浦島太郎の行方

藤野竜樹



 子供に虐められていた亀を助けたお礼に龍宮城に行く。ホンの2〜3日の滞在後、帰郷してみれば何百年も経過。土産の玉手箱を開けるとおじいさんになってしまう。
 昔話の中でも、浦島太郎を知らぬものはないだろう。上記文章は相当な要約だが、合間にどんなことがあったかの補填を敢えて書き下す必要もないほど、それは日本人に馴染み深い説話である。特有の名詞〜それを聞くだけで浦島太郎と断定できるもの〜が“龍宮城”、“乙姫様”、“玉手箱”と立て続けにあげつらうことができるのは、この説話の知名度とオリジナリティの高さを示している。だからこそ、そんな物語の中で展開される不思議で甘美で、かつ悲しいドラマは我々の心をひきつけて止まないのだろう。
 特に、龍宮城とはどんな場所だったかを巡っては、夢想の場所という解釈に飽き足らない人々によって、古今いろいろな解釈をされてきた。桃源郷に行ったという説がよく聞かれるが、龍宮は南の島だったのだという漂流説もある。SFファンにはむしろ他の天体への旅だったんだっていう豊田説がお馴染みかもしれない。そして、そんな“さまざまな説”の一つを、今更ながらの後発として講釈をぶちたい、とするのが本稿である。“龍宮の謎”をいやしくも机上理論的に扱う以上、これまでの見方と異なるものであることは保証する。

 とはいえ、龍宮の謎を今までと別角度から眺めてみようとしているのだから、今までの説がどういったものだったかをまず踏まえておく必要はあるだろう。
 夢想説。太郎が寝てしまい、長年夢を見つづけたというもの。レナードの朝やドラえもんの最終回都市伝説なんかにも見られるが、長期間眠ってしまう病気は物語ではよくあるネタである。これだと龍宮が楽しげなところであるということは「いい夢を見たんだな。」という解釈をすればいいわけであるし、じいさんになって起きたら家並みすべて変わっていたということも説明できる。しかし、御伽草子に見る太郎の不在期間は700年であり、この間当時としては超技術であるところの点滴などがもしあったとしても、それほど長期間生命を維持するにはいささか無理がある。それに、三年寝太郎のようにいつか村の役に立つというならともかく、さしたる理由もわからぬままそれほど長い期間眠っているだけのぐうたら人間を世話しつづける物好きな人間など、ニートの親以外ありえない話だ。しかし何より決定的なのは、そもそもそれほど寝ていたのなら、見知らぬ村々を徘徊する太郎を見つけた当の村人達は、彼の頬にヨダレと畳の跡を認めたはずであり、そんな描写は後にも先にも伝わっていない。このことだけをとってみても、この説の誤謬は揺るがないことが明らかである。
 そもそも、「鯛や平目の舞い踊りは錯乱したときの表現であるキューピッドに相当する」としている本説はかなり強引といわねばなるまい。舞い踊りが天使のそれのように頭の周りを回るかどうかなどは推定の域をでていないのだから、舞台の上で宝塚風に踊っていた可能性を言及しないのは言葉不足と批難されてしかるべきである。
 南海漂流説。太郎が乗っていた船が流された先が南洋諸島で、必死になって帰ってみるとそこは...。という説。竜宮が異世界であることや、南洋のダンスを鯛や平目の舞い踊りに喩えたのではといった解釈が成り立つし、故郷の変質も、海岸線が類似した土地の多い日本では、記憶違いで似て非なる場所に戻ってしまったと考えられなくもない。しかしそもそも、本説話の原型は中国内陸部の昔話にあり、そこでは湖の真中の島に行くと言っており、そこが桃源郷だったのだとしているのだから、わざわざ遠い海の果てに由来を探すのはロマンが過ぎるといえるだろう。そうしたことは海岸に椰子の実を見つけたときくらいでいい。
 まぁ筆者も、この説に対する反論の最大手である「乙姫が土人ってことはないだろう」説をおとなげないとして退けることに躊躇はない(南洋じゃ美人って言うし)にしても、「鯛や平目の舞い踊りはフラダンスのことだ」とする説は言い過ぎと感じていることは確かだった。だいたいフラダンスの歴史は浅いもの(アロハオエはハワイ最後の皇女カイウラニの作)だし、フラの歴史を辿ってみても...フラフープ>フラスコ>フラダンス>フラメンコ>フランシスコザビエル...くらいまでしか遡ることが出来ないのだ。前述の御伽草子が編まれる室町期には既に採取できるほどの体裁を整えていた本説話の歴史に比ぶべくもあるまい。
 異星説。亀がロケットで、太郎は恒星間旅行を行ったというもの。突飛な説であることは言うまでもないが、実は結構辻褄の合うところも多い。異星だとすれば、その異様をいちいち太郎が表現し尽くせなかったことも頷けるし、光の速度近くで移動すると他の物質よりも時間が遅く進む物理法則のため、恒星間旅行は旅行者の時間よりはるかに年月が経過してしまうというウラシマ効果ってのがある。これなどは、700年経ってしまったという説話ラストの悠久性を説明するに十分な説得力がある。とは言え、「鯛や平目の舞い踊りは光のイチバンOCN体操である」とする説は言い過ぎであると感じていることは確かだ。だいたいあんなギクシャクした動きを舞い踊りと表現するなどおこがましいし、そもそも喉を叩いたくらいで宇宙人だと称するなど、今どき柳沢慎吾でもやらないだろう。
 以上、見てきた三説を要約すると、龍宮城は“内観の産物”、“距離的な遠い場所”、“時空間的に遠い場所”というあたりになるだろう。こうして従来説をまとめた上でこれから筆者の唱える説を見るわけだが、こうしてみると、やっぱりどれにも類似しないようだ。

