あかとんぼ編年

藤野竜樹



 あかとんぼ
作詞 三木露風 作曲 山田耕筰
(1)ゆうやけ こやけの あかとんぼ、おわれて みたのは いつのひか。
(2)やまの はたけの くわのみを、こかごに つんだは まぼろしか。
(3)じゅうごで ねえやは よめに ゆき、おさとの たよりも たえはてた。
(4)ゆうやけ こやけの あかとんぼ、とまっているよ さおのさき。

 童謡“あかとんぼ”は、三木露風が1921年 (大正10年)、童謡雑誌「樫の実」に、“赤蜻蛉”なる題で発表した詩に、1927年 (昭和2年)、山田耕筰によって曲がつけられることによって完成している。が、人気が出るまでは些か苦労をしているようで、今井正監督「ここに泉あり」中で感動的に用いられるまでは、アクセントが悪いなどの点で評判は芳しくなかったようだ。とはいえ、現在国民的唱歌であることに変わりはなく、口ずさんでは郷愁を馳せるという点では、「ふるさと」などと双璧をなす人気歌童謡ではなかろうか。
 成人した後のある夕方、外に出てみると赤とんぼが竿の先に止まっている。彼の思いは急に過去に飛び、姐や(子守り)に負われて見た幼い日(露風本人が語っている)のこと、桑の実を籠に摘んでおやつ代わりにしたこと(葡萄くらいの大きさ、食べると口が紫になる。ちなみに桑畑は養蚕で葉を蚕の食用にするためにある)を思い出す。くだんの母代わりだった姐やも十五で嫁いでしばらくは便りをよこしていたが、里に馴染んだのか、もう手紙もよこさなくなった。
 といったあたりが本歌の解釈として妥当なところだろうか、桑畑はともかく実が食べられるなんて今回調べるまで筆者でも知らなかったから、女中に背負われるなんて情景を歌から即座に思い描ける人はこれからどんどん少なくなるのだろう。
 とまぁ、本童謡のまともな周辺を語るのはこのくらいとしよう。机上理論でこの題材を扱う以上、本稿が通説とは異なる解釈をするからこそなので、以下からそれを行なっていきたい。例によってこれから、作詞家でさえ表面的には考えていなかった解釈−ユング的集合無意識が書かせたであろうもう一つの見方−を語ってゆくのであるが、それは冒頭に示した“ひらがなの”詩から導き出す仕方にはこんなのもありますよというスタンスなのであり、よってそこでどういう展開が為されても、「元の詩は漢字でこう書いてあるんだから」などといった野暮な突っ込みは考えないようにしていただきたい。

 さて、これから本歌の机上理論的解釈を行っていくのであるが、全体の構成、すなわち、まず(4)番がありきで、この(4)番を詩を作った現時点として、過去に遡って解釈してゆくという出発点は、上記のものと同様である。が、それから(1)〜(3)番の歌詞をフラッシュバックするのが、幼年時代の憧憬であるとする解釈に、本稿では異論を唱えようと考えている。それは(1)〜(3)番にある詩にある言葉の解釈を丹念に追っていく時に生ずるいくつかの疑問がその端緒となっており、歌の順番にあわせて羅列するなら、@赤の連続的強調、A大きすぎる桑の実、更には、B里の音信不通状態、となる。
 まず、@赤の連続的強調を見てみよう。これは(1)番の歌詞より生じたもので、“ゆうやけこやけのあかとんぼ”という、前半部を問題にしている。この、“ゆうやけ”と“こやけ”という類似状況がわざわざ連続的に配されていること注意しよう。(ちなみに小焼けとは、日が沈んだ直後に、上空の雲が赤くなっている時間を言う。)勿論語調がいいからという理由は、歌の詩として用いられるにもっともな説得力を持つのであるが、ふつうに“夕焼け”という文字があれば十分にその場の状況が想像されるにも拘わらず、わざわざさらに“小焼け”を付加していることは着目に値する。というのも、短いことばで情景を示さなければならない童謡にとって、言葉の切り詰めはまず行なわれるべきことだからだ。これをもってして童謡の詩としての価値は減ぜられると評価される危険があるのだが、驚いたことにこの詩はこれから更に“あかとんぼ”という、わざわざ赤という言葉を含んだ語句を入れている。こうなると、それを評価が下がるかもしれないと、天才肌の露風が見越していないはずは無い。確かに、赤一色のイメージ世界を表現するための手法と見なせなくもない。だがそうした、うっかりすればソ連が世界統一を果たしたと聞こえそうな効果のためだけにこれらの名詞を選択したとはやはり考えにくい。とすれば、この一見無節操かと見える赤名詞三連続コンボ、赤のジェットストリームアタックとも言うべき同系統の言葉の羅列には別の理由があるのではないかと考えられるのである。
 次は(2)番から出て来る疑問A大きすぎる桑の実だ。そもそも本論冒頭に述べた通常解釈とは別の解釈を行なうのがもっとも困難なのがこの(2)番だ。“はたけ”、“くわのみ”とったそれぞれの名詞がほとんど確定しているのだから、それによって意味が固定するのは考えてみると至極当然なことで、だから筆者とて、@や、後述するBの疑問が生じなければこの詩に敢えて曲解を見出そうなどという偏屈な発想は浮かぶべくも無かったろう。とは言え、真の意味を見出そうとする真摯な姿勢に不可能はないということで、ここでは“はたけ”に着目してみる。日本語では“畑”を真っ先に思い浮かべるのが自然だから解釈の一意化もやむを得ぬところではあるのだが、これを“端”+“丈”すなわち、“山の端丈”と見るのだ。するとこれは“山の端ほどもある大きささの桑の実”ということになり、そりゃ籠に摘むのは不可能だよ、夢でも見たんじゃないの、という新解釈が可能になる。ただまぁ、白髪三千丈の古語もあるように、古来より物事をとんでもなく大袈裟に誇張することはよくあることなので、割り引いて“普段よりも大きな桑の実”を食べることが出来たんだあたりに考えるのが柔軟な姿勢といえよう。であればということで当然生じてくるのが、“じゃあどうして桑の実は大きくなったんだ?”という疑問なのである。
 そして(3)番だ。今回のアプローチである、歌詞から意味をそのまま考えようというスタンスをとるときに、筆者が最初に理解に苦しんだのがこの(3)番だ。というのも、ここで述べているのが“十五で姐やが嫁いだこと”、“里から連絡が無くなったことだ”ということくらいはわかるのだが、よく読んでみるとこの里からの連絡は、姐やが嫁いでからなくなったのだと読むほうが自然だと判る。とすればこれは、姐や自身の消息を語ったというよりは、文字通り里が音信不通になったのだと見るほうが語っていることに近いのだ。では、それは一体どういうことなのか、彼女の嫁いだ里に、なにが起こったというのだろうか。

