特殊産業特区のすすめ

藤野竜樹



 振り上げた手をいつのまにか降ろすことが得意な小泉首相であるが、氏のそんな残像拳のような改革案の一つに、経済特区の指定というのがあった。全国各地でその地域に特色のある産業について、規制を撤廃して発展させようという、いわゆる地域活性化製作の一つである。が、鳴り物入りでぶち上げた本政策も、例によって尻すぼみになってしまったことは周知のとおり。せっかく全国より提出された数千に及ぶアイデアも、各省庁によって無難なものだけが選ばれれば、そうなるのはあたりまえだろう。
 ただ机上理論としては、このように実用手前で埋もれてしまうというのは寧ろ興味をそそられるところであり、更に馬鹿馬鹿しかったりするとこれはもう「望むところ」だったりする。となれば、机上理論的にはこんな特区があったらいいな、できたらいいな、というアイデアは、もこもこと湧いてくるのである。よって以下、そんな暴走的アイデアをいくつかご紹介してみたいと思う。

 最初に紹介するのは、神奈川県横須賀市の“暴走特区”だ。
 東京から続く湾岸高速道を持つ同市は、茅ケ崎とともに暴走族が大活躍する場所として有名だが、今回企画した暴走特区はその困難を逆手にとった斬新なものだ。
 それは、市中にある高速道路を思い切って彼ら専用の、“超”高速道路に変更するというもので、そのためにこれまでの最高100km/hまでの速度規制を、その道路内では最低100km/hに変更するよう求めていたものだ。
 “最低”とはどういうことなのか。これは、同市が構想する超高速道路を通るために必要な条件ということらしいのだが、その謎は本道路の建設図面を見れば一目で氷解する。なにせこの道路、全長20kmほどなのだが、とにかく今までの常識では考えられぬ形状を持ったものなのだ。78度のバンクや最高落差350mの斜面などはまだまともな方で、173mの間道路がなくなっている場所や、ぐるりと空中一回転したり、メビウスの輪のように捻れていたりと、もはや正気の沙汰とは思えない。たしかに、この道路は100km/hなんて悠長な速度で走っていたら、全く前に進まないだろう。
 “走るアミューズメントパーク”。これが、市がその道路に冠している名称だが、それは娯楽の名称で済まされるレベルではなく、まさに“命がけ”というに相応しい。(筆者は“ハードドライビン”というゲームを思い出した。)
「そこなんです。」筆者がインタビューの際に使った“命がけ”という言葉に、同市の担当者は思わず膝を乗り出して答えたものだ。「暴走族はスリルを求めています。彼らのニーズはパトカーで追いかけたり市民が狙撃するくらいじゃ応じきれないんです。だから彼らが挑戦するに足る危険を我々で用意することで、無駄に走っている彼らに目標を与えられるんです。」
 この試みは斬新、かつ容赦が無い。先ほどのバンクなど、平均速度250km/hを維持しないと、完走どころか道路に張り付いていることさえ出来ないし、金沢八景に続く最終直線に至っては350km/hを下回ると道路が崩れ去るという(通称“宮崎駿道路”)徹底振りだ。中途半端な決意で暴走しているような者にこの道路を走る資格は無い。とまでの潔さが感じられるが、担当者の本気は環境への配慮からも感じられる。上記道路は全て市民への騒音対策のために地上300mに建設されており、失敗すればまず助からないからだ。(F-ZEROがこんな感じだった。)
 実際この計画が通った暁には、この道路を通れないような者は臆病者として暴走族を止めるだろうし、そもそもこの道路を通ろうとする者は9割方生きて帰らないだろうから、どちらにしても暴走族の絶対数は減るだろうことは明白だ。加えて道路の通行料金収入さえ入るとなれば、市にとって一挙何得か判らないくらいではないか。まったくもって計画が実現しなかったことが惜しまれる。

