穂滝薫理
1:なんでこんなに面倒くさいんだぁ
引越しをすると、非常に面倒くさいことになる。部屋の片付けや、引越し業者の手配のことではない。そのあとのことだ。住所や電話番号の変更届けを、あちこちに出さなくてはならないからだ。役所はもちろん、郵便局、会社(あるいは学校)、銀行、電話会社、保険会社、クレジットカード会社、それに親や友人ども(これは必ずしも知らせなくてもいいが)。また、それとは別に電気、ガス、水道の終了と開始の手続きも必要だ。電気ガス水道は仕方がないとしても、役所などへの住所変更届けは、同じ内容を各会社に別々に連絡せねばならない。特に役所などは、市内の引越しならまだしも、そうでない場合は、旧住所の役所に転出届を出して証明書をもらい、新住所の役所に転入届を出さなければならない。実際に引越す前に転出届けを出しておかないと、引越したあとにわざわざ旧住所へ戻って手続きをしなくてはならないのだ。遠くに引越した場合など最悪。しかも役所は土日は休みときてやがる。なんで、こんなに不満たらたらなのかというと、私は最近引越しをしたからだ。実は、数えてみると、私はこの12年間に6回も引越しているので、手続きの面倒くささは身にしみてわかるのだ。
なんたる効率の悪さ。例えば、私に関する情報がどこかにあって、それさえ変更してしまえば、役所も郵便局も銀行もそこにアクセスして、住所の変更を知るようにできないものだろうか?
と思っていたら、良い方法があった。それが、“国民総背番号制”である。
2.私の住所を1ヵ所で集中管理
私の住所と電話番号を、どこかに登録しておく。そして、それに他人と重複しないような番号をふって厳重に管理してもらう。住所が変わったときは、登録したものだけを変更する。そして、役所にも郵便局にも銀行にもその他もろもろの会社や人々にも、その番号だけを伝えておくのだ。
例えば、友人Aが私に手紙を出したいとする。Aは住所の変わりに、“1345-3322-9083-5017 穂滝薫理さま”と書いて投函する。郵便局は、登録された情報を見て、それを“東京都○○区○○町○-○-○”という住所に変換して、現在の私がどこに住んでいようともきちんと手元に届けるというワケだ。保険会社や電話会社が、重要なお知らせや料金の請求書などを私に送りつける場合も同様。
こうしておけば、私あての手紙が、前の住所に行ってしまうこともないし、以前住んでいた人あての手紙が今の私の住所に届くこともない。逆に友人が引越した場合も、住所録を書き換える必要がない。
電話番号も同様で、登録番号を電話機に入れれば、現実の電話番号に変換されて現在の私の電話番号につながるようになる。これは、何年も会っていない友人などに連絡をとりたいときに役に立つ。
うーん、これは便利。国はくだらんことでもめてないで、さっさと国民総背番号制を採用してもらいたいところだ。
3.どんな番号をふるか
とは言え、採用するためにはよく考えなくてはならないことがいくつもある。
まず、どこが管理するか。これは、国が責任をもって管理するしかないだろう。住所や電話番号のような、本来公開すべき情報であるとはいえ、勝手に知らない人に知られたくはないものだし、登録内容を改ざんでもされたら目も当てられない。また、この制度が確実に運営されるためには、国民全員が登録される必要があり、民間の業者では不可能だ。セキュリティーを万全にし、それ専用の機関を設けて、担当職員か登録者本人が許可した人でないものは、警察といえどもアクセスできないようにしておくべきだろう。
次に、何を登録しておくか。とりあえず本論の趣旨から言えば、住所と電話番号だけでよい。例えば資産状況などのプライバシーを登録しておくと、万が一情報がもれたときに重要な被害をもたらす可能性がある。国の管理といっても完全には信用できないものだ。同様に、生年月日、性別、本籍地(または出身地、国籍)、肉親の情報、犯罪暦なども登録するべきではない。名前すら必要ないかもしれない。名前は、芸能人や作家などで、芸名やペンネームを使っているときに不具合が生じるからだ。そういったものは役所で管理すればいい。
どんな記号を使うか。実は私はこの制度を国内だけでなく、世界に広げたいと考えている。だから、“あ-1”とか“A41”というような、特定の国や地域だけに通用する記号は避けなければならない。とすると、唯一の可能性はアラビア数字によるものだろう。アラビア数字を使っていない国も存在するだろうが、数の概念はどこにでもあるし、なんといっても記号が10個しかないから、いかに不学文盲の人が多い国でも覚えるのはたやすいだろう。世界人口は約50億人だから、数字で11ケタもあればことは足りる。11ケタだと999億9999万9999人まで登録できるからだ。しかし、実際には最低16ケタ、できれば20ケタくらいは欲しい。20ケタと言えば、電話番号2件分だ。覚えられない数ではないだろう。20ケタでは、9999京9999兆9999億9999万9999人まで登録できて、いかにも冗長すぎるが、そのことである程度の番号の不正使用を防ぐことができるからだ。不正使用とは、偽造や、番号を悪用するためのアクセスだけでなく、たんなる間違い使用も含む。どういうことかというと、例えば、奇数ケタには絶対に奇数の数字がくるというルールを設けたとする。