電撃・清き一票

藤野竜樹



 これが読まれるころには古い話になっているのかもしれないが、これを書いている時点では少なくとも、少し前に衆議院議員選挙があった。
 筆者はひねくれ者だが参政権は可能な限り行使しているので、今回もしとしととそぼ降る雨の中を投票に行ってきた。
 今回は不在者投票が大幅にやりやすくなったせいもあり、戦後最低だった前回選挙の投票率をわずかに上回ったようで、その点評価はするものの、当邦人たちの政治意識の低さには今更ながらに嘆いて余りあるものがある。
 実際、国側もこのあたりは憂慮しているようで、寝ててほしいと(当時の)首相は言ったものの、一人でも多くの有権者に投票してもらおうという努力は多岐に渉っている。その中のひとつ、FAXによる海外からの投票についてのあれやこれやが、今回のテーマとなっている。
 選挙権があるにもかかわらず、海外に長期出張していたり、遠洋漁業などで日本に戻ってこられない人のために、今回特別に用意されたのがFAX投票システムである。対象者は出先にて、予め与えられた投票用紙に書き込んでFAXすればOKというものである。こうしたシステムに対してこれまで懸念されることの多かった電波情報段階でのセキュリティについても十分に考えられており、国側が満を持して出した画期的なシステムであった。
 が、今回このシステムを運用するに際し、非常に素朴ながら重要な問題が生じていた。それは、受信する側のセキュリティをどうするかという問題であった。
 当初、国側はこれに対してそれほど深刻に考えていなかったようである。実際彼らのとった最初の対策は、受信装置をそのまま箱の中につめ、それを投票締切時間である8時まで厳重に開かないようにするというものだったからである。
 だがこれを実際にテストした時に問題が生じた。FAXは意外に...というかよくというか、紙詰まりを起こすのである。十数枚の書類が送られてきた際、中の一枚が必ずウルトラQしているといった経験は、誰にもあるのではなかろうか。そんな枚数程度ですらそんな状況であるから、国側の楽観からテスト的にこの方法が導入された岩手県芥子墨村の村長選では、一気に10万通のFAXが寄せられた時点で受信機が案の定紙詰まりを起こし、以降ピーピーと悲鳴をあげている受信機に触ることも出来ない(8時までは絶対に開かない)担当者は、装置と同じく悲鳴をあげるしかなかったのである。
 この事態を重く見た国側は、問題が紙詰まりにあるとして、専門の紙詰まり撲滅班を組織、文字通り紙詰まりの防止研究に着手した。が、皆さんも大方御理解いただけると思うが、FAXと紙詰まりの関係は現在あたかも選挙と増収賄と同じような切れそうで切れない間柄になっており、同班に従事した者の80%が過労死するという悲惨な結果を出し、更に次のような悲劇をも生んでしまった。
 実際に同班の行った研究は主として三つ、1.FAXに通す紙を滑りやすくする。2.紙を出し入れするローラーの回転数を上げる。3.印字するレーザーの出力を上げる。というものだが、この方針が大惨事につながることになったのだ。というのも、テスト的に使用された群馬県ヨイトマケ村の村長選挙では、選挙会場に設置していた受信機の蓋が開いた途端飛び散ったFAX用紙が、1.で指摘したようにあまりにも滑りすぎた(バナナの皮の128倍を記録している)ため、投票所一面に広がった用紙により来場した人々がすべて転んでしまい、2.で送り出された超高速用紙が彼らに襲い掛かることになったのだ。秒速1700mと、鉄砲の弾よりも速く飛びすぎる紙の一群はこれだけでも人々を死の恐怖に陥れるに十分なものだったが、これをやり過ごしたごく少数の有権者たちにもまるで駄目を押すかのように、3.の高出力レーザが襲い掛かったのである。すべてが終わった室内では、でもやっぱり紙詰まりを起こした受信機があげるむなしい悲鳴と、切り刻まれた人々の無残な姿があり、ついでに言えば彼らの額には、“肉”と印字されてあったという。
 こうした失敗から、国も方針を転換、紙詰まり“撲滅”から紙詰まり問題対策チームとソフトに改名し、紙詰まりが起こったあとの処置をどうするかの方に解決の糸口を見出そうとしたのである。
 だがこの、“紙詰まりを直す”という、一見たいしたことではないことがまた問題を起こした。すなわち、紙詰まりを直すことによってFAX受信はまた可能になるのだが、その時に送信内容を見てしまうではないかという問題が指摘されたのである。
 この盲点に際し、最初は単純に、“目隠しをする”ことで何とかなると思った対策チームも、実際やってみると、目隠しをしたままでは今度は紙詰まりを直すことが出来なくなってしまうという本末転倒の事態が生じることに気づいた。(「息を止めて作業したらどうだ。」という意見も出たが、「それでどうにかなるのか。」とのもっともな反論が出るにつき、すぐに却下された。)
 紙詰まりを直す人間を、受信機と共に部屋に入れて閉じこめてしまうという方針は、こうして必然的に提案された。が、FAX音が洩れるとそれを解読する強者がいることや、何よりも入った人間が外の人間に合図をして情報が漏れる問題を懸念し、F15でも破れない厚さ50cmの鉄壁を持つ部屋を使用した。この方法は岐阜県屁鳴村の村長選でテストされているが、残念ながらこれも失敗に終わっている。受信機の紙詰まりは適切に処置されていたのだが、中にいた人間が悶絶死していたのである。原因は膀胱炎であったらしく、情報と共に○○も洩らさなかった彼には国民栄誉賞が贈られたものだ。
 この悲劇を教訓にし、同部屋には1978年度10月号の学研の科学の付録であった「組立インターホンセット」が設えられ、これで外部との連絡が出来るようになった。(これは情報秘匿のために採られた処置である。このセットは扱っている部品が粗悪品だったのか、もし「こんにちは桜田順子です。」と喋っても、相手側では「統一協会って素晴らしい。」と、関係のない言葉に変換されてしまうため、間違っても情報漏洩の心配はないのである。)これで何らかの合図をしてきたとき、外にいる人間は中の人間を連行し、速やかにトイレに曳航するというものだ。(勿論連れられる人間は猿ぐつわに目隠しをされ、便器の前で三回回されてから解放される。)
 これなら大丈夫だろうという国側の思惑も、またしても当てが外れることになる。厳重警備をかいくぐって侵入した反村長派のグループが、秘密を聞き出すことを目的に当該の紙詰まり警備の男性をトイレから連れ出し、二時間の拷問の末、FAXに書いてあった文字を聞き出すことに成功したのである。
「いい加減に吐いたらどうだ。比例代表の投票用紙にはどこの党が書いてあったんだい?」
彼は20年秘蔵の仮面ライダーカードを一枚ずつ目の前で燃やされるにつけ、とうとう吐いた。(サラセニアンの前だったらしい...。) 「に...日本新党...。」
 丁度相手が、ヨットで8年間無上陸旅行を続けていた堀江健一氏であったから良かったものの、この事件は国側に衝撃を与えた。考え得る手段は出し尽くしたと言うこともあるが、たかだかFAXで投票をしてもらうようにするために、次々と犠牲者をだしたことで、世論の批判も頂点に達しており、これ以上この投票方式に固執する気力が失せてきていたのだ。最近では伝書鳩を使おうかなどと言い出す者も出、月一回定例で行われる対策チームの会議では苦悩の声しか上がらなくなって久しかった。
 その日の会も先月同様の呻吟が響きわたっており、班長からはことここに至ってチームの解散についての案が出されようとしていたが、正にその時だった。チームの一人が呟いたのは。
「源さん...。」
静寂な部屋に妙に響いたその声だったが、壁に染みいるほどの時間を聞いた頃。
「そうだ、源さんだ。」「源さんがいるじゃないか!」「おおー源さん!!」
チーム内の全員からわき上がったシュプレヒコールは、彼ら自身賛美歌を歌うような高みに引き上げた。「源さん! 源さん!」それは止まず部屋に響き続けた...。
 金田源次郎、通称源さん。浅草で代々キセルを作っている老舗工房の職人頭である彼ならば、下水管だろうが毛細血管だろうが山下清のドモリだろうが、詰まりを直すことなど朝飯前である。それに何より、昭和ヒトケタの職人である彼は教育勅語を暗唱するとき以外は口が堅い! 彼になら屹度この重大な仕事を任せられる...。

