渡辺ヤスヒロ
眠っているうちに小人がやり掛けの仕事をしてくれる。これはグリム兄弟の童話にあるもので結構有名であり全ての仕事をする社会人にとっての儚い信仰でもある。
いきなりだが結論から言おう。自分の経験からすると小人は存在すると言える。見たことがあるとか会った事があるとか仕事を頼んだ事があるとか一緒に飲みに行ったことがあるとか日本の将来について語り合った事があるとか好きな子の話をした事があるとかそういうわけではない。結果的な状況証拠から見た結論である。
つまり徹夜で仕事をしながらいつの間にか寝てしまって朝方目を覚ますと明らかに自分でやったと覚えている部分以上の仕事が終わっている事があったと言うことだ。一度や二度ではない。が、出てこない場合もあるので後はお願いしますとか置手紙を残して寝るわけにはいかないのは当然だ。
小人が仕事をしてくれる事は分かってもらえただろうか。次に出る問題は仕事の質である。
物語では小人の作った靴の出来が良かったために評判となり靴屋は繁盛する。するとおじいさんが作るより小人が作った方が良かったのか。おじいさんの長年の靴職人としての意地はどうなってしまうと言うのか。と心配しなくもないが、小人は以降出てくることはなかったし靴屋がその後繁盛したのはおじいさんの丁寧な仕上げ等、元々靴屋として十分売れる要素があったため問題にはならなかった。
さて更に個人的な経験からで恐縮だが小人は完璧な仕事をするわけではなかった。出来は合格点は上げられるがちょっとイマイチ抜けている部分もありやり直さなくてはならない事もあった。進行表やチェックリストを作りながら仕事しているわけでもないのでどこまでやったのかが分からず見直さなくてはならない(まあこれは仕方ない)。
小人について分かった事をまとめると以下のようになるのではないだろうか。
1.小人は万能ではない。
2.小人も疲れる。(徹夜が続くと出て来なくなる。又は効率が異常に落ちている。)
3.小人は元々派遣される先の人間の仕事レベルに合わせて割当てられている。
これらを考慮して小人を有効に、かつ的確に使えるようになることが社会人としての重要な要素であると言えよう。
私の所へ来ていた小人は、仕事は少し雑でたまに勘違いをしたりするし、ややひねくれているのか他人と違った分かり難い方法をしていることもある。それに結構な気分屋で作業効率は日によってまちまちだ。
しかし私は私のところへ来た小人に感謝している。仕事内容は概ね満足できるし他の人がやらない様なややこしい事もしてくれる。それなりに責任感もあったようだし悪い奴ではなさそうだ。
グリム童話では確か最後のパンを貰った小鳥が小人になって恩返しをしたりもしていたようだが、ウチの小人は特に恩返しと言うこともなさそうだ。(まさかあの時助けたツルが!?いやそれともクモか?きび団子を上げた犬か?池に落とした斧を拾ってあげたきこりかも。)
つまり結論として言える事は、小人達頼みは悪くないが自分でやった方が納得いく仕事が出来るということだ。
と言うか今も十分忙しいので手伝って欲しい。最近出て来てくれなくなった彼らも彼らで忙しいのかも知れないが。
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