パワー・ポリティックスから見た太陽発電

菅田参史郎



 エネルギー問題なるものは存在しない、むしろ地球のエネルギー・バランスは圧倒的な供給過剰である、と主張したのは、フランスの思想家、ジョルジュ・バタイユである。あまりにもエネルギーが過剰だから、人間は溜まってしまう過剰を処理する必要がある、そのために徹底的な消費や破壊を行なうのだ、というのが、彼の有名な「過剰と蕩尽」理論であった。ラスベガスもワールドカップも戦争も、生存という観点から見れば、およそ無意味なエネルギーの消費に過ぎない。バタイユは、あれは余って余って仕方ないから、ああやって処理するしかないのよ、と説明したわけだ。
 では、どこにそんな莫大なエネルギー源があるというのか。バタイユ先生は空を見よ、と言った。太陽、である。たしかに太陽は毎日毎日、ほぼ無尽蔵に地球にエネルギーを与え続けている。しかも、その大半はまた宇宙空間へと虚しく放射される。地球の生物は、太陽の放射する熱量のごくごく一部しか使っていないではないか、もったいないもったいない、と言われると、おっしゃるとおり、一言もない。石油は所詮土のなかに埋まった化石の汁だから、掘ればいつかはなくなる。この、掘ればなくなる、という点では、石炭も天然ガスもウランもまったく同様だ。
 しかも、石油資源の厄介なところは、それが国際政治のもっとも面倒くさい部分と絡んでいる点にある。いつかはなくなるという希少性を楯にとった、たまたま石油だまりの上に住んでいたに過ぎない産油国の横暴。また、その利権をめぐって、大国どもはゴマをすったり、陰謀をめぐらしたりと、浅ましいことこの上ない。
 では、太陽発電に切り替えたとき、国際政治はどのように変動するのだろうか。まず、太陽発電時代の資源大国の配置が大きく変わるはずである。地上設置型の太陽発電装置を考えた場合、その立地条件は日照時間が長く、日差しが強く、しかも、広大な面積の空き地があるところになる。この条件をすべて満たす場所は、地球上に捨てるほどある。しかも、広がってさえいる。砂漠だ。地域名でいうと、アラブ諸国、サハラ砂漠を擁するリビア、アルジェリア、マリ、ナイジェリア、チャド。ゴビ砂漠周辺のモンゴル、中央アジア諸国。そしてアメリカ、オーストラリア。結局、産油国をはじめとする資源大国の優位はいささかも揺らいでいない。
 それどころか、ロシアは南方周辺国を再統合したがり、中国は広大な辺境地域への圧迫を強めるだろう。海上発電も可能となれば、太平洋の再分割をめぐって、二十世紀で終わったとされてきた血で血を洗う領土紛争が再燃すること、請け合いである。つまり、太陽発電が普及すると帝国主義が復活してしまうのだ。






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