藤野龍樹
「ピンポ〜ン。」
「はいはいはい。(聞こえないのに言う。)あれ、いないわねぇ。また悪戯だわ。」
筆者の住んでるところはスラムと付くくらいの下町だから、そもそもチャイムなんて洒落たものを取り付けている家なんて無い。が、うちあたりよりはましな建物が並ぶ隣町で、この悪戯が流行っていると聞いて驚いてしまった。
ピンポンダッシュとは読んで字のごとく、他人の家のチャイムをピンポンと押して、同家の人間が玄関に達する前にダッシュ!と駆け去ることから来ている。幼稚な悪戯だと思っていたのだが、各所で再燃しつつあるなんてことを聞くと、本格的に一度考えてみたほうがいいかもしれないと思えてきて、本稿で扱うことにした。
(1)ピンポンダッシュの歴史
ピンポンダッシュはその性質上、家の玄関にチャイムが取り付けられるようになってから行われるようになった比較的新しい悪戯だと思っていた。のだが、迷惑行為史研究家の畑明和氏は、「機構的には江戸時代からあった可能性がある。」と述べており、驚かされる。江戸時代に確立したいわゆる“剣術道場”には、道場破りという、そこで一番偉い人と戦って勝つことを目的にした他流試合が申し込まれることがあった。腕自慢の一匹狼である彼は「たのもう!」と言って道場に入り込み、そうした試合に勝つとその道場の看板を持ち去ってしまうのだ。ホントは腕自慢というより、名のある道場の看板は藩に召抱えてもらうときの名刺代わりになったということらしい。で、そんな道場破り文化があるのだから、中には「気の弱い挑戦者もいたはずだ。」と氏は指摘する。「道場の前に立ち、『たのもう!』と叫んだはいいが、必死になって振り絞った勇気もそこまで、急に不安になってきて、家のものが出てくる前に、やっぱ止めとこう、と逃げ去ってしまうとしたら、そうした行為は現代におけるピンポンダッシュと同じ構図を持っているのだ。」とある。畑氏は当時の資料を辿ることで自身の仮説を立証しようとしているが、もし見つかればピンポンダッシュの起源は氏に言う“タノモウ駆け去り”であるということになろう。
(2)方法は?
一般的なピンポンダッシュは、悪戯目的である家に近づいた者が、その家に設えられているチャイムを押す行為を合図に始まる。突発的に家の中に鳴り響くその音を、家主は当然誰か用事の有る人が呼んだ合図だと思うから、時として冒頭のような意味の無い返事をしながら玄関を開ける。しかし、その誰かはチャイムを押した瞬間に脱兎のごとくその前を駆け去っているため、結果、家の前には誰もいないということになる。といったごく単純なものなのだが、本当に正しいところを言うなら、本当に駆け去っているのか、穴掘って埋まっているのかなどは誰にもわからない。何しろピンポンと言う音が鳴ることは事実なのであるが、鳴る原因となった行為が何なのかは特定されていないからである。カラスかもしれないし、お化けがやっているかもしれない。
(3)被害はあるか
大した事無いと考えるのはやっぱり無関係であるからで、やられたほうはやっぱり嫌なものだ。絶え間ない悪戯に心身を病む人もいるかもしれないし、また、とても多くのピンポンダッシュにいちいち対応することで、疲労困憊してしまうということも有り得る。たちの悪いストーカーは半年に千回を超える電話をしてくると言うからあながち冗談ではない。そういう人達には是非にも、「チャイムの電源を切りなさい。」とアドバイスしたいくらいなのだが、それでは悪に屈するみたいで悔しいし、もしそんなことを言ったとしても、「そんなことをしたらリボン6月号の懸賞が当たったことを知らせる郵便局員さんが来たかどうか判らないじゃないか!」と叱責されてしまうだろう。それは確かに重要だ。とは言え最悪の場合、ピンポンダッシュは陽動であり、の者が対応する隙に空き巣に入ることも想定できる。事体は結構深刻なのである。
(4)容疑者
一般的には、近所の子供が行っている他愛の無い悪戯だとされる。ステレオタイプな犯人像を探るなら、その子は二親とも働きに行っており(現代なら離婚しているケースの方が一般的かもしれないが)、近所に遊ぶ同年代の子供がいなくって寂しいため、構ってほしいと言う感情が曲がって表現されてしまう結果起こされる行為、とまぁこんなところだろう。自分が行った事に対して他人が反応してくれるという、それが嬉しいという、褒められた行為ではないが、一律に叱責だけで済ますことも物悲しい。そう思うからこそ、一般的にこの悪戯をされた家の者は、大体のあたりをつけて、「また○○さん家の子供の仕業だよ。」などと決め台詞を吐いてやれやれとその場を締めくくるのである。
(5)対応策の検討
ここではまず、容疑者が人間の場合を想定して、防止案を考えてみよう。
