記号萌えはオタクの袋小路か?

東山錦一



 突っ走った題名で申し訳ないが、「記号萌え」といっても「♪はかわいいか?」といった話ではなく(「いや、♪ちゃんには萌えられるぞ」といった深読みを誘っているわけでもない)、記号化されたキャラクター嗜好のことである。 過去にウケたキャラの要素を抽出して集め、それらを混合して新たなウケ線キャラを創る、という手法が目立つようになったのは80年代からであろうか。そのあたりについては加藤法之氏による詳細な研究(机上理論学会1998年後期論文集および1999年後期論文集)を見て頂くとして、本稿では「それではなぜ人はキャラクター要素に反応できるのか?」という疑問について考えてゆきたい。

 もともとは特定のキャラに属していた要素も、キャラから切り離され、使い回されるようになると、そのキャラクターの特徴というよりは換喩というべきものになり、記号としての性格が強くなってくる。消費者であるオタクの側でもこのことはよく分かっていて、それと知っていて記号化キャラを消費する。オタクは自らの嗜好を表す際にしばしば「属性」という言葉を用いるが、この語は記号化された嗜好形態を見事に表していて、言い得て妙である。なお、この「属性」を英訳するならば、attribute ではなく alignment が適切であろうかと思う。
 これら「属性」の具定例としては、「めがねっこ」「妹」「メイド」などが代表的である。サーチエンジンを用いればさらに多数の例が得られるし、あるいはネットニュースの japan.sukisuki.* を見てもその一端を窺うことができる。ここで注意しておかなくてはならないのは、属性はフェティシズムとは異なる、ということだ。(よくよく追求してみれば、最終的には同じところに辿り着きそうな気もするが)ナイロン・フェチだの脚フェチだのの場合は具体物に嗜好が向いているのに対し、属性の場合は記号から読み取られる意味に嗜好が向いており、抽象化の度合いが高い。(とはいえ、「めがねっこ」等、具体物への換喩も多く、そういう場合は抽象化の程度が低いので、フェティシズムとの境界も不明瞭である)

 属性を持つようになる年齢は、どのくらいだろうか。今回は十分なリサーチを行うことができなかったが、おおざっぱにみて高校生あたりだろう。小学生ではほとんど存在しない。中学生あたりから現れはじめ、高校生以上になるとはっきりしたケースも増えてくる。予想される質問として、「それは単に、子どもはまだオタクになってない、というだけのことではないか」というものがあるが、これは否定してよいだろう。通常、オタクとしての素質は小学生、あるいはそれ以前から観察できるものであり、属性の萌芽期は別の要因に求めたほうが良さそうである。
 すぐに思いつくのが、「子どもには、属性のような記号を操る能力が不足しているのではないか」という考えであるが、これも少々苦しい。そもそも言語は記号であるから、子どもでも高度に記号を操っているわけで、子どもの能力不足というのは無理があり、それだけでは説明にならない。

 ここで再び、属性という語に注目してみる。ここで表明されているのは、(制作者の意図はどうであれ)自分がキャラクターをどう受け取るか、どう感じるか、どう自分の中に取り込むか、という基本的なやり方である。心理学者ピアジェのいう「シェマ」の特殊例とみてよいだろう。つまり、属性とは外界の事物であるキャラクターを自分の中に取り込んで同化させる際の、自分なりの方法のことである。

とりあえずの結論

 暫定的な結論を得る準備が出来た。ここでは二通りの結論を提示する。

 第一の案は、「属性を持つのは、そういう発達段階になったからである」というものである。 ピアジェによれば、十三、四歳ごろに、形式的操作期の安定を迎え、抽象的・科学的思考ができるようになるという。属性を持つようになるのはもう少し後の年齢層だから、そこでまた新たな変化がある、というのがこの案である。
 確かに、何か変化があってもおかしくはなさそうである。 形式的操作期も安定すれば、自己中心的な同化能力優位な状態から、柔軟な対応ができる調節能力優位な段階に移るはずである。しかし、現実には「誰が何を言っても、自分の考えに変換して聞くので、全く変わらないヤツ」というのがある。要するに、「頭の固いオヤジ」のことである。オヤジ化をひきおこす発達段階の移動というものは、やはりあるだろう。
 整理すると、「属性を持ちはじめるのは、オヤジ化の端緒として現れた同化能力の優越を示す現象である」ということになる。

 第二の案では、「属性は、『うっかり』形成されてしまったシェマである」と考える。抽象化された事物の扱いに慣れてゆくうちに、ついうっかりキャラの記号に強く反応するシェマをつくってしまった、というものである。
(「うっかり」でなくてもいいだろう、という声も聞こえてきそうだが、適者生存という観点からするとめがねっこに萌えていてもちっともいいことは無さそうだから、これは「うっかり」といってしまってよいだろう)

 第一案は、すっきりしているが、「同化能力の優越と言いきれるのか」という点が弱い。第二案は、属性が現れる年齢についての説明能力が弱い。
いずれにしても、さらなる検討が必要である。

まとめ

1. 人がキャラクター要素に反応するのは、どうしようもない
2. おそらく、人間の脳の基本的な機能に原因がある
3. alignment なら、マーフィーズ・ゴーストと戦っていれば変わるのか?
4. ゲートキーパーズの対象年齢って、どのくらいなんだろ?



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