時を止める少女

さうす



 先日、とある所用で『モモ』を読み直していたのだが、非常に気になる「ある場面」が目に留まった。
 モモといっても、ミンキーでフェナリナーサな夢と魔法のアレではない。『ジム・ボタンの機関車大旅行』や『はてしない物語』(映画好きには『ネバーエンディングストーリー』と呼んだほうがなじみがあるだろう)の作者でもあるドイツの児童文学作家 ミヒャエル・エンデの『モモ』である。

『モモ 時間どろぼうと ぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子のふしぎな物語』は1973年に発表され、ドイツ青少年文学賞を受賞したエンデの代表作のひとつだが、今回取り上げる「ある場面」はドラマ終盤に現れる。
 ずいぶん前に読んで覚えていない、という人も多いだろうから、エンデの『モモ』について概略をさらっておこうと思う。

・主人公「モモ」は浮浪児の少女であり、高度に組織化された都市から、失われつつある「余裕」の象徴、イノセント(無垢)な存在として描かれている。合理的管理の進んだ現代社会は、浮浪児のような存在を許さないからだ。
・「モモ」はふしぎな力の持ち主だ。相手の話を黙って聞いているだけで「ほんとうの声」(本心のこと)を引き出す能力を持つ。
・人間から「時間」を盗む「灰色の男」(合理化社会の権化)たちから、モモはその能力ゆえに危険視されるようになり、彼らの「時間貯蓄銀行」と対立することになる。
・「モモ」は必死で抵抗するも、モモの友人たちから次々と「時間」が奪われ、周りには誰もいなくなってしまう。そして、モモ自身も追い詰められピンチに。
・そんな時、マイスター・ホラ(時間をつかさどるもの)と出会い、時の秘密を知って反転攻勢に出る。

 これ以上の詳細は、ネタばれになるので割愛するとして……

 マイスター・ホラは弱冠10才前後ほどと思われるモモに「『なにか手を打たなくてはいけない。だが、わたしひとりではむりだ。』(中略)『おまえがてつだってくれるかね?』」とまで言い、助力を求める。
 そしてマイスター・ホラが眠り、「人間たちに時間を送るのを止める」ことで、時間を止めるシーンが出てくる。これが、私が気になった「ある場面」だ。 

 モモは「時間の花」を一輪受け取り、1時間の猶予を得る。しかし、「灰色の男」たちも、葉巻(人間たちから取り上げた、死んだ「時間」)が尽きて消滅してしまうことを恐れ、「時間貯蔵庫」へと殺到する。「時間貯蔵庫」のありかを突き止めるため、モモはカメのカシオペイアとともに歩いて「灰色の男」たちを追跡……おっと、まあ詳しくは原作を読んでほしい。

 さて、ここからが本題なのだが、「静止の状態」の世界の描写に不自然な点があるのだ 。
 まず、物体は完全に静止している 。たとえば、空中にあった物は、宙に浮いている。いすは硬直 。茶わんは持ちあがらないし、お皿の上のパンくず、扉などはびくともしない、といったありさまに描かれる。

 はて……?

「静止の状態」の奇妙な点はこうだ。

1.なぜ、空気は静止しないのか?
2.微細なハウスダストはどうなのか?
3.熱伝導や光はどうなるのか?

 1.については、もし空気の時間も停止しているなら、モモの身体の周囲にある空気も動かせないことから身動きが取れないだろうし、2.は綿毛でさえ危険物 なのだから、もっと細かい粉塵はとんでもない障害物になるはずである。3.についても、時間が止まるなら、それらも同様に止まるはずだと考えられる。
 他の「時間が止まる」作品ではどうなのか、と何作かと対比してみたところ、たしかに時間は止まるが、「時間が止まっている間も物体は移動させられる」という扱いの作品が多いのである。

 そうした作品群では、空気は障害物とならないから、この問題は『モモ』特有のもので類例は見当たらない。「灰色の男」は人間ではないから、障害物に影響されなくても不自然 ではないが、しかし、モモは人間である。つまり、物理的な肉体を持っており、障害物の影響を否応なく受ける。

 じゃあ、どうなのか?

