加藤邦道
現在、JRをはじめ鉄道各社がその運賃を決めるときの基本方針は大体同じになっている。例えば距離的に近い場所へ行くときは安く、遠くまで行くと高くなる。特急などスピードの速い列車では料金も高い、などなど。遠くまで運んでくれるから高い、速く運んでくれるから高い、などこれらの料金体系はかなり納得のできるものである。
運賃は、鉄道会社が経費と利用者数との関係や競争会社との比較などを通じて、自社の利益が最大になるように設定したものである。しかし実はそれだけでなく、消費者である我々が納得できるようなものが採用されているということを忘れてはならない。かつて国鉄(現在のJR)が利用者の体重や持ち物に応じて料金に差を付けようと試みたことがあったが、消費者団体の猛反発であえなくお蔵入りとなった。重い荷物を運ぶにはより多くのエネルギーを必要とするわけだから、それは鉄道会社としてみれば当然の判断であったと言える。しかし消費者の共感を得ることができなかったために、実現に至っていない。例えば今この話を初めて知ったあなたはどう思っただろうか? あなたが太っていたら「とんでもない」と思うだろうし、痩せていれば「どっちでもいい」と思うに違いない。
つまり、鉄道運賃というものは鉄道会社の論理のみならず、それを受容する我々の論理にも左右されるということである。利用者が納得した上で料金を払う、それが重要だからだ。
さて、東京を筆頭に全国の大都市の鉄道の混雑ぶりといったら大変なものがある。特に朝と夕方の通勤・通学ラッシュは悲惨である。何とかしてこの混雑を緩和できないか? とは誰しもが思うことだろう。そのためなら多少高い金を払っても構わないとまで考えるかもしれない。
ではなぜ都市部の鉄道は混むのだろうか? それは郊外からの人口の流入があるからである。都市の、特に中心部の昼間人口は夜間のそれの何十倍にも達する。これはその場所に住んでいない人が大勢来ている証拠である。ということは、郊外にいる人はみんな都市に行きたいのだ。OK。ならば都市へ向かう鉄道の運賃を高くしよう。
これからはスピードと距離に加えて、目的地の人気の高さによって料金を変えることを提案したい。「行きたい場所に運んでくれるから高い」……これには納得せざるをえないだろう。例えば埼玉から東京へ向かうときの料金は逆方向の2倍であるとか、千葉から東京へ向かう料金は逆方向の5倍でも構わないとか。今はあまり聞かれなくなったが、かつては同じ路線の行きと帰りを区別するために、出発地と目的地の街の大きさを比べて「上り」「下り」という用語で表していた。今またこれを復活させようではないか。坂の角度(みんなが行きたいと思う度合い)に応じて「緩やかな上り」「上り」「急勾配」などと等級分けするのもいい。
1回1回切符を買って乗る人ならこれで「上りは高いなあ、行くのやめようかな」と思ってくれることもあるだろう。しかし定期を持っている客には通じないかもしれない。それなら定期も上りと下りで2枚に分けるのはどうだろうか? 1ヶ月定期の料金がその経路20往復分だったとすると、2枚の定期の合計料金は同じ20往復分とする。ところが、例えば上り料金が下りの3倍であるような経路では上り定期は上り25回分、下り定期は下り5回分などとする。こうしておけば「上りは高いから今月は下りだけでいい」とか「下り2枚ください」とかいう人も出てくるに違いない。
目的地に応じて料金を変えることで都市部の流入人口が減ることが期待できる。これによって鉄道の混雑が緩和されるのはもちろんのこと、都市への移動が負担になる郊外の人たちの自立、ひいては地方分権をも促すことになろう。人の移動が減れば環境に対する影響も少なくなる。それもこれもみんなが納得できることである。
今回の話では運賃が上がることはあっても下がることはない。このデフレ時代に、少しでも収益を上げたい鉄道各社は検討してみてもいいのではないだろうか。
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