 こうして生じた三つの疑問にこれからアタックしていくことで、ここではまず三つの仮説を立てる。これは、本歌を正確に捉える上でのポイントを明確化する補助線となすためで、更にこの後の重大な結果をすんなり受け入れるための素地を作る目的がある。
 まず@だ。三連コンボであることを説明するだけの理由とはなんだろう。筆者がここに呈示するのは、
   T-1 あかとんぼとは、“赤く染まったトンボ”のことではないのか
という仮説である。赤とんぼでは“ない”トンボが赤く染まっている状況を正確に描写しようとしたのであれば、トンボの前に“赤”を付加することも仕方の無いことだと判定されるからだ。更に続けて仮説を述べるなら、
   T-2 このトンボは、かなりの大型昆虫である
とも考えている。夕焼けの光を直接受けて赤く染まるだけではなく、小焼けの背景をバックにしてすら赤く見えるということは、空を透かして見ることができる羽の部分がかなり大きいと想定されるからだ。この仮説の利点は夕焼けと小焼けの時間このトンボがずっと赤く見えているのだということを写実的に描写したい場合、同詩のような記載法にならざるを得ないことで、このためこの部分の歌詞に説得力が出てくることである。すなわちこの解釈をすることで詩のほんとうの描写に近づいていることが納得されるのである。ではここにいうトンボというのは、オニヤンマのような現存の大型種を考えるべきなのだろうか。
 そしてA。科学的に考えて、通常よりも大きな実ができるようになるのは、品種改良が一番ありふれているし身近な方法であろう。トマトやカボチャがそれぞれ自品種中にどれほど大きさの自由度を持っているかは皆さんにもお馴染みであろうものだし、考えてみれば犬なんかも同じ種とは思えないくらい大きさが違うものが品種改良によって造られている。しかし、こうした一般的な方法のほかにも、環境変質やら土壌やらを整備することによって大きくする方法や、ちょっと特殊だが)放射能による突然変異なんてあたりも考えられる。ただ@の巨大トンボとの関連性を鑑みるなら、多少一般的ではなくともこの上記した“環境激変”説をとる必要がでてくる。
 しかし、環境激変と一口に言っても、それによって生物体に影響を及ぼすような変化となると、それは我々の考える生活時間とは異なるスケールのものだと判断せざるを得ない。だから再び仮説を提示するならば、
   U 桑の実を大きくしたのは地質学的スケールの時間変化である
となるだろうか。
 最後にB。里からの音信不通という事体を、筆者は当初“姐や”による八墓村的犯行のような猟奇的仮説を立てていたのだが、二つの仮設を踏まえてきた以上、“姐や”という存在を単純に個人としての人間と捉えることは難しくなっている。既に“姐や”はなんらかの生物種を象徴するような存在と捉えるべき段階に達しているのである。そしてそう考えるなら、これまでの仮説に見合うように姐やが移動した生物群と詩の作者側の生物群との関係を仮説立てれば、
   V-1 両者は地質学的変化によって地理的断絶を余儀なくされた。
   V-2 両者は別の種として分化した
となる。“絶え果てた”という語句を用いたことをもう少し厳粛に受け止めるならば、
   V-3 姐や生物群は、絶滅した
と考えることもできるだろう。