 仮説1として「実は、モモは人間ではない」と言えば即刻解決しそうだが、作中で何度も人間であることが明記されているから、これは誤りであり、仮説1は棄却される。

 では仮説2を立ててみよう。先ほど挙げた奇妙な点1〜3に共通する要素が、疑問を解く鍵となるに違いなかろう、というわけだ。
 ここで、モモの生い立ちを思い出したい。モモは浮浪児の少女(イノセント、無垢)であり、したがって通常の教育を受けていない。
 つまり、空気やハウスダストを「認識していない」のではないか? 「静止するかしないかは、認識と相関する」のでは? 実際、彼女がさまざまな事象に対して無知であることの証拠は、作品中いたるところに散見されるのである。

 もちろん、熱伝導現象などモモはまったく知らないだろうし、光は普段から見えてはいるが、物体としては認識していないに違いない。
 なにより、特に注目すべき点として、「灰色の男」との会話が成立している事が挙げられる。空気が振動できるから音が伝わるのであり、空気の時間が止まっていないことの何よりの証左と言えよう。

 マイスター・ホラ自身も言っている ように、モモが感じとらない時間はないもおなじ、ということは、すなわち時間の停止による束縛を受けなくなるということと同義であるし、「どんな小さなものも、時間のなくなったいまは、もう動かせないのです。」という説明は、モモの認識の代弁であり、空気等は含まれないと考えられる。

 つまり、彼女に知恵を与えてはいけないのである。

 空気の存在を教えたとたんに、周囲の空気が硬直し、彼女はまったく身動きが取れなくなる。「*いしのなかにいる*」よろしく、そのままバッドエンドだ。

 マイスター・ホラの台詞を思い出して欲しい。「『だが、わたしひとりではむりだ。』(中略)『おまえがてつだってくれるかね?』」なるほどー、わざわざモモに手伝わせるわけだ!

 ……しかし、私は「もうひとつの仮説」が想起されることを禁じえない。

 その仮説3とはこうだ。障害物として描写されていた最小の物体は「小さな綿毛」までであり、ハウスダストのチリや空気の分子は、「小さな綿毛」に比べると質量が圧倒的に小さい。これはつまり、「動かせる」ものと「動かせない」ものの境界が、 質量の大小にあるのではないだろうか?
 今、問題になっている障害物の特徴を以下に挙げる。

・非常に小さい(質量・体積ともに)
・大量にある
・空中に浮かんでいる

 このような物体すべてを、「ひとつ残らず正確に狂いもなくピンポイントで」「しかも瞬時に」叩き落す事が出来うる存在を、我々は知っている。

 ジョジョのスタープラチナである。

 そういう視点で『モモ』と『ジョジョ』第三部を比較すると、意外な共通点がある事がわかる。
 まずは、移動における逆転現象。

(モモ)「これこそ、この白い地区の秘密だったからです。ゆっくり歩けば歩くほど、はやくすすみます。いそげばいそぐほど、ちっともまえにすすめません。」
(ジョジョ)あ…ありのまま 今起こった事を話すぜ!『おれは 奴の前で階段を登っていたと思ったら いつのまにか降りていた』

「いそげばいそぐほど、ちっともまえにすすめ」ないさまは、ディオの館でヤツに遭遇したポルナレフが、どれだけ必死に駆け上がってもディオに近づけなかった事実と一致する 。そして「白い地区」とは、すなわちエジプトによく見られる花崗岩建築の事であると考えられるのだ。

 第二に、リクガメの存在が挙げられる。

(モモ) カシオペイア
(ジョジョ) ジョセフ・ジョースター婦人のペット

 ジョセフ婦人が運転手に預けたカメは、何の脈絡もなく物語に登場し、そして何の説明もないまま退場する。婦人を案内していたのは実はカシオペイアであり、この場面ではそれが暗示されていたに過ぎない。

 なにより、モモの持つ驚くべき能力である。「相手の話を黙って聞いているだけで「ほんとうの声」(本心)を引き出す」というモモの魔法のような能力が話し相手に及ぼしていた奇妙な影響は、スタープラチナの圧倒的な気配で、威圧され白状させられていた、と考えればつじつまが合う。
 また、この「時を止める」シーンじたい、スタープラチナはジョジョ第三部において、ディオのスタンド「ザ・ワールド」の能力に触れた直後に時間を止める能力を得たのだから、同様にモモもマイスター・ホラの能力に触れた直後に時間を止める能力を得たのだと考えられる。
 そして「オラオララッシュ」。空気分子・ハウスダスト等の微細な障害物は、すべてオラオラで撃墜して身体を通過させる領域を確保していたのだ。

「もしかしてオラオラですかーッ!?」
「YES!YES!YES! “OH MY GOD”」

 そしてモモは、最後の「灰色の男」を見送ったあと、こうつぶやいたに違いない。
「そして、時は動き出す」

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