 西暦2000年6月25日午後8時。2tはあろうかと思われる扉が開き、中から男がゆっくりと出てきた。
 手には勿論、送られてきたFAXの束を抱えている。額にはうっすらと汗をかいているが、足取りはしっかりとしていて、職人の証である“難しい顔”は崩していない。
 周囲の人々は、開票作業も忘れてしばし心からの拍手を送った。彼はとうとう、この前人未踏の作業を成し遂げたのだ。それは賛美されてしかるべきであろう。
 だが彼、源さんは、そんな祝福の中ですらニコリともしない。鳴り止まぬ拍手の中、彼はゆっくりと歩いてテーブルの上に用紙をドサリと置いた。そしてフッとほんの幽かに溜息をつくと、また無愛想に出口に向かい、そのまま出ていってしまったのである。弟子の一人の話では、近所の松ノ湯に一っ風呂浴びにいったのだとのこと。(今日の仕事における彼の武勇伝を聞きたければ、45度の熱湯に一緒に入った後、コーヒー牛乳を一気飲みすることだ。)
 あの日の選挙には、影にこの様なドラマが隠れていたのである。我々は一票の重みを軽んじてはいけないということが少しでも判って頂けたら、本稿を綴った何よりの喜びである。

PS 源さんは不在者投票を忘れ、投票できなかった様である。



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