不可能ではない。が、これには筆者の知り合いで、小さい頃中のビー玉欲しさに瓶を叩き割ってしまったことのある三矢泡吉君が強く反対する。「俺が取り出したビー玉には傷一つついていなかった。」と。実体験している彼が言うのだから間違いないのだろうし、実際瓶越しに玉を見てもどこかに筋が入っているようにはとても見えない。それに、ひびの入った茶碗は音が悪いことと同じで、もし部品を組み合わせて作っていたとしたら、瓶を振ったときにあんなにいい音はしないだろう。
 わざわざ昔の瓶を使っているということは、既に職人がいなくなっていると考えることもできる。これは悲しいことだが、昔の職人は超人としか思えないようなことをする人もいるから、現代に敢えて継承できなかったとしても無理は無い。じゃあ何の職人だと言うと、“ガラスの削りだし職人だ。すなわち、例えば元々ラムネの瓶を作るときの型だと、通常知る我々の瓶形状とは違い、内側のどこかがイボのように出っ張っているとする。と、あとはそのイボの部分にヤスリを入れて、少しずつ少しずつ内部形状から外し、独立した後はまぁるくなるまで削っていくのだ。先にビー玉を留めるために用いるとした二つのくぼみが、そうしたイボ形状を内部に付けるために外から押したのだと考えれば、ひょっとしなくてもありえる話のような気がしてこないだろうか。(少なくとも筆者は書いてるうちにそう思えてきた。)
 が、一番の問題は、もしそういう手段で瓶を作ったとして、そんな瓶は一体どのくらいの時間がかかるかわからないほど途方も無い工数が必要となるであろうことだ。野麦峠に代表されるように、養蚕業の働き手は過酷な労働を強いていた昔のような状況ならともかく、現代にそんな作業を労働者に科することはとても出来ない。(野麦峠だけに、ガラス坂とでも呼ぶ悲劇地帯があったのか? 高田みずえの歌には失恋以外の悲劇が潜んでいたのだろうか?)
 ただ筆者が現実的に考えるに、現代に残っている瓶の本数から逆算すると、この製法はあり得そうも無い。最初の試算の続きで最盛期に1億本の需要に応えるにはひと夏百日としても一日生産量は100万本だから、これだけの本数は作っていないとまかないきれなかった筈だ。1000人レベルでも大企業だが、大きく譲ってそれだけの“削りだし職人”がかつていたとして、削りだしに一本ひと月かかるとするとこれだけの本数を揃えるのに100年かかることになってしまうのだ。三日かかるとしたって10年...。それだけ先の生産を見越して自工場の職人に黙々と作業させることができるような太っ腹、かつ景気が読める人間は、経営より政治に手を出すべきだったろう。

 筆者はここに第三の製法を提案する。というよりまたしてもこの方法しか思いつかないから、強引にその昔の製法もこれと同じだと考えて進むことにする。
 そもそもビー玉は、熱したガラスを適当な分だけ練り飴のように切った後、螺旋レールの上を転がして作る。転がっていくうちに丸くなるというわけだ。で、元々最初は丸くないということなら、原料の熱したガラスを瓶の蓋部分から入れてしまえば全く問題はないということに気づいた。ただ、そもそも瓶は内部に螺旋状の壁を持っておらず、そもそも瓶の壁にくっついてしまったらそれこそイボのように固まってしまう。両方を一挙解決する方法として、瓶を自由落下させることが考えられる。すなわち落下する瓶と同じ速度で高熱のガラスを注入し、同時に落下させれば無重力状態での液状ガラスは自分の表面張力で丸くなるのだ。
 これを行うためにどのくらいの落下距離が必要かを試算しよう。ガラスがどのくらいの速さで冷えるのかが見当もつかないが、瓶に接触してもくっつかなければいいのだからおおよそ10秒で十分だろう。だがこの考察には足りない部分がある。というのも、落下の衝撃でビー玉が蓋にはまってしまったら、空瓶だけで売り出さなくてはいけないのだ。これは盲点で、そもそもそれは商品ではなくなってしまって本末転倒だ。だからこの時間に更にラムネの中身を詰める時間を加えなければならない。(ビー玉にとっては水冷されるので冷却時間の短縮にもなる。)ラムネの給水口の瓶への出入りを3秒、ラムネの給水に2秒とすると全体で15秒になる。
 (1/2)gt2だから約1100m。とても凄い高さだが、ラムネを作るにはこの方法しかない以上、我々の想像の及ばないかつての日本にはこれだけの高さのラムネ瓶製造工場が聳え立っていたはずである。さぞ壮観だったろう。

 反論があることは想定している。ビー玉が蓋にくっついたとして、単に外して遠心力機械に掛ければいいんだから、もっと滞空時間は短く出来るはずだと。
 しかしこれには「ちっちっち、君はラムネを飲んだことが無いのかい?」と言い返してあげよう。何故ならここですさまじい衝撃が瓶を襲っていたからこそ、
   蓋を開けたときに勢いよくこぼれるのである。

                       おわり









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