木賃ふくよし(芸名)
おそらく皆さんは、マーフィーの法則(Murphy's law)という言葉を聞いた事があるだろう。
筆者は、マーフィーと言えばマーフィーズ ゴースト(どう見てもスライム)なのだが、Wizardryでも度々ある話である。宝箱の罠を解除し損なった時に限ってテレポーター。しかも「石の中にいる!」というヤツだ。
起こって欲しくない事態ほど招かれる、とでも言うのだろうか。日本語で言えば、「泣きっ面に蜂」「弱り目にたたり目」「降るときはいつもどしゃ降り」「二度あることは三度ある」と言った諺がそれに当てはまるだろう。
女性のミニスカートの中を撮影して捕まって、次には覚醒剤だの覗きだの銃刀法違反だので芸能界人生を転落していった田代まさしに当て嵌めればマーシーの法則と呼べないこともない。
まあ、法則とはいうものの、実際には法則でも何でもなく、ありがちな話に過ぎない。
経験則と言えば聞こえこそ良いものの、現実を見れば、最悪の事態が起こってからそのショックを和らげる言い訳にしかなっていない。
何と実用性に欠ける”法則”か。
では、「失敗する可能性のあるものは、失敗する」というこの「マーフィーの法則」は単なる言い訳でしかないのか。
マーフィーの法則について色々調べてみたところ、必ずしも上記の要約に当てはまらない。デフォルトは、”If it can happen, it will happen.”(起こる可能性のあることは、いつか実際に起こる)である。
これでは逆の意味にも捉える事も出来るではないか。
籤を引く際に、ほとんどの可能性でハズレを引くとして、いずれアタリも引くという事になる。
だが、そうではない。1個の当たりと99個のハズレがある籤としてみよう。
100個の籤すべてを引くとすれば、いずれ当たることは明白である。しかし、マーフィーの法則に従うならば、100個目にしてようやく当たりを引く・・・。つまり、99個のハズレを踏まえなければアタリには到達できないという訳だ。
また、”If that guy has any way of making a mistake, he will.”(何か失敗に至る方法があれば、彼はそれをやってしまう)に従うならば、
1個のアタリと98個のハズレ。そして1個の大ハズレがあるとすれば、往々にして大当たりよりも大ハズレを先に引いてしまうと言う事なのである。何なら98個目で。
はたしてコレは事実なのだろうか。
ギャンブルで例えれば理解しやすい。基本的にギャンブルは胴元が儲かるシステムである。つまり、利用者は全員が負ける仕組みだと言ってもいい。6割の敗者と4割の勝者という配分でも、常に勝利し続ける事は難しい。
1度の勝利で40% 連勝となれば16% 3連勝は6% 4連勝で2% 5連勝は1%の計算である。まあ、3連勝からそれなりの大勝ちとするなら、100人中わずか6人しか勝っていない事になる。
「1勝負目だけなら4割は勝てるんだから」とは言っても、6割は負けている計算だ。
1勝負目に勝った時点で止めてれば、少額でも40人は勝てる訳だが、続けるから残り34人も負ける。
つまり、最初からこの6人に入っていない94人は、どうやったってマーフィーの法則の犠牲者になる訳だ。
結局、「起こりうる可能性があれば起こる」というのは、むしろ当然。要するに、世の中に無数に転がっている選択肢は、大半がハズレという事であろう。
”It will start raining as soon as I start washing my car, except when I wash the car for the purpose of causing rain.”(洗車しはじめると雨が降る。雨が降って欲しくて洗車する場合を除いて)と言うのは、洗車さえしなければ、「洗車をはじめたら雨が降る」という最悪の事態は避けられる。
では、洗車するという行動、すなわち選択さえしなければ良いかと言うとそうでもない。洗車をしないならしないで、突然と接待相手を小汚い車に乗せなければならない羽目に陥る。つまり、選択しないという選択肢を選んだ訳だ。
我々は、どうやったってマーフィーの法則からは逃れられないのだろうか?
話を一度、田代まさしに戻すが、女性のミニスカートの中を撮影して捕まって、次には覚醒剤だの覗きだの銃刀法違反だので芸能界人生を転落していった彼は果たしてマーフィーの法則によるものだろうか?
雪だるま式、ねずみ算式に不幸が襲いかかっているようだが、コレは誤解に他ならない。
最初に盗撮さえしなければ、警察にマークされる事もなかっただろうし、覚醒剤に異存さえしていなければ続けて覚醒剤で捕まることもなかった。
たまたま持っていたナイフが銃刀法違反なんてのは、それだけなら見逃して貰える程度のモノだったはずだ。
つまり、こう考えてみれば合点が行く。
最初に大ハズレを引いたからこそ、大打撃を受けたのであって、連続でハズレを引いている訳ではない。
つまり、マイク・タイソンが連打の準備をしているところに飛び込んでしまったのである。最初の一撃を防いだとか最後の一撃が外れてくれたとかそういう問題ではない。マイク・タイソンの連打の前に飛び込んだこと自体が大ハズレなのである。
君子危うきに近寄らずと言うが、ならば、マーフィーの法則は避けて通れるのだろうか?今までの話からすると、選択しようとしまいと選択してしまっているのだから、避けて通ることは不可能。
では、少し見方を変えてみよう。
お盆の上に、水の入ったコップを運ばせる。
その際、「こぼさないでね」というアドバイスを送ると、よりにもよってこぼす事が多いという。
逆に、「上手に持っていってね」というアドバイスに変えると、成功率は飛躍的にアップするらしい。
つまり、イメージ・トレーニングである。
失敗すまい、失敗すまいという強迫観念が失敗を呼び込む可能性。これは否定できない。無論、最悪の事態を想定し、覚悟を決めることによって成功を呼び込むこともあるだろう。だが、その差は何かと言えば、要するに勝利を呼び込む心の持ちようではないだろうか。大事にしている皿から割れていくという事態は、割れたらどうしようなんてネガティヴ思考を抱くからこそ割ってしまう可能性である。
すなわち、人間はマーフィーの法則という「安易な言い訳」を作った事によって、失敗を呼び込んでいると言えなくもない。
論文としての結論としては最悪だが、コレは気の持ちようなのである。
この論文を書くに当たって、「気の持ちよう」なんて論文としては最悪の結論を出すに至った経緯を話そう。
とある知人女性が、「お気に入りの服から汚れたり破れたりする」というマーフィーの法則に対し、真っ向から否定するような一言を放ったのである。
「破れたり汚れたりした服が、その途端にお気に入りになるんですよ」
これは目から鱗であった。
要するに、「気に入った服が汚れた」のではなく、「汚れた途端、悔しさからその服がお気に入りになる」のである。これはまさに気の持ちようではないだろうか。
例えば、倦怠期に入って、のし付けて誰かに差し上げたいぐらいの嫌気を感じ始めた恋人である。とっとと別れてしまいたいと思っていたのに、友人に寝取られてしまい、ものすごく幸せそうにしている彼らを見た途端、得も言われぬ口惜しさがこみ上げてくる。この事ではないのか?
つまり、マーフィーの法則とはまさに気の持ちようで、最悪の事態が起こったのではなく、起こった事態を最悪に感じてしまうことなのかも知れない。
ところで、マーフィーの法則に掛けて、マーシーの法則ってタイトルを付けてみましたが、よもや田代まさし本人が「マーシーの超法則」なんて本を出版していたとは夢にも思わなかった。
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