ビールの美味さは泡にあり

藤野竜樹



 例年に洩れず、本年の夏も嫌になるほど温度がうなぎ昇りしているが、そんな暑さだからこそ、ビールが美味しいものである。猛暑の中の仕事を耐えに耐え、艱難辛苦の末に我々はようやく居酒屋やビヤガーデンにたどり着く。日本の居酒屋では、これだけの苦労をして来た人にのみ出す特別ブランドがあるが、看板には出さない店側の意固地なまでの姿勢にも拘わらず、このビールは日本の居酒屋でもっとも依頼量の多いビールとなっている。“とりあえずビール”という商品名の同ビールは、“生中”“生大”などの2位以下を大きく引き離すぶっちぎりで客たちの口から注文される。そして、同ビールは配られるのもそこそこに客たちにジョッキを掴まれて口に運ばれる。このように現代日本の大人にとって、とりあえずビールに対する思いは格別なものがある。
 浮いた泡の部分と共に口中に入るビールを飲み下すことで発せられる「はー。」及び「ぶはー。」「ふー。」などの溜息はとりあえずビールの作法のうちでも最も重要な要素に入るようである。筆者は日本人のほとんど全てが同じ行動を取ることに違和感を感じたため、あるときこの「ぶはー。」を我慢したのだが、とりあえずビールが身体中に強制するこの生理現象を無理に我慢したストレスのため、血中のアドレナリンの増加と心拍の不整脈を生ずるという恐ろしいことになり、さらに一緒に飲みに行った仲間達が筆者に対して突如として態度を硬化させ、今時赤旗を取っている人にすら言われないであろう「非国民だ!!」との罵声を浴びたものであった。(おごるから許せとの提案に彼らは同意したが、高くついた。)
 だがとりあえずビールが美味いのは、なんといってもその泡であることに異論は無いだろう。だいたい気の抜けたビールなど、パイルダーのないマジンガーZみたいなもので、味がない上に邪魔なだけ、ほんとにもう捨てるしかないてなもんである。やはり具体的物質である“泡”はとりあえずビールの味を構成する要素の中でも重要性が揺ぎ無いものであり、その質の向上はほとんどそのままビールの味を向上させるに等しいとすらいえる。だから、このビールの味を検証、また更に向上までさせようという試みには非常な魅力が感ぜられるのであり、本論はまさにその研究を紹介するものである。
 そう。この程、この泡の研究を進めた人々の中でもまさに究極を臨んだのではないかと囁かれたビールが開発された。仮名でないのに“とりあえずプロジェクト(計画)”という開発計画で作られたビールがそれで、途轍もなく大掛かりなプラントにより開発に成功したものだ。とりあえず、とりあえず計画で追究されたビールの“泡”とはいかなるものなのかを紹介してみよう。ああややこしい。

 仮名でない“とりあえず計画”はビールのために究極の泡を求めようとの研究全般を指すが、その研究は実に20年の時間と数兆円を越える資金が投入されたほとんど国家プロジェクトとなった。大げさに聞こえるが、その研究規模を記した以下の内容を知れば、なるほどと納得いただけるだろう。
 研究は大きく二段階にわたっている。まず最初に取り組まれたのは、“実質のない資産価値向上景気”、すなわち“バブル経済”を利用する方法だ。カラ売りによる株の価値向上を行い、市場全体の相場が実質価値以上に上がりつづけることをバブル経済というが、ここで生じる“泡”をビールに組み入れようというのだ。
 具体的には、円高で景気が過熱したところに、更にG7などで他国との協調を行って日銀の機能を一時的に停止させることで行われる。円の力は相対的に上がるから、海外の株や土地を買い上げ、更に投資熱は増す事になる。そしてまさにこのタイミングで証券取引所にホップを持ち込めば、一気にこのバブルを吸収することができるというのだ。
 実際に1985年に実験は行われた。究極の泡を作成するため、プラザ合意によって日銀はその活動を停止させられたのだ。このため、ダウ平均株価は瞬く間に上がりつづけ、やがて空前の高額を記録した。バブルはこれ異常ないくらい醸造されたから、ここでこのラガー研究期間はそれっとばかりにビールを持ち込んだ。溜まりに溜まった泡はだからこのビールに一気に吸収される...筈だったのだが...。持ち込まれた大量のビールはあろうことか、同景気に浮かれた株式関係者達で催された連日連夜の大宴会により、吸収される前に全て飲み尽くされてしまったのである。
 吸収→収斂の時期を逸した景気の泡が弾け、日本経済に大打撃を与えたことは歴史に示すとおりである。

 仮名でないとりあえず計画では上記実験の失敗を機に“自然に帰れ”のスローガンが掲げられ、やはり自然現象中に発生する泡にこそ目を向けるべきだとの機運が生じた。この考え方に沿って研究されたのが、“ボイド”を用いる方法だ。
 ボイドとは天文学用語だ。20年程前にマーガレットゲラーらが行った研究以来、宇宙には幾重にも構造があることが分かってきた。宇宙は我々の住む太陽系が所属する銀河系のような銀河がいくつか集まった銀河団、その銀河団が集まった超銀河団というように段階的に大構造を為している。そしてその超銀河団が寄り集まることで、蜂の巣のような構造を作るのが現在知り得る最大構造なのだが、その、蜂の巣で言うと宿主である蜂が入るべき空間、これがボイド(泡)と呼ばれる部分である。
 同部分はその大構造ばかりでなく、その真空度合いでも大きな特徴がある。超銀河団が収束する重力は強大なものになるため、ボイド部分の真空度は立方キロに陽子一個以下といわれるほどとにかく徹底的に何もないのだ。
 物理的に考えらうる究極の泡とはこのボイドである。すなわちボイドを作ることが出来れば、究極のビールに一歩近づいたことになる。ただ、ボイドを作るといっても、その大きさを再現するのは非現実だ。この場合におけるボイドの再現はだから、真空度の再現ということになる。
 仮名でないとりあえず計画はここに、巨大な吸引力を持つ吸引装置を使用している。この装置、吸引力はブラックホール(BlackHole)と同等の力を持ち、かつ陽子まで吸い込む(Hを無くす)ことからブラックオール(BlackOle)と名づけられている。これによって同計画はボイドと同等の真空度を再現することに成功したのである。
 次なる課題は、これをビールに応用する、すなわち生成したボイド空間をビールに入れ込むことだ。これの実現化は困難を極めたが、研究者は吸引とは逆の機構をもった装置を作ることによって乗り越えている。これはブラックホールに対するホワイトホールにあたる機構、すなわちワームホールを利用したビール空間への真空の埋め込みを行うというものだ。この装置は逆転機構を持つことからオールブラックと名づけられた。
 同機構をもって生成されたビールは仮名でないとりあえず計画を経て商品化されようとしている。オールブラックによって作られた究極のビールが量産化されるということで、その商品名にはオールブラックスと名づけられることになったらしい。

 ある居酒屋で最初に出てきたビールがラガーだったことから、そんなことを考えていた。





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