 さて、いよいよ筆者の考える龍宮解析を行ってゆく。解析の足がかりとするのは、上記説でも謎解きしていた“龍宮の描写の不可能性”についてだ。そもそもこれは浦島太郎が物語られるときに龍宮城を描写するときの常套句である『絵にも描けない美しさ』という表現を踏まえてのものである。これは言うまでも無く、龍宮城の美しさが「どのくらい筆舌に尽くしがたいか」について比喩的に論じているものなのだが、どうにもこの時点で既に、先達は間違いを犯しているのだということを筆者は指摘せねばならない。なんとなれば、卑しくも科学的に物事に対処しようとする場合、呈示された情報は努めて分析的に対せねば本質には至らないにも拘わらず、“何かの比喩なんだ”と決め付けてしまう時点で彼らは既にしてそれを放棄してしまっているからである。
 ここに真実にいたる道筋への鍵がある。“絵にも描けない美しさ”という言葉があったなら、ここは文字通り、“絵に描くことが出来ない”、ととるべきであり、それはすなわち龍宮城を、“物理的に絵として描くことが出来ない”と解釈すべきなのである。真意を測りかねるかもしれないので判りやすく換言すればそれは、“龍宮城が存在する場所においては、絵は2次元としての定着を許されない”ということだ。
 こうして、太郎が亀に連れられて行った龍宮城はどうやら我々が考える3次元空間ではないことが明らかにされた。では何次元に行ったというのか。まず2次元を考えてみよう。2次元といえば絵と同じ次元だ。太郎は神秘の力で絵の中に入ったと想定するのである。これには乗物である亀をヒントとしてもよいかもしれない。何故なら、亀の甲羅にある六角形の模様はシミュレーションゲームにいうHEXマップ(六角形地図)に見立てられるから、上に乗っている太郎の次元を1段落とすためのスキャン装置だったと捉えても面白いからだ。まぁ科学的仕組みはともかくそんなこんなで2次元存在になったとすれば、太郎は眼前の龍宮城の威容を見て、絵筆を取ることが出来ず...いやまて、しかしそう決め付けてしまうのは早計だ。何故なら、我々は3次元空間に居るが、彫刻や粘土細工などによって自分の前にした像を転写することが可能だ。だから同様に、2次元の存在は絵を描けるのだ。確かに絵の中に入った状態では3次元構造を持った絵筆を操作することは出来ないかもしれないが、なんらか他の手段で絵を描くことは不可能ではないのである。(例えば、絵の中心から渦を描くように色をおいていけば、印象派風の絵を創作することが可能だ。)ならば行き過ぎて0次元というのも考えられないことはないが、一点に集中しただけのそこに、もはや何らの情報も存在しない。であるから消去法を使って、残ったのは1次元ということになる。1次元の世界とは何か? 幾何学的には一本線の上を行ったり来たりすることができるだけのものである。そんな場所に龍宮城があっても太郎には何らか自分の場所移動を不能にする障害物としか感ぜられないであろう。だからここでの龍宮城のある1次元の世界とは、我々が普通に幾何学的に考えつくような存在形式をとっているわけではないことになる。では、それは一体どういうものなのか。
 突然だが、モールスをご存知だろうか。大森貝塚を発掘したわけではないし、一人として歌唱力のある者のいない音楽ユニットのメンバーというわけでもない。ましてや東京タワーに繭を貼るわけでもないが、航海を安全に行なう上でちょっと前まで一番必要だったものを発明した人であり、その発明したもののことを話題に上げようとしてこの名前を出した。回りくどかったが、いわゆるモールス信号の話をしようとしている。(ちなみに無線が当たり前になった今、モールス信号は航海の安全に無くてはならないモノ一番の座をゲロ袋に譲っている。)トンとツー。この2つの組み合わせで文字を表現するモールス信号は、電信されるこの2音にて航海に必要などんな文章でも送ることができる。試験のときおおっぴらに相談するにももってこいだが、今はそんなことを推奨するために取り上げたわけではない。