 次は福島県いわき市の“原発特区”だ。放射能の安全管理に厳しい規制を強いられていたこれまでの原発行政では、原発の未来に向けた発展的促進は難しいとされていたが、いわき市の提案はそうした背景から出されたものだ。
 同市の提案ではいわき市内における原発稼動に関して、
 1.原発内部における健全なプルトニウムの成長を妨げる制御棒の撤廃。
 2.杜撰な放射線管理に対する過剰な危機意識の排除。
 3.暴走する放射能の将来を考えた鷹揚な社会倫理の促進。
 4.使用済み核燃料の“もえるごみ”処理化。
 5.臨界状態を生み出すにきわめて効率的な消火用バケツ作業の復活。
等々を唱えており、再三の原発運転停止で原発銀座としての面目がなくなっていた同市の起死回生策として、この上無いインパクトを持っている。
 1〜3はいずれも、前途ある放射能の可能性の芽を摘み取る行為だとして、これまでずっと批難されてきたものだった。言われてみれば原発教育の現場では、プルトニウムに対して異常なほどの管理政策をとり、反対したものには制御棒で打ち据えるなど、目に余る暴力的な管理教育が横行していたから、こうした校則の廃止は人権...原子力権に対して当然の配慮だと思われる。4.も、今まで燃えないごみとして扱われていたことの方が異常だったのであり、今では“とっても燃えるごみ”に昇格してさえ良かったとの声も上がっている。5.は、たしかにメルトダウン直前の前科を持つ危険な作業とはいえ、今後のわが国の原発需要の増加を考えれば、攪拌作業における効率をあげる上で非常に重要な本作業を無くしてしまうのはとても惜しい.復活できないのならばせめて“シェーカー”や“スリバチとスリコギ”など、別種の道具の使用を要請すべきであろう。
 『来たれ、若者! 自分を(放射能で)変えよう!!』
というキャッチフレーズをエコ子に言わせるなど、オタク向けにも大攻勢をかけ、成功間違いなしとまで言われたが、ゴジラならともかく超人ハルクなんぞになった日には眼も当てられないから、今にして思うと情報を受け取る若者の側は結構覚めていたようだ。
 ともあれ、この提案が受理されていれば、同市内の放射能汚染は、一気にチェルノブイリを凌駕する世界トップに立つ事が出来ただけに、暴走寸前までいった特区誘致運動の挫折は見ていて気の毒なほどだったらしい。担当記者の言葉を借りればその様は、
「青くなってた。」
そうだ。

 お次は、大阪市は西成(あいりん)地区の治外法権特区だ。国家権力の及ばない無法地帯を作って、同地区に香港九龍城のような活気を持たせようとする計画で、もともと公権力が介入しにくい土地柄であることがあいまって、導入の容易さは群を抜くものだった。
 施策の具体的内容も、ハローワークなどの職業提供施設や食料供給事業といった福祉政策を廃止するに留まらず、警察・役所の引き上げ、果ては電気、上下水道の供給停止など、まったく同地区を独立国扱いしているのかと思わせるほど徹底している。これならまさしく行政活動のコストダウン効果は抜群であろう。
 構造的不況が延々と続く昨今、同地区に居住する人々の失業率は他の追随を許さないものがある。彼らを生活支援するために出費される公金は(外務省の宴会費を二桁下回るとは言え)膨大なものであり、大阪市財政への圧迫は日々深刻さを増している。そうした現状も知った上で見る本発想は、必然と見るか大英断と見るか。いずれにしてもこの、『同地区の治外法権化』が大胆な政策であることはいうまでもない。
 「保護でなく放任することで、彼らの潜在パワーに期待する。」という市当局者の談は、(切り捨てだ! と言いたくもなるが)ある意味理がある。というのも、現在生活保護を受けているとはいえ、元来関西人である彼らは、自由な状態に置かれることでこそ、本来の商魂を発揮できる潜在力を持っているからだ。織田信長からすら独立を保とうとした堺商人の気風は、一朝一夕に消えるものではない。(300年経ってるけど。)
 とまぁ、野次馬として見る分にはとても面白い計画だと思うのだが、残念ながら不採用となったのは言うまでも無い。だが、大阪市当局からはいまだに不採用となったことを惜しむ声が上がるらしいが、たしかに、これほど利点の多い政策が、どうして採用されなかったかは不思議思うところだ。が、大阪出身の内閣閣僚がふと漏らした「あそこはやるまでもないがな。」との声が、その辺の事情を察するにあまりある何かを感じさせてくれる。
 似たような例は東京都新宿区の“魔界都市特区”だろう。魔界との交流を活発にすることを目的に提唱され、元々超人的な能力を持つ住民が多い同地区はこの政策の実現にたいそう意欲を持っていたようだが、「既に魔界都市だ。」との意見で退けられたことまで似ているところは苦笑いを禁じえない。

