世界人口300人説

渡辺ヤスヒロ



 紹介されて初めて会うはずの良く知り合いの知り合いが実は以前からの知り合いだったとか、まったく違うルートから友人同士が実は知り合いだったりすることは、多くの人が経験したことあるのではかと思います。
『世間と言うのは以外と狭いものだなあ。』と言いことなんですが、本当にそんなことは起こり得ることなのでしょうか。周りにいるはずの人間の数を考えてみれば特定の人と出会う確率は本当に小さなものではないでしょうか。ならば出会うことが運命だったと言えないのが科学です。同類相憐れむ、ではなくて、類は友を呼ぶと言うこともあるかも知れませんがそれでも確率的におかしいレベルと言えるのではないでしょうか。
 ここから導くことの出来る結論として、『世間は本当は狭かった』と言うものがあると言えます。
 つまり、世界人口は今知られている何十億人などということはなく、本当はもっと少ないのだろうということです。この考えを進めていき、実際に有効な数値としてと実は世界人口は全部で300人位しかいないんじゃないのか? という計算結果が出ました。

 これは、一人の人間が認識出来る他人が一度に300人程度と言うところから来ています。それ以上の人間は必要無い〜存在しないと言えるからです。
 すると確かに300人しかいないのならば、知り合いの知り合いが知り合い同士だったりしても大して不思議ではありません。100人知り合いがいれば、そのうちの二人がお互いを知っている確率は1/3程度ですし、知り合いの数が多くなればもっと高まるわけです。これはもう、運命でも何でもありませんよね。

 しかし、世界人口がたった300人というのはいくらなんでも無茶な理屈なんじゃないか?
そう思う人も多いでしょう。事実上、人が300人以上同時に同じ場所に存在していることは結構ありますし。
しかし考えて見てください。本当にそれは人なんでしょうか。例えばあなたが球場へ野球を観に行ったり、コンサート会場へ客として出かけた場合に客席には何万人も人がいるように見えたとします。しかし、あなたは彼らを人として認識しているのでしょうか。していないと思います。彼ら全員に話掛けてその人格の存在を確認したわけではありません。つまり彼らは人に見えて人でないと言えます。つまり映画で使う書き割りと同じ背景なのです。

 そんなことは無いはず、と思って話し掛けてみればもちろん彼らは答えるでしょう。ちゃんとした受け答えをする人も中にはいると思いますがそれは300人のうちの一人なのです。適当に答えたりすぐに去ってしまう人、それはNPCなのです。

 NPCとはNon Player Characterのことで、ロールプレーイングゲームに出てくるあらかじめ決まったことを話すキャラクターのことです。家庭用のゲーム機でのロールプレイングゲームでは今まではプレイヤーは自分ひとりで他はすべてNPCでしたから、NPCかどうか見分ける必要はありませんでした。しかし最近のネットワークゲームでは違います。ゲーム中に存在するキャラクタが他のプレイヤーが操作しているものなのか、プログラム上の動きをするだけのものなのか、一見して区別はつきません。対話アルゴリズムが高度なものであれば、2〜3話しをした程度では人と変わらない対応をしたりもします。実際の世界でそれが起きていないとどうして言えるのでしょうか。
あなたは、NPCに囲まれて暮らしていたのです。

 中には、名簿を作ってみて自分には300人を越える人と接してきたと言う人も出てくると思います。しかし、やはり同じ瞬間に300人と会っているわけではないと思います。もしかしたら、その300人が入れ替わったりしているのかも知れません。良く思い出してみてください。自分の知り合いでキャラが被るというか、似たような考え方や行動をする人がいるのではないでしょうか。同時に会ったことの無い良く似た二人。それは実は同一人物が中に入って別の役割を演じているだけに過ぎないのかも知れません。

 でもこうした考えでいると、人を人として扱わなくなったりするんじゃないかなあ。独裁者みたいに。ちょっと怖い話でした。






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