 文章がトン・ツーだけで他の場所に送られる。これはつまり、時間軸という1次元に“文章”は存在可能だということを示している。ならばこれが、上述した本難問、“1次元空間での龍宮城の存在様式”を解く鍵とならないだろうか。筆者は実際、龍宮城の存在した場所としてこの“文章”すなわち“物語の中”を想定しようとしている。
 古今、主人公が物語の中に入り込んでさまざま出来事に巻き込まれるという話は結構あって、オタクな系統でも古いところではタツノコのポールのミラクル大作戦、エンデの果てしない物語(しかもこれもパクリらしい)なんてところが有名だ。新しいところでは深夜アニメでやってたヤミと帽子と本の旅人ってのがそうじゃなかったか(ごめん、見てない)。そうそう、ドラえもんの道具にも絵本はいりこみ靴というものがある。まさにそんな感じで、太郎は亀によって物語の中に連れられてしまったのではないかとするのである。
 しかし、それでは物語の中に入り込むとはどういうことなのか。体験することができないのでこのあたりは推測にとどまるのだが、おそらく、“文章として表現できることはそのまま体験として経験される”しかし、“その系は一方向であり、文章にある以外の他の行動一切を許さない”というあたりが妥当なところだろう。要するにそこではそれこそジェイムスジョイスの小説ばりになんでもできるが、しかし転じて言えばどれだけ自由気ままに振舞っているように見えても、それは文章として書いてあることにとどまるということだ。そうした意味では、太郎が絵を描けないのは、龍宮城の属する世界の形式が原因となって物理的に描けないことも勿論だが、“描く”ということが文章に書いていない限り、太郎は実質的に“描く”行動をとることも、発想することも出来ないということになる。しかしそう考えてくると、太郎が体験した龍宮での宴というのは、“鯛や平目の舞い踊り”という文章表現以上のものではあり得ないことになり、更に過ごした時間も“数年が経った”という字面のだけで経過したことにもなるわけで、してみるとちょっと気の毒だ。(では、物語世界中に入り込んだ太郎に言葉以前の意志は浮かぶのか? ともう一歩突っ込んで考えることもできるが、ここまでくるとまさに哲学に言うヴィトゲンシュタインの問いなのでなり、彼の言をそのまま借りて、語りえぬものなんだからわからないとしか言いようがない。)
 物語の中に入り込む者は上記したような窮屈を感じるかもしれないが、その代償として、物語が語り継がれる限りでの永続的な生を得ることができる。だからそこから帰ってこられるなら、外界では何百年も経っているなどということは起こり得るのである。そして更に言えば、太郎の入り込んだ龍宮城の物語の書いてある文章は書として紙に記されていたのだと考えることができる。これは口伝とか洞窟に書き付けたとかの他の可能性を排除するに足る理由がある。すなわち太郎が玉手箱を開けることによって老人になってしまうことを説明するからである。どういうことか。文章として保存されていることで太郎自身の身体が安定するのは経年に対し問題がないのだが、一旦彼が外に出るとき、長年経過した本としての性質が彼の身体を蝕んでしまうのである。いわゆる彼の身体はそれまで入り込んでいた本の状態同様、シミだらけになってしまうのだ。これがいわゆる老人化の本質である。しかしそうだとすると、玉手箱とは、太郎が存在を保つため、物語としての本を痛まないように納めておけるような防虫効果のある箱だったのかもしれない。
 こう考えてくると、太郎の浴びた煙とはバルサンのようなものだったかもしれない。煙の消えてからも半日は家に入ってはいけないという注意書きが、どこかにあったかもしれないと、筆者は妄想してしまうのである。


