火事場のばか力薬

穂滝薫理




 人は追い込まれると、超人的な力を出すことがある。試験前夜、締め切り直前、そして有名な“火事場のばか力”などなど。いったいこれはどうしたことだろう。きっと、潜在的にはそれだけの力が備わっていたのだろう。それが、普段は多分脳の働きによって抑えられており、ある種の特殊な状況下で解き放たれるということなのだと思われる。
 配線工事などをしていて、感電すると、人間が反対側の壁までふっ飛ばされることがあるという。これは実は電気の力ではなくて、人間の筋肉の力なのだそうだ。筋肉の収縮は、普段なら脳が制御していて、たとえば幅跳びにしても普通の人間なら助走をつけたとしてもせいぜい4〜5メートルしか跳ぶことができない。ところが感電時には、一時的に異常な量の電流が筋肉に流れることによって瞬間的に筋肉が収縮し、壁の反対側まで跳べるということなのだ。
 火事場や締め切り直前にも同様のことが起こっているのではないだろうか。しかし、どちらも体に電流が流れているわけではないし、締め切り直前にいたっては筋肉の働きですらない。どちらかというと精神的な力だ。とすれば、脳の制御を妨げているのはなんだろう。
 考えられるものとしては、徹夜明けなどにハイになっているときに脳に分泌されていると言われている麻薬様の物質(通称脳内麻薬)か、アドレナリンのような一種のホルモンである。追い詰められてどうにもならないと思える状況になったとき、これらの物質が大量に分泌され、脳の正常な制御を妨げ、通常では考えられないような力が出るのだ。超スピードで効率的な仕事ができるのだ。アイデアがひらめくのだ(今の私の状況がまさにこれである)。
 ところで、これらの物質は、物質である以上、抽出もしくは科学的に合成することが可能である。うまく合成できれば、超人的な力を好きなときに出せる夢の薬になるだろう。ホルモンならば、ホルモン注射にすればいいし、脳内麻薬なら粉にして鼻から吸い込めばいい。もう締め切り間際になって、半ベソかきながら論文の原稿を書かなくてもよいのだ。ナイス!
 ちなみに、普段これらの力が出ない理由は容易に思いつく。こんな力が恒常的に筋肉もしくは精神に働いていたら、あっという間にそれらはおかしくなってしまうだろうから。だから、“火事場のばか力薬”は使用上の注意をよく読んでご使用くださらなくてはならない。また、あなたの健康を損なう危険があるので、吸いすぎに注意しなくてはならない。







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