世界の最小構造について




 ここ数世紀の間、学者たちは、世界の最小構造を求めて膨大な研究時間を投じてきた。しかし、本当にそれは存在するのか。ここでは最小構造について簡単に考えてみる。

1、まず、世界の最小構造が存在しないとする場合。つまり自然界が無限に(おそらく可算無限くらいに)深い階層をもっている場合である。これは論理的にあり得るだろうが、人間は現実世界で無限なるものを実証できないため、「そう考えれば辻褄が合う」という、実証不可能が証明された形の真理となる。

この状況は二つに分けられる。階層が無限に深くてもそこに何らかの規則性がある場合とそうでない場合だ。前者は例えばフラクタル構造だ。一般には構造規模と法則の間に何らかの定式化が可能であれば、すべて前者と考えてよい。この場合、人類は構造に関する定式化された真理に辿り着ける可能性がある。難しいのは後者「自然界が無限に深い構造を持ちながら、そこに規則性が発見できない場合」だ。仮に科学が進歩して、この可能性が強いと判断されたとき、人類は「ではなぜ、世界の構造は深くて規則性がないのか」を考えるだろう。

問題は微妙だ。もし構造的な階層が上部と下部できっちりと分離されていれば、下部構造から上部構造への干渉は少なく、ゆえに下部構造そのものを発見しにくくなる。ところが、下部構造が上部構造のあり方に多大な影響を与えているとするなら、上部構造と下部構造の間には何らかの強い規則性があるだろう。こう考えると、二重の意味で、階層を発見しにくいほど規則性も不明ということになる。

それでは、そういう無限階層は現実に存在するのだろうか。筆者個人は期待薄だろうと考える。なぜならば、エネルギー保存則や運動量保存則といった基本法則は、時空の連続性と、それが微小領域で滑らかであることを前提に変分原理から導かれるからだ。以下は暴論かもしれないが、もしも微小構造がフラクタル的であるなら、そもそもこうした保存則が単純な変分原理から出てくるはずがないだろうと考える。あるいは、例えば力が逆二乗則で減衰していくということも、空間成分が3次元でなめらかであることを示しているかもしれない。もし空間構造に微小な自由度があるなら、この定数はもっと複雑な数字となる可能性がある。

2、一方で、世界に最小構造があって、そこに人類が有限の努力によって到達しうる場合を考えてみる。その場合、最小構造にはどんな条件がかかるのか。

ここで、重要な二つの原理を提示する。一つは、存在は何らかの直接的間接的手段で観測されなければ存在とは認められない点だ。観測というのはつまり、存在(観測客体)が観測主体に対して何かしらの影響を及ぼすことであり、これは存在と観測主体の間に、何かしらの連結媒体がないといけないことを意味する。経験則によれば、この媒体は「時空」に還元され、最終的には電磁波や重力波が時空を経由して存在と観測主体を結びつけている。そこで、もしも世界に最小構造があるとすれば、この時空は離散的でなくてはいけない。というのは、もしも時空が連続であるなら、時空上のある一点と隣の点の間には無数の点があるのであって、それは最小構造とは言えないからだ。つまり、最小構造とは、離散的な点からなる時空そのものということになる。ところがそうすると、時空上を電磁波や重力波が伝搬するということは、離散構造の間を状態が遠隔的に伝達されることを意味する。この「遠隔的作用」が曲者だ。そういう作用は現在まだ見つかっておらず、しかも科学者は積極的にこれを否定しようとする傾向にある。もしミクロの最深部でそういう遠隔作用が起こっているなら、それがマクロで発現しないように見えるのはなぜか。

もう一つの原理は、「法則」が統計的帰結である点だ。マクロの世界の経験則によれば、法則は二つ以上の作用の拮抗の結果として実現する。つまり、ある法則が存在するとき、そこには必ず下部構造としての二つ以上の作用がなければいけない。自由落下の速度則は、物体の慣性と重力という二つの作用の拮抗によって実現している。もし慣性がなくて重力だけであるなら、速度は一瞬で光速に達するだろうし、慣性だけあって重力がないなら速度は常にゼロだろう。光速度やプランク定数は原理的な値とされるが、未来においては、これも何らかの拮抗の帰結として説明づけられるかもしれない。

実際には、法則は単なる拮抗というより、統計的な帰結によって成立している。つまり、異なる二つ以上の作用によって、物体は数え切れないほどの進行経路可能性を少しずつ彷徨いながら、大きな視点から見ると、平均的には法則通り動いている、というのが現実的な法則のあり方だ。ところが、この統計性がミクロにおいても同様であるなら、そこには深刻なパラドクスが生まれる。ある最小構造同士を結びつける離散的な遠隔作用は、それ以下の構造レベルの統計的帰結として実現されねばならず、ゆえに最小構造以下の構造を要求する。これは前提に反する。だから、最小構造を仮定したミクロ世界では、法則が統計的帰結ではなく実現されていることが示唆される。

以上をまとめると、(結果的には全く当たり前のことだが)仮に世界に最小構造、すなわち離散構造があったとする場合、離散要素間の関係は「遠隔」的で「非統計」的である。ではこれをどう理解したらいいだろうか。

この問題は、世界の決定性に絡んでいる。ある一瞬の世界は完全に一つの世界である。そうした世界における法則とは、世界のある一瞬から次の一瞬の状態を決定する必要十分条件である。ゆえに法則には、世界を完全に決定し、かつ法則同士が矛盾してはいけない、という条件が掛かる。この相反する条件を満たすために、自然界は多数の試行を経た統計性によってこれを実現している。しかるにもし最小構造を仮定するなら、法則は自律的にこの二つの条件を満たさなくてはいけない。

そもそも、なにゆえに遠隔作用が法則として採用できないかといえば、媒体となる時空が対称的で連続だからである。もし仮に法則が主張する影響が遠隔的で、遠く離れたある点にだけ作用するなら、なぜその点だけが作用対象なのかが、法則自身によって示されねばならない。そうでなくては、法則は世界を一意に決定することができなくなる。しかしながら、それは空間が対称的である限り導出できない。そこで、影響は全方位に均等に拡がるのであり、すなわち近接作用の考え方が採られる。

もし最小構造において、影響が遠隔的に、かつ非統計的に伝達するとしたなら、その最小要素に、作用対象を一意に特定できる何かの機構が内在されていなくてはいけない。それによって、微小世界における世界の一意性が保証される。例えば、実は時空の各点は一次元的な鎖のように並んでいて、作用の伝達に方向性があるとか(もっともこの考え方は色々問題が多い。微小構造に方向性があれば、物理定数や法則に方向によるムラがあることを意味する。統計による均一化は可能かもしれないが)、作用対象と作用そのものが究極的に同一である、などである。

世界が一意的であるという前提そのものにメスを入れることもできる。原理的に一意ではない世界が、統計的平均化によって一意であるかのように見えている、というのが他ならぬ量子力学の提示する世界観である。これを間接的に支持するのは、宇宙の膨張である。また、仮に一意であったとしても、その世界情報を入手できないことで、論理的な制限を突破できるかもしれない。もし法則が世界の推移を完全に記述するならば、世界の情報量は不変であり、現在の世界の状態の全てが分かれば、過去と未来永劫の世界の情報を手に入れることになる。これはラプラスの魔と言われていて、世界の情報を全て手に入れた自分も世界の内部の存在であることから、このようなことが論理的に不可能であるとされる。実際に光速限界の存在や不確定性関係は、それを原理的に禁じている。

以上とりとめなく書いたが、意見反論等を待つ。それによって、この考察はバージョンアップされるだろう。





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