                   おしま...あれ...?

 ...。筆が乗って思わずオチまでつけてしまったのだが、よくよく思い出してみると、筆者はそもそもここから先に書くことを元々論じようとしていたのであった。なんとなればそれは、
  上記したような文章世界の中で、本当に“絵にも描けない美しさ”は表現できないのか
ということだ。これをすっかり忘れていたので、以降は第二部とでも考えていただきたい。

 さて、文章世界の中で絵を描くということはすなわち、低次元世界で高次元世界を表現することに他ならない。こんな場合、我々の持っている解析道具のうち適したものといえば数学であろう。というのも、行列の高次元化表現であるテンソルや、図形の性質を抜き出すトポロジーのように、抽象化することで自分の空想限界を超えた世界を扱うことは数学の得意分野だからである。
 であるから、浦島太郎には高等数学を勉強することによって龍宮の美しさを表現して欲しい。ここでは、一般に知られる龍宮の特徴を数式化することで、その例としてみたい。
(実を言えば、実際に御伽草子を読むと、“銀(しろがね)の築地をつきて、金の甍(いらか)ならべ、門をたて、いかならん天上の住居も、これにはいかで勝るべき”なんて描写があって、「なんだよ。描写できてるじゃん。」と言うことになる。どうやら有名な“絵にも描けない”というのは、明治44年6月「尋常小学唱歌」に掲載された、われわれが良く知っているあの童謡から発生した性質のようである。(ちなみに、この歌の製作者は不詳とのこと。)だからまぁ以下の文は、我々の良く知っている、という部分を誇大化したアイデア展開だと考えていただきたい。)

 まず馴染みのある表現として、鯛や平目の舞い踊りを扱おう。鯛も平目も瞬間的な運動を見るとそれはベクトルと考えられるから、 などとすると、単純に考えると + となる。が、平目と鯛が混交して舞踊を行なうとすると、 +rot などとした方が実情を正確に表すだろう。すなわちこれが瞬間の振り付けを表し、
  = +rot

となる。よってこれを積分することで、浦島太郎をもてなす重要な要素の一つである“舞踊”が関数として記述できることになる。
 では龍宮城のもう一つの重要な要素、乙姫について考えよう。城の様相と同じく、乙姫に関しても直接的な描写はあまり知られていない。だから、とっかかりとしては、もてなされて喜ぶ太郎から考えよう。彼は乙姫の外から窺い知れる情報、即ち“身体”、“仕草”、“会話”などの一挙手一投足に喜びを見出しているのだから、それはこれらを集めたものと考えることができて、

喜悦太郎= + +

という偏微分方程式として記述できる。(乙姫の出力パラメータが他にも独立変数として取り出せるなら、この偏微分式の右辺につらつらと項を重ねればよい。)ただ、残念ながら我々は乙姫のこのもてなしを見ることができないばかりか、太郎が鼻の下を伸ばしているところすらも見ることができない。我々ができるのは太郎が現世界に再び現われたとき、彼の大袈裟な話っぷりを聞くしかなく、しかもそもそもその話が当を得ていないからこんな苦労をしているとなると、彼から得られる情報は彼の感情の起伏、“感動パラメータ”だけである。感動は喜悦などの感情の起伏が激しいほど大きい、すなわち更にこれの微分だから、結局、
感動太郎={喜悦太郎}’

    = + +

ということになり、乙姫の2回偏微分方程式が得られると言うことになるのだ。
 この方程式が解けるかどうかは、ひとえに太郎の感動が線形的なものか、解の判っている特殊関数である必要がある。しかし、後者はともかく、相手の魅力に比例して感動が増してゆくという線形的な感情というのは想像が難しい。この傾きが0だったら、ホシノルリや長門さん系のダウナー型となるだろうが、そういう浦島太郎だったら乙姫も嫌がるだろう。

 さて、そんなこんなで龍宮の数式化を試みたのだが、最後に玉手箱についても考えてみる。ご存知のように、玉手箱は浦島太郎が龍宮城での遊興三昧の後、帰郷の際に乙姫から渡されたものだ。「絶対に開けてはいけませんよ。」と言われるという項目も必須なものだから、この辺も踏まえた上で解析を試みよう。
 玉手箱は最後に渡されたと言うことは、龍宮訪問というイベントにおいて最後に締めくくりという位置付けがある。となるとこれは龍宮城での出来事関数すべてが詰まっていると考えることができて、
玉手箱= dt

となる。これが閉じた領域を意味する 記号によって記述されていることは注目に値する。なんとなればもしこれが閉じない領域、ここでいうと太郎の帰郷後の時間も含めることができる一般的な だと考えると、これは解を持たなくなるからである。何故言い切れるかというと、現実の時間内で太郎は玉手箱の蓋をあけたが、そこには数学的には解析不可能である子を示す、無(煙)しか入っていなかったからだ。
 では、閉領域、つまり龍宮訪問だけで考える時-それはすなわち太郎が玉手箱を開けなかったことに相当するのだが-この数式はどういう解を取るのだろうかというと、これは簡単、この時間にて満たされているもののすべて、すなわち、
  Ans. 思い出
となるのだ。





論文リストへ