 本論もかなり本質に迫ってきたことを示すように盛り上がりを呈してきた。およそ前記した三種の仮説は、お互いを補完しあうような形で精緻化されよう。では早速、(1)番の歌詞の仮説を元にした解釈をしてみよう。
 Tを単純に考えた場合、現時点でにおける大きなトンボとして挙げられるのは、前記もしたオニヤンマが代表格なのだが、地質学的スケールで考えることを許された今、我々はここに、史上最大のトンボ、メガニウラを挙げることができるのだ。
 メガニウラ。石炭紀の末に化石の見られる巨大トンボで、翼長なんと70センチという馬鹿でかさだ。主として30mをこえるシダ森林で活動していたが、大きな羽根ゆえ羽ばたきにより自由な活動が可能な現在のトンボに比べれば、せいぜい滑空できたくらいだろうと考えられている。
 おわれて見たのはいつの日か。我々はこの問いに対しこれまで人間的スケールにおける郷愁の範囲内としての数字、十数年から、多くても数十年を考えるのがせいぜいだったのだが、とんでもない話で、およそ三億年ほども前のことだったのである。人間はおろか、両生類から爬虫類や哺乳類型爬虫類がやっと進化してきた当時の話だったのだ。面白いのは、“追われて見た”という、従来は無学な解釈と考えられていた本歌の読み方には、一面の真実が隠されていたことになる。というのも、遥かな果てに人類へと連綿と繋がってゆく哺乳類型爬虫類からは、この時点からもう少しするとディメロドンのような肉食種が出てくるのだが、進化途中の当時では、おそらくはまだ爬虫類など先行種にヒエラルキーの頂点を譲っていただろうから、実際に“追われて”いたことが考えられるだろうからである。
 すなわち(1)番の解釈。
 夕焼けと小焼けの時間帯には赤く見える巨大トンボ・メガニウラを眺めたのは、爬虫類から逃げ回っていた時に見た三畳紀の末のことだったなぁ。

 流れからすれば次は(2)番の解釈をするべきであるが、ここで少し筆者は判断に苦しむ。というのも、従来の解釈では歌の順番は時系列に沿っているという考え方を採っているおり、筆者の本論も各歌詞がそれぞれ別の時代のことを語っているということは一致しているのであるが、時系列に沿うているという点については賛同しかねているからである。すなわち筆者は歌の時系列は(1)→(3)→(2)→(4)だと考えているのである。まぁ解説前に余計な混乱を読者に与えるのも得策ではないので、ここでは素直に歌詞の順番どおりに述べていくが、時間順序が違うと考えていることはご留意いただきたい。

 さて、(2)番で考慮すべきポイントは“巨大化”だ。奇しくも石炭紀の特徴の一つにも、30〜40mに達したシダの巨木の存在がある。これは後年のライバルとなる被子植物のような競争相手が当時いなかったことや、現在の数倍に及ぶ酸素や二酸化炭素が環境を満たしていたことが理由なのだが、特にこのうち後者の理由は(2)番の時代特定に十分なヒントを与えてくれる。
 というのも、そもそも桑がどの時代から存在しているかというのは残念ながら今回調べきれなかったのだが、桑の特徴である雌雄異株という生存形態は被子植物門双子葉植物綱の中でも原始的な形態であるとみなされているから、存在可能範囲は1億年以上あることになる。だから“巨大化”が二酸化炭素の現在より多い時代の所産だと断定できるのはメリットが大きいのだ。(ついでに言えば、桑はクワ科の落葉高木クワ類。)
 二酸化炭素比率が断然高かったのは石炭紀などの古生代だが、ジュラ紀白亜紀といった中生代も現在よりもずっと高い。恐竜が1億数千万年にわたって繁栄できたのは、二酸化炭素による温室効果が温暖な気候を持続したからであり、その比率は現在に比べれば十分高い。だが、この頃からUで示した仮説、数千万年の地質学的時間変化がじわじわと環境を変えていくという現象が起きる。というのも、同様に繁栄しだした被子植物は光合成により二酸化炭素を消費しまくったため、白亜紀中ごろから二酸化炭素量は減少に転じ、それはやがて恐竜時代を支えていた温室効果を抑制してしまうのだ。二酸化炭素の減少と寒冷化は植物の成長を著しく低下させ、巨大な樹木と、比例して大きな果実を為したと思われる双子葉類の被子植物も、今ではとても小さな実しかつけなくなってしまった。
 そしてこのタイミング、約1億年前の白亜紀後期が、(2)番が語っている時代であると筆者は考える。よって解釈はこうなる。
 白亜紀の恐竜達と競って山のように大きな実を蓄え食べることが出来たのに、今ではすっかり小さくなってしまったなぁ。

