渡辺ヤスヒロ
外を歩いている状態で「ボールとって下さい!」と頼まれて10m程歩いていくことは別に面倒だとは普通思わない。道徳的・倫理的な面を除いたとしても。
車に乗っていると5分10分の遠回りをしての買い物を頼まれてもそれほど面倒だとは思わない。
椅子に座っている時に後の本棚の本を取ってくれと向かいの席の人から言われても、タイヤの付いている椅子で特に腰を上げる必要が無ければそれほど面倒なことを頼まれたと人は思わない。これは室内。
しかし椅子から立って歩かなければならない範囲だと面倒だと思う。
自分の家になると更に面倒だと思わない許容範囲は狭くなる。
寝転んでいると座り直さなくてはならないだけで面倒だと思うようになる。
まぶたを動かすことすら面倒になったりする。コタツに寝ているとみかんを剥いて食べさせて欲しくなったりする。
面倒臭がりの状態変化とその閾値の高まりは比例以上の関係にある。
状態変化だけが全てではない。
存在する空間の広さも面倒だと思う移動距離につれて変化している。
公園で寝ていてもやっぱりボールが来たら拾いに行くのではないかと思う。それほど面倒臭がらないという点が重要だ。
面倒臭がる人は広い部屋に住むべきなのである。
しかし実地検証をしていて意外な事例を発見した。
極小のダンボールハウスを公園に作って寝ている人である。
彼らは面倒臭がるだろうか。今後の研究課題としたい。
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