クローン技術が人権の概念を変える

古賀信之




 近年、生命科学の進歩に伴い、クローン技術の是非という問題が一般社会においても議論されるようになっている。アメリカや日本などでは、ヒトクローン技術の禁止を法制化しようという動きもあるようだ。
 この動きの背景にあるのは、「同じ人間を何人も作れるなんて、そんな技術は倫理的に許されない」という判断があるものと思う。この判断をつきつめて考えると、次のような事実に到達する。すなわち、現代社会の一般通念として、クローンはその遺伝情報を共有する個体と同じ人格である、という事実である。
 ここで想起すべきなのが、我々人類は、クローン技術の進歩前から、同一遺伝情報を共有する複数個体と親しく接してきていた、という問題である。高校で生物を選択した方ならばほとんど常識――すなわち、最近の削減された教育課程以前の市民ならば普遍的に保有しているだろう知識――として、これは当然ご存知だろう。もちろんそれは、一卵性多胎児である。

 この二つの事実を併置して考えると、次のような結論に達する。

 一卵性双生児のペアは同一人格である、というのは、現代においてすでに一般通念化している。

 私はあまり世情に通じていないので、今までこれが社会通念となっているとはうかつにも気づかなかったことを白状しておきたい。以下、そのようなうかつな人間の発言として、「何をいまさら」と笑い飛ばされるかもしれないが、これによって必然となる社会的改革事項を列挙していきたいと思う。

 まず、参政権である。当然、これは双生児のペア単位で与えられるべきである。これまで双生児には2票が与えられてきたが、これは他とくらべて著しい不公平であろう。そもそも、同一人格である以上、2個体の政治的判断が異なるはずもないし、ここは当然過剰な1票は返上されねばならない。実際にはあまり前例はないと思うが、双生児を構成する2個体が別々の選挙において立候補することを禁ずる条項も必要となる。
 収税に関しても同じである。所得税はペアの単位で控除額その他を計算しなければならない。2個体が別の職業に従事していても、それは一個人が「二足のわらじ」で食っているのと容易に対比できる現象であるから、煩雑な法改正は必要あるまい。
 双生児を構成する個体が犯罪を犯した場合、当然ペアを単位として逮捕され、裁判を受けねばならない。「刺したのはこの右手でだから、左手は逮捕するな」と言っても通用しないのと同じである。
 逆に双生児が犯罪の被害者となる場合であるが、特に殺人の場合、双生児の一方のみを殺害した場合には、通常の1個体1人格の個体を殺した場合よりも刑罰が軽くなるように、情状が酌量されるべきであろう。なぜなら、その行為によっては人格が完全にこの世から失われるわけではないからである。極端に言うと、それは殺人というよりも極めて重篤な傷害であるといえるかもしれない。
 結婚もペア単位となる。従来はペアの片方とだけ結婚するという、現代社会通念からすると奇妙な風習が行われてきたが(構成個体が別々の異性と結婚するというのは、明らかに重婚である)、新時代においてはきちんと2個体一緒に配偶者になるようにすべきだろう。双生児同士の結婚は、これによって4個体が関係することとなる。
 相続もペア単位で行われるのも言うまでもない。これを個体単位で行っては、他の相続人の取り分が不当に減少してしまうからである。
 民法関連の話が出てきたところで考えねばならないのが、戸籍における名前の問題である。双生児は2個体であっても1人格であるから、戸籍名も統一されるべきではないのか。これは考慮すべき問題である。私案としては、戸籍名はひとつに統一し、広く通称を用いることを許すというのがよいのではないかと思う。公共の場での通称使用というのも、最近では認められる風潮にある。これを援用するのが、現在の段階では適当ではないだろうか。
 雇用面でも多少困難が生じる。双生児の労働生産性は明らかに通常の1個体1人格の人間よりも高いので、これが労働市場において高い価格をつけられるのはうなずける。また、労働力を再生産するコストも双生児の方が高くなるので、労働者としての立場からも、賃金は高く設定されるべきである。しかし、だからと言って双生児に他よりも高い賃金を設定することを、他の労働者が感情的に納得するかというと、長い目で見ると不安が残る。これは将来における課題となろう。労働組合と経営者団体は、手遅れにならないうちにこの問題について協議しておく必要がある。特に、2個体が別の雇用者のもとで労働に従事する際は問題となろう。
 日本には徴兵制はないが、国民皆兵の国で双生児を徴兵する際にはどうすべきであろうか。これは、どちらかの個体が軍務に服せばよいものと思われる。兵役は国民に加えられる苦役ではなく、国防に参加しない国民がいないようにするという、平等に根ざした制度であるから、全人格を強制的にそれにささげなければならないというものではない(その精神としてはまた別であろうが)。であるから、双生児はどちらかの個体が軍務に服せば、その人格としては国防に従事していることになるから、もう一方は民間にいてもよいであろう。もちろん、希望するならば両個体を軍務に服させてもよい。徴兵義務年限を越えて、自由意志で軍務に残る人がいるのと同じである。
 国勢調査などの統計データも、多少修正が必要である。医学データとしては、個体単位の把握が必要であるから、人格にかかわらず双生児も一緒くたに扱うべきであろうが(例えば、「禁治産者はインフルエンザ感染率データにおいて2/3人分、というようなことはしないのと同じ)、「一人当たり国内総生産」「(社会保障などの文脈における)老齢人口比率」などの場合には、双生児をうっかり2人と数えないことが大切である。

 思いつくままに列挙したが、まだまだ見落としてはならない点が数多くあるに違いない。

 今まで人類社会は、社会の変化や技術の進歩に伴って、その社会通念を変化させてきた。法人制度然り、身分制度然り、猥褻の概念や著作権然り、為替の制度などもそれに類するであろう。そして、既成の秩序や規則が新しい社会通念を包含しきれなくなったとき、革命・反乱・文化衝突など、多くの悲劇的な事件が起こってきた。特に過ぐる20世紀において、その惨害は著しい。
 今こそ我々はこの反省に基づき、自らの古い秩序を冷静な目で見直し、悲惨な紛争の起きる前に改めるべきを改めていかねばならない。ここに述べた双生児問題は、その一角に過ぎない。我々の前途に広がる21世紀が理性と革新の世紀であるように、我々は多くの努力を続けていかねばならないだろう。

クローンは同一人物扱いするべき?
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