 いよいよ(3)番だ。ここでの解釈のポイントはやはり“たえはてた”をどう受け取るかだろう。既に八ツ墓村的猟奇殺人を犯した、もしくは“ひぐらしのなく頃に”みたいな解釈をとることがこれまでの流れに合わなくなっていることは既に明らかで、普通に“絶滅”ととってよかろう。とすれば、有名なところでは恐竜を絶滅させたといわれる巨大隕石が衝突した白亜紀晩期の6500万年前が筆頭なのであるが、筆者はあえてこれを、ペルム紀晩期の大量絶滅と推理したい。
 判断材料となるのはV-1とも関連するが、それまで交流のあった種族同士が、ある個体の移動を最後に途絶えてしまったという内容は、お互いの地理的な隔絶を匂わせるところがあるのである。となればここに筆者はこの現象を、“超大陸パンゲアの分裂”だと捉えたいのだ。
 「南米とアフリカってくっつくよね。」って発想から生まれたウェゲナーの大陸移動説を地球全体のプレートの詳細に検討していった結果、過去に現在の五大陸がすべて一つの大陸だったことが推定されるようになり、そうした科学考証から導き出されたのが超大陸パンゲアだ。地球の反面を覆うほどの大面積であるパンゲアでは、気候は乾燥化し、皮膚が湿っていないと死んでしまう両生類から爬虫類が進化するという一大転機も起きている。
 そしてその超大陸が分裂する。地球内部のスーパープリュームにより、現在の五大陸に地殻移動をはじめたからだ、これが2億五千万年前のパンゲアの分裂である。火山活動は活発化し、陸地のど真ん中に海ができる。山向こうの種との交流はこうして断たれ、阿鼻驚嘆の地獄図とも思われる環境激変の中で、やがて全生命の96%が死滅するという史上最大の絶滅、ペルム紀の大絶滅に繋がってゆく。“十五で嫁に行く”というくだりもしてみると象徴的だ。火山活動は月の満ち干に影響を及ぼされるとは良く言われるところだから、してみると満月の夜に最初の火山が爆発したのかもしれない。
 となれば、今や悲愴な感じさえ受ける、細々と生き残っていた哺乳類の慨嘆の詩として、(3)番は解釈される。
 十五夜に姐やが向こうの種に移ってから、火山活動が酷くなってパンゲアが割れてしまった。いまでは向こうにいる仲間達も死滅してしまっただろうなぁ。

 石炭紀からペルム紀、白亜紀後期に至る壮大な年月の、在りし日の自分たちの姿を高らかに描いた抒情詩はこうして完成を見た。この歌は人類のユング的集合無意識を髣髴とさせる記憶に記された、先史時代の出来事をそこに秘めていたのであり、あらためてそこに展開されるドラマを見返すとき、我々はそこに、生物の無常と、それでも生存しつづける彼らの強さとしたたかさを見るのである。筆者とても耳慣れた唱歌の中からこれほど壮大な秘密を解き明かしたことに、胸がすく思いがしている。

 しかしここに筆者は驚かされる。本歌には既に、これほどの解釈を成し遂げた我々に対する先人の賞賛すら籠められているからだ。すべての運命が記されているとされるアカシックレコードばりの事実を、(4)番に見ることが出来ることを示して、本稿の締めとしたい。

(4)ゆうやけ こやけの あかとんぼ、とまっているよ さおのさき。

 従来子供の頃を回顧しているうたの現在、という位置づけと捉えられていたこの歌詞の“さお”に筆者は注目した。“はたけ”の項で記したように、ひらがなだけで記された名詞には多様な意味を込める意図がある。ならばここに見る“さお”にも竿以上の意味がある。
 沙翁。筆者に天啓のように涌いたこの字こそ、日本におけるシェークスピア(沙吉比亜)の尊称である。であればこの意味は
 赤とんぼの新解釈はシェークスピアをも凌駕する優れた解釈
ともとれるのである。なんという衝撃の事実!

 シェークスピアは自身の名作、「真夏の夜の夢」でもこう言っている。

 恋人と○○の頭脳は熱く煮えたぎり、その想像は様々な物の姿を創り出して、冷やかな理性の理解を遥かに越える。

 これはまさしく、彼が本稿の偉大なる業績を称える意味で予言していたと言えはしないだろうか。

 ただ一つ気になるとすれば、上述した○○の部分には、“机上理論”ではなく、“狂人”が当てはまっていることであろうか。





論文リストへ