藤野竜樹
しゃぼんだまとんだ やねまでとんだ
やねまでとんで こわれてきえた
しゃぼんだまきえた とばずにきえた
やねまでとばず とちゅうできえた
かぜかぜふくな しゃぼんだまとばそ
『十五夜お月』『七つの子』『赤い靴』『青い目の人形』『雨降りお月』『兎のダンス』『あの町この町』『証城寺の狸囃子』など、現代にも残る有名な童謡をたくさん書いている野口雨情さん。上記の『しゃぼん玉』も氏による有名な歌だが、二番の歌詞はあまり知られていないのではなかろうか。実はこの二番の歌詞は、野口雨情さんが自身の早世した子供を忍んで作ったとされている。屋根まで上がることを人が成人に達することと捉え、夭折したことを途中で消えたと表現している。締めのフレーズはそうして見ると、我が子にすくすくと育ってほしいと願う親の切ない思いが伝わってくるわけであり、悲しいが美しい歌であることがわかる。
筆者もこのエピソードを聞いて涙で袖を濡らした一人であるが、ふとあることが胸に引っかかってしまった。それは、氏の子供さん、一体どうして亡くなってしまったのだろうかという点だ。これについて調べてみたものの、冒頭に記したような氏の業績のすごさを再確認することはできたものの、残念ながら氏の人となりに関する資料はほとんど集まらず、ためにこの疑問も謎として残ったままになってしまった。
と、筆者はここで考え方の方向性を変えた。亡き子供のことを氏が詩に詠み込んだのなら、ひょっとするとそのあたりの事情も歌に隠されているかもしれないではないか。となれば、この歌詞をもう一度吟味することによって浮かび上がってくる真実があるかもしれない。
本稿は、こうして野口雨情さんの子供さんの亡くなった原因を、歌の中から検証する事を目指すものである。
さて、改めて上記詩を読み返してみると、ふとおかしなことに気づく。詩中最後の“かぜかぜふくな”の部分、これは一見すると しゃぼん玉を飛ばすのに風が吹いたらその勢いで消えてしまうから、しゃぼん玉が浮いている間だけでも風よ吹かないでおくれ といった意味に受け取れるのであるが、よくよく考えてみるとこの詩は、しゃぼん玉を屋根の上まで飛ばすということを最終目標として掲げているのだから、これはちょっとおかしいのではなかろうか。
皆さんも経験があることと思うのだが、しゃぼん玉というのは、無風状態の中では下に落ちるのが普通だ。というのも、しゃぼん玉は人間の息をストローの先につけたしゃぼん液の中に吹き込んで生成させるものだから、中に入る気体は当然人間の吐いた息であり、その構成成分は大気の成分に二酸化炭素の比率が多くなったものなのだ。つまり、周りの空気よりも重いので、これにしゃぼんの皮膜自体の重さがあるから当然下に落ちるという理屈になる。しゃぼん玉の生成法には別に、金魚すくいで紙を貼ってある骨のように、針金を丸くしてしゃぼん液を浸し、それを空気中で振ることによって作るという方法もあるにはあるが、これも人の息を入れるよりも軽いとはいえ、しゃぼん皮膜の重さ分はあるのだから下に落ちることには変わりがない。つまり、この詩に歌っているような「屋根まで飛ぶことを願う」「風よ吹かないで」という二つの前提条件を、同時に満たすことは不可能なのである。
野口雨情さんほどの人が、この短い歌の中における自己矛盾に気づいていなかったとは筆者には思えない。というのも、氏の作品には上述の作品群を見ても判るように、『兎のダンス』や『証城寺の狸囃子』のような純粋なファンタジー系統のものと、『十五夜お月』『七つの子』『赤い靴』『青い目の人形』のように、現実をそのままスケッチしたような写実主義系統のものがあり、『しゃぼん玉』はどちらに列せられるかと言えば当然後者なのだから、この詩の情景も在りし日のスケッチであると捉えるのが自然なのである。ということはつまり、氏はこの詩が作ったときは、ここで指摘した自己矛盾を起こさないような状況下、つまり、子供が普通につくったしゃぼん玉が何もしないでも空に浮かび上がり、そこに強風が吹いてしゃぼん玉を消し去ってしまったというドラマがあったに違いないのである。
子供が作ったしゃぼん玉が浮かび上がる。この、見逃してしまいそうな一文がキーワードだ。つまり、この子供−前後の文脈からして当然野口雨情さんのご子息と察せられる−は、普通に吹いたしゃぼん玉が空に上がっていくような子供、しゃぼん玉の中に、周りの空気よりも軽い気体を吹き込めるような子供だったのだ。
空気よりも軽く、しかもしゃぼんの皮膜の重さ分を差し引いても上昇するような気体。自然界でそれを探すとすれば水素とヘリウム位のものだが、希ガスであるヘリウムは想定外だろう。とすれば野口雨情のご子息は、水素を体内から吐き出せるような特殊能力を持った子供、Xmenだったことになる。
突然変異か、はたまた改造手術か、体内のどんな化学反応でそれが起きるのかは想像すべくもないが、とにかく氏のご子息はそうした能力を持っていた。そしてそうであるなら、いやそうであればこそ、筆者が最初に抱いた疑問、野口雨情さんの子供さんが亡くなった原因を推察することができるのだ。
野口雨情さんの子供さんの死因。それはズバリ、
爆死
である。
無理もないことである。体から始終水素を放出し続けているのだ。歩くガスボンベのようなもので、どんな拍子に引火するか判ったものではない。彼が成人しなかったのは無理からぬことだったのである。そしてそう考えてくると、野口雨情さんがしゃぼん玉に我が子の死を詠み込んだ理由もよくわかろうというもの。だって氏の子供さんは、
こわれてきえた
のだから。
さて、しゃぼん玉の歌から野口雨情さんとそのご子息の悲しい別れを読みとったわけだが、そうであるからこそ、その死の重さと悲しみを悼んでこの歌を歌うことが、この歌の真の秘密を知ってしまった我々にできる唯一の供養だろう。
我々はこれからこの童謡を歌うときは、普段より1オクターブは高い声でキンキンと歌うことにしようではないか。何故なら氏のご子息は水素を吐いていたわけで、それならば当然喉の振動周波数が変わるから、普段のしゃべり方はとても高い声だったに違いないので、彼と同じ声質で歌うことこそ彼を忘れない一番の方法になるというものだ。
そしてそうすればこそ、しゃぼん玉同様、音も割れるのである。
おわり
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