(i)チャイムを暗号にする。 のは、普通に使用する場合に困ってしまうことが問題だ。一見さんを忌避する京都の小料理屋ならともかく、一般家庭ではなかなか踏み切れないだろう。
(ii)長押にする。 五秒押さないと鳴らないようにするくらいで、悪戯行為はほとんど減るだろうから、一見とても良い方法に思えるが、これも(i)と同じで、一般の来客が正しい使い方を知らないから困る。故障だと思ってしまい、用を為さなくなるのだ。使い方を書いておいたら意味が無いし。
(iii)押したらしばらく離れないようにする。 物理的には手錠をかけるなどだろうが、一般来客には乱暴だから、思わず引き止めるような映像を流すなんてのも手だ。逆に告知するなんてのは、一回こっきりなら使えそうだ。「このボタンを押した人は、今から読み上げるメッセージをしっかりと聴いた上で対処してください。 ... 」なんてとうとうと読み上げれば、聞いているうちに家主が出て来てしまう。ピンポンダッシュするような人間がもたもた聞いてないだろうと言うなら、例えばボタンの真ん中を少しだけピン状にしておくとどうだろう。指先がチクリとしてすぐにこのメッセージが流れれば、毒かと思って気になって聞かずにはおれないだろいうからだ。何ならホントになにか塗っておいてもいい。毒とは言わないが、漆でも塗っておけば、すぐに手を洗わなければ一日指が腫れる。
(iv)神に頼る。 何言ってんだと思われるかもしれないが、例えば鳥居を描いてその真ん中にボタンを置いておくと、小便するなと同じ禁忌効果が望めるというものだ。最近は不届き者が多いから、真実の口様のデザインの中にボタンを設置するのがいいかもしれない。少なくともローマ人は悪戯をやめるだろう。
(v)テレビカメラを設置する。 こんなの一番最初に思いつくし、一番効果的だろうと言われるかもしれない。が、効果的には同意するが、一番とは言い切れない。最近じゃカメラが映していたってATMごとかっぱらって行く強盗がいるくらいだ。それに、そもそも想定した子供以外の何者かが写っていたら、どうするつもりなんだあなたは。
(vi)捕まえる。 空き巣目的なんてのは明らかに犯罪だが、多くの場合は単なる愉快犯だろう。とすれば、実行犯は己の行為が成功したかどうかを確認することが必要で、要はまだ現場にいる可能性がある。すなわち彼は家主から死角部分にいてこちらを覗っているはずで、普通に考えてそれが出来るのはせいぜい50mの範囲内だとすれば、抑止はさほど難しくはない。この程度なら爆弾を使うという手も無いではないが、相手がただではすまないと同様、自分の家も真っ先にただでは済まなくなってしまうからいただけない。まぁ、悩まされているほど頻繁なら、手口にはなんらか規則性があると思われるから、毎日同じ時間で行われるなどのそのタイミングで、同半径を確保する監視の目を作ることが望ましい。
(6)有効利用
発想を変えてみよう。チャイムのベル音が注意を喚起する音だから、それを変更することがいい解決法かもしれない。例えば部屋の中にゑもいわれぬ芳香を放つようにしたらどうだろう。悪戯とわかっても、少なくともいらいらすることは無くなる(かもしれない)。
これは悪戯するほうの側に立った考えだが、押してから逃げる間の緊張感と瞬発力はかなりのものであることに注目すると、これをアスリートのダッシュ力アップやボクサーのアウトボクシングタイプ養成法なんてのに使えるかもしれない。練習メニューに取り入れることで効果が出る可能性がある。「ピンポンダッシュ30本!」なんて練習が実現するかもしれない。
もっとも、近所からはどっかのボクサー並に嫌われるだろうが。
(7)終わりに
(6)で落ちたんだからこれ以上は駄文なのだが、どうにもすっきりしないのはなぜだろうと考えている。で、これはそもそも(2)で少し書いた疑問、“本当にチャイムを鳴らした方法は誰も知らない”ということから来ていることに気づいた。
答えを得ることが出来ないことについて考えをめぐらせるとき、我々は同じ軸線上に形而上学という言葉を思い出す。心についての薀蓄をたれる哲学に良く出てくる言葉だ。そう。本稿はそもそも「たかがピンポンダッシュ。」という思いから想定をしていることが間違いの元だった。そうではなくピンポンダッシュとは、人間が人間であるために日々悩む哲学の中の一アポリアだったのである。こんな重大問題を、たかだか数ページで終わらすなんて考えが甘かった! じゃあ一冊本でもしたためるか!!
そんな回答がピンと閃いた筆者は、思わず現実から駆け出したのだった。
今度こそ終わり。
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