サイコメトラー菜食主義

渡辺ヤスヒロ




 サイコメトラーとは、物に残った記憶を読み取ることの出来る超常能力(サイコメトリー)を持った人である。主人公がこの能力を使って活躍したマンガやドラマ があったのでそれなりに知名度は上がったが、分かりにくい能力だ。
具体的には、ある事件が発生した現場に残された証拠品等に触れることにより、画像や文字の断片の様なものが浮かんだり、持ち主の意識や感情を感じることが出来たりする。もちろん物語ではあくまでヒント程度でしかない(ミステリの意味がなくなってしまうから)上に、連続で使用出来なかったり酷使すると眠気に襲われたりしていた。

 このサイコメトリーと言う能力は言うなれば感覚の一つである。そして、感覚と言うものは普通使いたいときに使って、そうでないときには使わないと言うことが出来ない。目を瞑っても耳を塞いでもマブタを見たり耳の中の血流が聞こえたりするのと同じだ。確かに注意深くすることによって初めて分かる様になるものもあるが、感覚器そのものの機能が変化するわけではない。

 そんな凶器を持てばたちどころに犯人を特定できる彼(彼女)だが、日常生活に不便は無いのだろうか。
余りにこの感覚能力が鋭敏だと、何か物を触ったりするだけで持ち主や製造者の意識が流れ込んできてしまい自分が今見たり聞いたり感じたりしていることが分からなくなってしまうのかも知れない。ここはやはり余程強烈なイメージや感情で無くては、読み取ることが出来ない程度の能力者と限定してみよう。

 物に残るほどの強い意識や感情とは何だろうか。ドラマの様に殺人が起きたりすればその犯人や被害者の意識は強く残ることになるだろうが、それは日常頻繁にあるわけではない。ではどんな情報が残っているのだろう。
 例えば恋愛感情であったり、妬み嫉みであったりするかも知れない。人によっては何よりそれが重要だと言うこともあるだろう。とは言え、やはり殺したり死んだりするような事件を起こすほどで無ければそれほど強くないのかも知れない。
 しかし日常的に死に直面する人達がいる。医者や僧侶、葬式業者であるが、彼らが直面するのは実は穏やかな死が割合多いのではないだろうか。死にたくないのに死ぬと言う強い感情と直面している人達、それは料理人や屠殺業者である。
 彼らにより日夜多くの動物達が(動物達にとって)理不尽な死を迎えているだろうことを考えれば、人間許すまじの感情が満ち溢れた肉料理が作られるのではないだろうか。
すると、サイコメトラーは肉を食べる度にその動物の断末魔を感じてしまうことになるのだ。いくら旨い料理であっても味わう余裕はないだろう。

 イスラム教圏では、肉料理を食べる場合にその動物の殺され方にもこだわる。「アッサラーム」と唱えながら頚動脈を切るような最も苦痛の無い殺され方をしていなければ食べることも禁じられると言う。殺される動物の感情にまで気を配るイスラム教徒はサイコメトリーな感覚を持ち合わせていたのかも知れない。苦痛が少ないのはともかくとして、殺された動物に宗教は関係無い様な気もするが。

 ではサイコメトラーは菜食主義者になるしか無いのだろうか?

 ここで話を戻し、強い意識や感情が物に残ると言うところから考え直してみよう。動物の断末魔は確かに強い感情かも知れない。しかし、やはり人の複雑で高度な感情に勝るとは思えない。そう、すべてを越える強い思いを料理に残せれば良いのだ。
 職人が精根込めて何かものを作ったり使ったりする時、強くその感情が情報として残るのはサイコメトラーでない一般人にもその作品を見れば分かることである。
 ならば、鉄人級の調理人が長年使った思いの詰まった道具で作った料理には料理された動物の感情が消え去るほどの意識が残っていると考えられる。
いやむしろ、サイコメトラーは「おいしいものを作ろうというコックさんの意識」を読めるのでよりおいしく食べることができるのではないだろうか?
 更に言えば、御飯を食べるとお百姓さんの88の苦労を味わうことが出来るのではないだろうか?

 本当のグルメとはこうしたものなのかもしれない。
ただ、料理人の手抜き根性もサックリ読まれてしまう上、料理自体がまずくても一生懸命作られたものを旨く感じてしまうと言う危険は残っているのだが。

サイコメトラーは料理に込められた思いを感じ取ることが出来る


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