 SFなところでは、岐阜県の“無重力特区”だろうか。なんでも目新しいことをしたがる知事にかき回されることで有名な同県だが、知事用の防空壕の余りの空間に作ったといわれるニュートリノ検出施設“カミオカンデ”が、小柴さんのノーベル賞受賞に思わぬ貢献をしたことで味を占めたのか、今度もまた突拍子も無いアイデアを出してきた。
 居住地域を探しているバルタン星人さんに住居を提供することで、彼らの無重力技を活用してもらおうというこの案、だから無重力特区。らしいのだが...、もはや正気を疑う。政府もこの案が出されたら似たようなことを思ったのではなかろうか。この地区で撤廃するのは、法律などといった生易しいものではなく、“物理法則”だというのだから。
 「無重力にすることで、重さを感じなくなりますし、そもそも空をとぶことができる。普段の生活では出来ない自由がそこには展開できるのです。え? お手玉が出来なくなるって? そんなこと、スカートが浮かび上がる素晴らしさに比べれば、とるに足りないとは思いませんか。」普段に輪を掛けて変な政策をぶち上げる知事の言葉は強気だが、言っていることは結構なさけない。
 この案件そのものが“宙に浮いた”ままで終わったのは、無理からぬことだろう。

 時間を指定した特区というのも考えられていたようだ。東京都江東区有明の、オタク特区だ。
 8月と12月に三日間ずつ行われるイベント内における、参加者の“倫理観・道徳観”を緩和するという政策で、会期中はその煩悩を思う存分開放してもらうことで、購買意欲の更なる増進を図るのが目的だ。現在でもイベント内部で売買されている商品の質について、幼児描写に関する倫理規制問題が表現の自由との間で問題となっているが、この場所ではそういうこと言いっこなしににしてしまおうという思い切りのよさが感じられてなかなか好感が持てる。
 こんなことになったら、会場はアダムとイブみたいな格好をした人間が歩き回り(筆者注:アダムはどうでもいい)、むさい男が幼女を追いまわす凄惨な光景が散乱し、売っている商品も“同級生を殴り飛ばす中学生日記のビデオ(同番組内では現行、ケンカは小突く程度)”とか“0.5秒先まであるミンキーモモの変身シーン”とかが出ることになり、それこそとんでもないことになるのではなかろうかと期待する...いやいや懸念するむきもあったのだろう。本案はろくに検討もされないうちに干されてしまったようだ。
 実を言えば、筆者もこれを聞きつけて早速用意した商品があった。“核ミサイルの発射ボタン”、“隣ん家の冷蔵庫のリスト”、“同僚の給料袋の明細(同級生の通信簿もあり)”、“鶴が機を織っている影が映っている障子戸の向こう”など、どれも「押したい!」「見たい!」と思わせるものばかりだっただけに、皆さんにご提供できなかったのは残念でならない。

 この他にも、バルカン人居留区における“感情規制撤廃特区”、ハクション大魔王や大庭詠美の住居付近での“算術規則撤廃特区”、修羅場を迎えている夫婦宅における“誤解を特区”(駄洒落かよ...)など、頭の弱いアイデアが目白押しなのだが、むしろこっちの頭がおかしくなるのでこのあたりで紹介を止めておこう。

 常識の撤廃もほどほどにするのが、机上理論の粋というものだろう。





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