もちろん、そのルールは割り当てる人以外誰にも知らされない。いや、コンピューター化すれば、割り当てる人すら知らなくすることができる。で、そのルールがあると、ある番号は誰も割り当てられていないわけだから、適当な番号にDMを送りつけるというようなことがやりにくくなる。もっとも手当たり次第に送りつけていけば偶然誰かのところに行くことは考えられるが、手間とコストを考えるとどうかと思う。また、例えば、最初の19ケタを足した数の下ひとケタを最後のケタに割り当てるというルールを設けたとする。すると、どこかで番号をひとつ間違えた場合に、ルールに合致しないため番号が間違っているということがわかる。番号を間違えたために別の人に手紙が送られてしまったということも防げるのである。もちろん、今例に挙げたような単純なルールではすぐに見破られるから、もっと複雑なものにしなくてはならないし、正しい番号かどうかの判定にはコンピューターが必要となる。また、20ケタもあれば、登録できる数に余裕があるから、個人以外に法人の登録もできる。
そして、誰にどんな番号をふるか。番号を見ただけでは、その本人を特定できないようにしなければならない。それだけではなく、番号からは、性別や国籍などいかなる情報もわからなくしなければならない。例えば、最初の4ケタが国名を表すなんて当然ダメだし、同時に登録した双子の兄弟が、1番違いというのでもダメだ。もちろん、“0000-0000-0000-0000”のようなキリ番(キリのいい番号)も割り当てない。そのため、番号をふるのは、国ではなくて、国連の下に設置された国際機関が必要になるかもしれない。
以上のような感じで、人は生まれたときに番号を割り当ててもらうことになる。番号は一生変わらないようにするべきだろう。また、番号は有限であるので、死亡した人の番号は抹消して、使いまわすことになる。死亡後も手紙が来ることはありえるから、実際には死亡後10年たったら末梢、とかそんな感じになるだろうか。
4.セキュリティーの問題
これは頭の痛い問題だ。
登録情報を書き換えることができるのは、本人のみでなければならない。見ることができるのは、本人と郵便局および宅配便など実際の住所を必要とし国に認可された業者だけとなる。銀行や、保険会社などは、ただ番号を知っているだけだ。
さて、登録情報を書き換えるときに、本人であるかどうかをどうやって認証するか? 役所などへ行って証明書などを見せ変更手続きを行なうという手も考えられるが、それも面倒だ。やはり、手元にあるパソコンなどの端末から変更できたほうが便利だ。その際の認証はパスワード方式以外には考えられないだろう。本人しか知らないパスワードを設定しておくというものだ。
しかし、ここにも問題はある。本人がパスワードを忘れた場合。これは最も起こりうる問題だ。特にお年寄りには多いかもしれない。やはり役所などへ行って本人であることを何らかの方法で証明し、パスワードを教えてもらうか再発行してもらうしかないだろう。面倒くさいが、しかたがない。本人が乳幼児の場合。保護者が代理人となるのが最も適切な処置だ。本人がパスワードを入力できない場合。例えば、事故で本人が植物状態になってしまった場合。家族などが役所に申請し、事実確認が行なわれた後に、パスワードを教えてもらうか再発行してもらう。そしてパスワードがもれた場合。パスワードを変更すればよいのだが、パスワードを入手した他人がパスワードを変更していたら、本人ですら番号にアクセスできなくなってしまう。その場合もやはり役所の世話になるしかないだろう。
パスワードではなく番号がもれた場合も問題だ。例えば、“広末の番号は○○番だ”というような情報が、ネットに流れてしまう場合が考えられる(まず間違いなく流れるだろう)。彼女の元には頭のおかしなファンからの手紙や電話が舞い込むことになる。残念ながらこれに対処する方法はほとんどない。仮に番号を割り当てなおしたとしても、すぐまたネットに流れてしまうだろうから、解決にはならない。この場合は、登録住所を事務所などにしておき、そこの人に手紙を振り分けてもらうしかないだろう。友人たちとの連絡には、携帯電話など登録しない電話番号や、電子メールを使えばよい。
いくら対策をとってもこうしたものは必ずもれるものである。だから、登録する情報は、住所と電話番号くらいにしておくのがよいし、従来どおり直接住所を書いて手紙を送れる制度は残しておいたほうがいい。
ところで、住所が変わっても登録を変更しなかったり、うその住所を登録した場合にはどうするか。これもどうしようもない。この番号制は、あくまで利便性を提供するための手段あるいはサービスとして割り切るしかないだろう。残念ながら、結局、最後は使う人たちの良心にまかせるしかない。
5.最後に
確かにいくつか問題はあるが、例えばセキュリティーの問題は、これから訪れるネットワーク社会では避けて通れない問題であり、遅かれ早かれ解決しなくてはならないものだ。だったら、うだうだ言ってないで、さっさと始めちまおうぜ。ねぇ、森さん、こーゆーのをIT革命って言うんじゃないの?
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