タイムトラベラーの報酬

藤野竜樹



「ない。ここでも売り切れだ。」
なんということだ。これで三件目。いったいどうしたことだ...。
彼は焦燥する。求めようとしている物がどの店にもないからだ。そんなことでと思うかもしれないが、彼の焦りは欲しい品が手に入らないということからだけ湧いているわけではない。というのも、限定生産500個の星野ルリのフィギュアを購入しようとしているのならまだしも、彼の探しているのはラブミーエイミーのフィギュアなのだ。こんなもん自分くらいしか買う者はいないだろう。と、それほどマイナーだと思っていた物が売り切れている。彼の狼狽の原因はそれがいかにも意外なことだからだ。彼は次の店に走る。自らの行為を振り返らない多くの若者たちと同じように。
 さて、上記のような、とてもじゃないが売り切れるはずがないと侮っていた品物を買い逃すといった場面、読者諸兄にはご経験がないだろうか。物欲優先趣味を持つ友人の多い筆者(当然筆者もだが)は、この手の話題を耳にすることが多いのだが、こうした話を聞くにつけ、筆者は以前から考えていたある考えに再び思い耽る。単に買いそびれただけ、ただそれだけの事実と言えばそれまでなのだが、それには実は以下に語るような理由が隠されているのであり、こうしたことがあるにつけ、筆者はその考えについて確信を深めることになるのである。

 科学雑誌などを読んでいてタイムマシン関連の話題があるとついつい興味を惹かれるものだが、タイムマシンの非実現性を論じた文章を読むとよくある論に、下記のようなものがある。
すなわち、もし未来の人間がタイムマシンを発明しているとすれば、過去にあった劇的な出来事の見物にいくだろう。そうなれば、関ヶ原の合戦は、両軍十数万の兵卒を取り巻く百万の観光客であふれ、ゴルゴダの丘に至っては数千万の人々で埋め尽くされてしまうはずだ。だが、現実には歴史はそうなっていない。未だ過去の重要な歴史の中でそうしたことが起こったとは記されたことはないのだ。だからそうした事実が、とりもなおさずタイムマシンを未来の人間も発明していないということを証明しているのだ、というもの。
これまでに三度ほど読んだことがあるから、不可能論の結構有力な論拠になっているのかもしれないのだが、この論旨、筆者には俄に首肯しかねるものがある。この論はタイムマシンが発明されたこと=タイムマシンが一般的な乗り物になるという前提をとっているのだが、これは少し楽観的にすぎる。タイムトラベラーの放任がどういうことをもたらすかなど少し考えれば判りそうなもので、漫画みたいなタイムパトロールがあるとは言わないまでも、その使用は厳しい規定の元に為されることが予想されるのである。同じ時間軸に数百万の人間が舞い降りるなど論外である。だが筆者がそれよりも眉唾に感じてしまうのは、そもそも、タイムマシンの用途をただの観光という純情な使用に限定していることが、「何青いこと言ってんだよ。」という斜な見方をしてしまうからだ。
そもそも、タイムマシンの作成は一見して一筋縄ではいかないことが予想されるのだが、それほどの困難を乗り越えてなおそうした偉業を成そうとするならば、その人は尋常ならざる切迫した衝動に突き動かされるという動機を持つ必要があり、併せてその発明によりかなりの経済的逼迫状況にあることも考えられる。わかりやすく言えば、タイムマシンを発明した人間はまず自分の利潤追求のために使うだろうと考えるのが自然なのである。
利益確保のためのタイムマシン使用で最も簡単なものは、未来に行って、宝くじの当選番号の書いた新聞を買うことだろう。ではそもそも今回の論旨で指摘されているような過去へのタイムトラベルではどうか。やはりそれが金儲けのために行われる可能性が大きいのだが、効率的に行う方法として筆頭に考えられるのは、タイムマシンを発明した人がいる時代に価値の上がっている品物を過去から“密かに”購入してくることだ。
よってそれが実行され、またそれが今日的視点から見て意外な品物だった場合はどうなるか。

と、そこで話は最初に戻るのだ。とても売り切れるはずのないような品物が売り切れるような事態が生じること、これは正に上記のようなタイムトラベラーによる過去への介入の結果、すなわちタイムトラベラーが未来からその品物を買い付けにきたからだと仮定できるのである。この仮定は、トンビに油揚げをさらわれたような気持ちのするこうした売り切れ現象の、その発生頻度が高ければ高いほど信憑性が増すことは納得いただけると思うのだが、実際高いんだよこれが。(児童書もよく読む筆者は、思いもかけずこれらの本が売り切れてしまって驚くことがある。ハリーポッターなんて何で売れるのかわからないが。ちなみに、講談社青い鳥文庫のはやみねかおる氏のある著作が一斉に消えたことがあったのは、挿し絵が吾妻ひでをだったからだった。)だから筆者に言わせれば、この現象こそが逆説的に、未来においてタイムマシンが実現されているであろうと断定できる根拠なのである。
嗚呼、未来における科学の英知に乾杯。

なんていい気になっている場合ではない。上記のような経緯を知った以上、筆者を含めた読者諸兄は皆、何らかの品物を買い逃した場合に陥る悔しさがこれまでよりももっと大きくなるからだ。何故ならそれは未来においてその品物にとても価値が生じることを示しているからであり、更にコレクターとして未来からの若僧ごときに一歩後れをとったことになるのだ。もはや地団駄踏んで悔しがるしかないではないか。しかしそうは言っても、彼らの行動の機先を制するのは非常に困難である。彼らを先んじようと店の前に徹夜で並べば、見慣れぬファッションに身を包んだ奇妙な男が、二日前から店の前に陣取ることになるからだ。(いや、オタクのファッションは未来もTシャツとGパンなのか?)
では我々には打つ手はないのか。未来の確実な情報源に勝つ方法は残念ながら思いつかないものの、地道ながら一つだけ手がないこともない。それは上述の奇妙な男の素性を割り出し、現代の時点では子供であるその男の両親を説得して、健康優良児にしてしまうことである。
未来が我々の手で変えられることこそ、我々の強みである。笑顔の似合う青年に達したとき、彼はオタクではなくなっているだろうから。



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