待ち続ける人

渡辺ヤスヒロ



例えば冷たい雨の降る日に来ないかも知れない人を外で待ち続けた事のある人もいるだろう。雨は深夜過ぎに雪になっているかもしれない。一人ぼっちのクリスマスイヴ。
それはともかく人は良く待たされる。行列に並ぶ事もある。
行列を作ったり待つ事が好きな人達がいる。行列の原因も、行列で人が待つことも前提されている。快適な待ち行列を作る方法や、待ち時間を快適に過ごす方法が持てはやされる。
某万博もそうだったが、行列や待ち時間は長いほど珍重される傾向にある。「トヨ○館は210分待ちだったぜ。」「日○館は6時間だったよ。」と長い時間を言った方の勝ちである。

考えてみれば30年前の万博でも同じことを言っていた。30年間人類に進歩(と調和)無し、とも言える。
一応ネットからの予約システム等が取り入れられてはいたものの、そんなもの焼け石に水。ネット予約ですら瞬時に埋まる上に実際の入場の3割程度しか予約を受け付けなかった。残りは当日並べと言うことである。そういうシステムの無い所も多々あったので取り入れていただけマシとも言える。最もその必要の無いパビリオンもあるわけだが。
やはり並ぶことになるが、それでも人は押しかけた。入場時間のほとんどが待ち時間となろうとも、弁当やペットボトルが持ち込めなくても、着ぐるみのモリコロがあんなでも、人は大挙して出かけて行ったのである。

人は待つのが好きである。言い換えても、待つのが好きな人は多いと言える。
待つために待つ。目的は何でも可。人がそこまでして待たなくてはならないのは何故か。

待ち人来ず。
来てしまうとがっかりする。こんなはずではなかった。待っている時間が楽しい。期待(希望)があるから人は生きていける。希望とは未来が見えないことだ。パンドラの函然り。本祭より前夜祭の方が盛り上がるのも本祭日を待つ気持ちからだろう。
学園祭そのものよりも、その準備期間の方が楽しかった思い出として残っていないだろうか。夏休みやお正月よりそれまでの日付を数える方が楽しくなかったか。
待つことこそ人の生きる道である。
ロシア人はそこに早いうちから気が付いた。日本人も行列にはうるさい。待つこと=生きることなのだから、快適な待ち行列は正しい結論である。

明日こそヒノキになろうというあすなろの木、人類は永遠に待ち続けるあすなろの木なのだ。
と考えながら待つと行列が進まなくてもそれほどイライラしないで済む、気がする。





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