きびだんごと影

藤野竜樹



1 桃太郎さん桃太郎さん おこしにつけたきびだんご 一つ私に下さいな
2 やりましょうやりましょう これから鬼の征伐に 着いて行くならやりましょう
3 行きましょう行きましょう あなたについてどこまでも 家来になって行きましょう
4 そりゃ進めそりゃ進め 一度にせめて攻め破り 潰してしまえ鬼が島
5 面白い面白い 残らず鬼を攻め伏せて 分捕りものを えんやらや
6 万々歳万々歳 お供の犬や 猿 帷子は 勇んでことを えんやらや

 つらつらと、童謡“ももたろう”の歌詞を並べてみた。1番から3番くらいまでは、筆者もそらで歌えるのだが、それ以降の歌詞をちゃんと覚えている方は少ないのではなかろうか。というより、聞いたことも無かったという人すら多いはずだ。“潰してしまえ”,“攻め伏せて”など、鷹派の文字が躍る4番以降の歌詞は、白痴的な安寧の続く戦後日本では、積極的に歌われることが無かっただろうから、聞いたことが無くても不思議ではない。
 筆者も正直なところ忘れていたクチなのだが、今回わざわざ調べてまでこうしてあげつらったのは、一般になじみの薄いこれらの歌詞の中に、これから考察する難題のヒントがあるやも知れないと、儚い望みを抱いたからだ。
 難題、それは、誰もが既知として見過ごすであろう桃太郎の中の重要なキーワードの一つ、きびだんごについてである。

 きびだんごのどこが難題なのか。それは、該当するきびだんごが、我々の普段何気なく考えているそれと、これから浮き彫りになる像とで、著しく異なっていることに起因している。ではどこが異なっているのか。一番の違いは、我々がともすれば持っているであろうきびだんごを軽視するその感覚である。我々は忘れているのだ。桃太郎中に提示されるきびだんごは、“貰う者が鬼の征伐にお供として着いて行っても良い”くらい魅力あるものであることを。
 考えてみて欲しい。我々は、目の前にきびだんごを持参して歩いている人がいたとしても、そのきびだんごをもらう代りに自分の生殺与奪権を相手に委譲しても良いなどとは、およそ考えない。もしそんなことを要求されたら普通は、「たわけた事言っとっちゃかんわ。」と、名古屋弁で一蹴するに違いない。(東北弁、関西弁でも可。)と、そこに思い至れば、それをあっさり承諾してしまう話の展開に、首を傾げない方が不思議というものだ。
 これには、反論も勿論あろう。所詮は畜生、目先の利得に目を取られて、後に待つ死線のことなどかけらも脳裏を掠めないのだと。しかし、これは浅薄な見方といわざるを得ない。何故なら、歌の歌詞に拠ればこの、きびだんごを欲しがった対象は、「あんたの家来になるよ。」と宣言してからすぐに鬼が島征伐軍に参加しているのであって、更にこれ以降凱旋までの模様を伝える歌詞のうちにも、“きびだんごを受け取った”とは書いていないのであり、まさか約束を反故にするようなことは無かったとは思うが、少なくともここからは“きびだんごの授受は鬼が島退治の後に行われる”ものだと考えられるのである。となれば、この対象は非常な苦労と手間をかけた末にきびだんごを手にするという、我々にはとても出来そうに無い労働条件を呑んだわけで、これによってすぐ食べられるという『目先の利益追求』説に説得力が無くなることが判る。
 このようにあらたまって違いを言い募ってくると、読者諸賢にもいよいよ本格的に不思議さが浸透しだしたのではだろうか。

 一体、きびだんごにどのような魅力があるのだろう。簡易に考えるのは、動物達をして鬼が島での活躍を喚起する、ドラッグのような作用であろうか。“攻め破り”、“攻め伏せて”、“潰してしまえ”などと、物騒な語句が並んでいるところはその辺りの論拠になりそうなところである。実際、鬼が島の市街における乱暴狼藉は目に余るものがあったのだろう。セクハラを受けた人などは思わず、「このケダモノ!!」と叫んだらしいが、そこは厚顔無恥な彼らのこと、一言、「だってそうだもん。」と言ったとか言わないとか。
 まぁ、根拠が薄弱なままの憶測はこの位にしよう。大体、鬼が島征伐時にきびだんごを食べたかどうか判らないのは先述のとおりなのだから。

 そもそも、筆者がきびだんごについて考えはじめたたことには、もう一つ経緯がある。それは、昔語りである桃太郎の冒頭、“むかしむかしあるところに、おじいさんとおばあさんがいました。おじいさんは山へ柴刈りに、おばあさんは川へ洗濯に。”なる場面における、この老夫婦の経済状況にたいする疑問だ。この老夫婦、一体どのように暮らしをたてているのだろうか。いや勿論、おじいさんが柴刈りの仕事をしていることは明らかだ。だが、どのくらい柴を売っているのか問題なのだ。単刀直入に言って、柴刈りによる収入だけで大人二人の生活をやりくりするのは不可能と言わざるを得ない。おばあさんは洗濯専門の請け負い業務をしていたことも考えられるが、ご老体に鞭打って行われる作業では、両者をあわせてもたかがしれている。いずれにせよこの疑問は、桃太郎の急成長を支えるだけの食費を賄っているところで更に増すのであり、彼ら夫婦に表向きとは別の、かなりの高収入を得ることが出来る副業を持っている可能性を匂わせるのである。そして、ここでいう老夫婦の副業こそ、筆者は“きびだんご製造”だと考えたのである。

