渡辺ヤスヒロ・加藤法之
火の神カグツチを生む際、陰部に負った火傷が致命傷となり、イザナミは死んだ。その死を惜しむイザナギは、彼女を追って黄泉に行く。イザナミに対する、再び地上に戻ろうという説得には成功したイザナギだったが、彼女がだした条件である「地上に上がるまで振り向くな。」という約束を破ってしまい、願い虚しく逃げ帰る。
古事記に見る黄泉の探検譚は、本邦人にとって最も馴染み深い昔語りの一つといってよいであろう。が、ギリシア神話にも、非常に類似した話が存在する。死んだ新妻エウリュディケを取り戻すために冥府まで降りていくオルフェウスの話だ。冥界王ハデスに許しを得、妻を連れ返ろうとした彼は、しかしハデスの忠告を破り、振り向いたためにエウリュディケは永遠に戻らなくなってしまう...。
地球の反対側の文化に生まれた再生譚がこれほど類似することに対し、ユング的な集合無意識という着眼点から解明する方法もあるが、机上理論的には、太古にあった蘇生術の一端を今に伝承していると考えたい。人間が自然の不可思議な感覚に対し未だ鋭敏であった太古なればこそ、実際に黄泉帰りをさせる方法が洋の東西を問わず出来ていたのではないか。そう仮定してみたいのだ。
だがならば何故、その正式な方法が今に伝承されていないのであろうか。それは無理もない。有史以来数千年、残念ながら復活を遂げた者などいないから、正式な復活手段は次第に忘れられていってしまったのである。しかしでは、何故そんなこと、すなわち、黄泉から帰還する者がまったくいないなどということになってしまっているのであろうか、それは上述した二つのエピソードに共通しているものが明示している。すなわち、冥界から連れ戻そうと願った者の方に振り向いてしまったことである。神であるイザナギでさえ振り返る衝動に耐えられなかったのだ。神ならぬ人間に、そのような誘惑を防げよう筈がない。かくして、神話の出来事以来何百億の人間がことごとく復活できなかった理由が明らかになったのである。
だが、蘇りの手法が永遠に失われたとうなだれるのはまだ早い。なぜなら我々は現在、実際に死から蘇った存在について、その生態をつぶさに観察していたからである。怪獣・ギャオスがそれだ。
知ってのとおりガメラ映画中、ガメラの宿敵として実に何度も、ギャオスは姿を表す。やられてもやられてもどこからともなく再び現れる彼の怪獣こそ、黄泉からの復活を成し遂げた唯一の生物としてあげつらうことが出来るのである。人類の夢よ今すぐそこに!
彼の怪獣はしかし、いかなる方法にて復活したのだろう。いかなる方法にて、黄泉の闇に振り返る誘惑に打ち勝ったのであろう。
この難問は、彼ギャオスが、口から怪光線を吐く代償として、首の両脇に頚骨を分け、その強固な二本の頚骨で頭をガッチリと完全に固定するように進化したことに思い至れば、至極簡単に解決できる。
何の事はない。黄泉から復活するとき、背後にどんなにか誘惑を感じ取ったとしても、ギャオスは振り向くことが出来ないのだ。
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