人類ものぐさ計画

渡辺ヤスヒロ



人は一生懸命働いたり活動したりする。
今の社会はそれまでの世代の人達の努力の成果と言っても過言ではない。感謝するべきである。
社会制度も文化も数々の発明品も研究の成果もそれぞれ幾多の分野で多くの人達のそれこそ命を懸けた活動の結果だ。
理不尽な事に立ち向かった人も、何世代の掛かったこともあっただろう。
そこで今の自分達の生活を見てみると、それら先人の努力の成果の上に成り立っている事を感じる事は稀ではなかろうか。
人は便利になった社会に慣れてしまうともう元には戻れない。たった数年の事なのに今さら携帯電話の無い社会に戻れない様に。便利なものを使う様になったからと言ってその分出来た余裕を人は他の生産的活動や勉強等に向け努力したりすることは少ない。

なぜか。

今働いている人は何のために働いているのだろうか。今勉強している学生は何のために勉強しているのか。より大きな仕事をするためにキャリアを積んでいるのだろうか。更に高度な研究を進めるために勉強しているのだろうか。もちろんそうした人がいることを否定はしないし、その気概や賞賛に値する。多くはそうではないのではないか。
食べるために働いている?家族を食べさせるために?それもそうなのかも知れないが、それならもっと楽な仕事もあるはずだ。食べるだけならば。
つまり人はのんびり休んだり遊んだりするために働いているわけなのだ。

始めの話に戻すと、人が必死で努力して社会を変えようとしているのは変わった社会で楽をするためなのだ。彼の世代では無理かも知れなくても子孫の世代で楽が出来るなら頑張ろう、と言うことなのだ。通勤電車が早くなり多くなっているのも少しでも朝寝が出来るようにという目的なのだ。人は怠けるためにはあらゆる努力を惜しまない。難しい研究も複雑な社会制度改革も将来のんびり怠けるためにやっていることなのだ。

だから良くサボってしまったり遅刻が多かったり怠けたりしている人と言うのは、ちょっと先取りした新人類なのだ。
過去の賢人達の努力を認め、感謝する気持ちがあるなら彼らの分までぐうたらするのが正しい事なのだ。
せっかくここまで怠けても生きていける社会を作ってくれたのだ。一生懸命ぐうたらしなくては。





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