 さて、そんなこんなでますますきびだんごの重要性を認識いただけたのではなかろうか。
 きびだんご製造にスポットを当ててみよう。製造を行うのは当然おばあさんだろうから、分業体制をとっているとすれば、おじいさんは原料である“きび”探しをするのだろう。だが、この“きび”は専門に探すことがかなり非効率なのだろう。普段は柴刈りに従事し、その途中で偶然見つけるというようなことをしていたと考えられる。そしてそれほど原料探しに苦慮するからこそ、作られたきびだんごに希少性が増しているのではないか。
 更に、ここに登場するきびだんごが“価値あるもの”として描写されていることが決定的なのは、きびだんごの輸送の仕方にある。というのも、一般に考えられているきびだんごの輸送は、ほとんど“ズタ袋様の袋に入れて、腰につけて運ばれる”というイメージが定着しているのだが、本話におけるきびだんごについてはこの常識は、これがまったく当てはまらないからだ。
 というのも、これまで我々は、上記歌詞に示す“おこしにつけた”を、“お腰に付けた”と解していた。だが、これは今回の筆者の調査により、そうではなく、
    “御輿に付けた”
とするべきだったことが明らかとなったのだ。
 御輿。屋形に二本の長柄をつけたもので、担いだり、腰に提げ持つことで運ぶ乗り物。
 人間である桃太郎でさえ歩いて旅をしているのに、あろうことか彼の所持する一アイテムに過ぎないきびだんごが、この、ほとんどやんごとなき方が乗る乗り物に乗せられて運ばれているのだ。これはもう、価値あるものとかいうレベルを超えているとすら言えまいか。

 どうしてこれほどまでにきびだんごの価値が上がったのかは、情報の少ない中ではどうしても先述のドラッグ説のように些か牽強付会な論を張ることになってしまう。だからここでは、きびだんごを巡るドラマを仔細に見つめるという手段をとってみよう。
 というのも、それほどの価値を有することが判ったきびだんごだが、実は、それほどの価値があることが了解されるからこそ見えてくる謎があるからだ。
 さっきも出てきた歌詞“一つ私に下さいな”と言っているのは誰か? というものだ。
 これも、普通に考えれば、犬、猿、帷子の誰かということになるだろうが、先述したように、桃太郎から鬼退治に参加することを提示された時、二つ返事で了解し、しかも成功報酬性だったことをあらためて考えると、その対象が犬、猿、帷子であるというこれまでの説に、俄かに首肯出来なくなるのである。(昔飼ってたうちの犬は、5秒以上“待て”が出来なかった。)しかもよくよく見れば、ここできびだんごを要求したものが従事したのは3番にある通り“家来”である。6番に示す“お供”ではないのである。
 我々はここにもう一回、先入観を捨て去らねばならない。

 犬、猿、帷子の“お供”達の他に、桃太郎に付いて鬼退治に出かけた第四の人物“家来”がいる。我々は彼について何が判るだろうか。
まず、彼が鬼退治の際にどういう役割をしていたかであるが、具体的な活躍をしたのが犬、猿、帷子であり、実際の戦闘場面にはまったく関与しなかったのは明らかだ。となれば、彼はいつでも後方にいて、獣達の動きを戦略上最大効果をあげるような形で補佐するような役回りだったと思われる。というのも、これも物語としての桃太郎を読むときの疑問だった、直線的な戦闘力にしかならない獣達を従えた桃太郎軍が、不意打ちとは言え勇壮無比で知られる鬼が島軍を打ち破ることが果たしてホントに可能だったのかという疑問が、こう考えることで少しは納得がゆくと思われるからだ。
 次に思い至るのは、彼の、きびだんごに対するかなりの執着ぶりだ。自分は采配を揮う立場にいるとは言え、一歩間違えば死の危険が常にある鬼が島戦に参加するのだ。どんなことをしてもきびだんごを手に入れたいとする彼の気概がそこにはプンプンと漂うが、万が一にも鬼達などに渡すことがあってはならないという考えもあったからこそ、わざわざ現場に出向くという仕事も受けたのだろう。そうした彼の並々ならぬ執着は、これまでで既に、きびだんごがかなり高価な品であるということが判っている我々にとって、ここにもう少し具体的に、“金銭関係に対する計算高さ”と換言することも出来るだろう。
 こうした考察、“裏で手を引く、金に目が無い”という、こんな抽象的な二つの人物像から、筆者は具体的な人物像を浮かび上がらせることが出来る。それは昔話に見る古の御世だけでなく、今我々の生きる現在にすら、連綿と活躍するある人物達...。
  大阪商人...。

柴刈りで隈なく山を散策しないと見つからないほど希少な原料で作られるきびだんご。
 それはだから、皇室と同等にすら扱われるほど貴重な存在として“御輿”につけて輸送され。
 その価値に目を付け、なんとか手に入れんと欲するは、大阪商人!
 彼らは昔日、自らの商売の安定のために、可能性はあっても小勢力だった織田信長の後押しをしたと同じく巧妙に、きびだんごの所有権を持つ桃太郎を後押しし、鬼が島征伐を成功させた。
 鬼共が集めた、一見絢爛豪華だがその実、換金率の低い戦利品を山と抱えて帰る能天気な桃太郎軍の背後で、彼らの無知蒙昧さにほくそ笑みながら、実はもっとも価値あるきびだんごを報酬として手にした大阪商人は言うだろう。

 なんちゅうたかて世の中、花より団子ですわ。





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