こどくな人類

渡辺ヤスヒロ



 様々な生き物は、自分が生き延びるための縄張り争いをすることがある。限られた餌場を確保することは生きていくための必須条件であるのだから当然のことだ。個対個の戦いに止まらず、家族や群同士の争いになることもあるだろう。しかし、人類程大規模な争いをする種はいないのではないだろうか。
 増してや人は、生きるためのみならず考え方が異なる、住んでいた場所が違っていた、何となく気に入らない、又、単なる脅威だから程度の理由で戦争を始めてしまう。そのため歴史上常に大規模な戦争をどこかでしていて、殺し合いを続けてきたのだ。
 なぜ人はここまで殺し合わねばならないのか?この疑問には過去様々な論議が繰り返されたことと思うが、ここでは生物進化論的な回答の一つを明示しようと思う。

 暗い洞窟に棲む生き物が何世代も経つうちに目が退化してなくなってしまうことがある。身近な例を挙げれば、学生の頃にあれだけ勉強していたことが社会に出て試験も無く使わないとその知識がすっかり忘れてしまったり、毎日練習していた楽器も使っていないうちに弾けなくなってしまったりすることがある。
 これらは明らかに進化、適合ではなく、弱くなっていると言える。
 また、自分を鍛えるスポーツ選手は、自分の体を鍛練によって責め続ける。これはその苦痛を超えて体が超回復することを知っているからである。
 つまり、種としての人類をより強くするためには、常に鍛えていなければならない。だから殺し合うことは必要なのである。

 蠱毒(こどく)と言う呪法がある。毒虫を108匹盆に集めて殺し合いをさせ、最後に残った1匹で呪いを掛けると言うものだ。この1匹にはそこにいた108匹分すべて集めた力が宿ると言われている。毒虫の殺し合いの様に人類が同種で殺し合う様は地獄絵図のようだが、この戦いに勝ち残った人類には特別な力が与えられることだろう。単に生存競争を生き抜いたのみならず、死んだ同種の力さえも得ているはずだ。
 おそらく現在の人類はこうした経緯を辿ってきたからこそ、類まれなる力を得ていると言える。その時の名残なのか、それともこの力を鈍らせることなく更に磨いていくためなのかは分からないが、人類は殺し合う遺伝子を持っているのだ。
 今までに殺意を持ったことの無い人はいないと思うが、それは殺し合うことによってより人類を強くするために仕組まれた生物としての本能なのだ。最近の若者や年少者が「ぶっコロす」などと物騒な事を平気で口にするのも人間として自然な進化なのだから、苦にするようなことはないのである。



論文リストへ