京都守ります

渡辺ヤスヒロ



 古い街並みを売りにする観光地は小京都の名を冠する事がある。その元になった京都は古都と言われ日本の歴史上重要な建造物が残る以上の価値を持つ観光地となり色々な意味で保護されている。
 京都には何千年も前からの建物がそのまま残っていたり、町並みですら江戸時代から変わっていないと聞く。大きなホテルを建てることもできないようになっているようで、しばしば問題も発生している。先日京都駅舎が新しくなったが、そのモダンな建物には反対も多かったらしい。京都の街に住む人々は、古き良き京都を後世に残すべく日夜努力していると言うわけだ。
 古都を守る意味とはなんだろうか。何を守っているのだろうか。

 京都はその昔日本の政治的文化的中心であり、首都が江戸に移った江戸時代以降ですらそうであったようだ。今でも京都出身者には中華思想が抜けないと言われている。(「どちらからいらしたんですか?」「僕たちは東京から来たんです」「そんな田舎から良くいらしゃいました。」と言う会話は有名だ。)
 果たして『京都』とはそう言う物なのだろうか?
 確かに名のある寺社旧跡も多く、歴史的価値がそれぞれにあることは間違いない。しかし街そのものを残す必要があるのだろうか?
 街並み自体に価値がないと言うことを言いたいのでは無い。京都の街を今の形に作った人々は、どんな街にするのが希望だったのかと言うことだ。
2000年前に既に都会だった京都に建物を作ろうとした人々は、この建物が2000年経っても残るような歴史的建造物にしたかったのだろうか?その人達自身には古い建物を敬う気持ちが有ったのだろうか?
「昔の祭壇とか、貝塚とか、埴輪とか出て来たんですけど」「最新式の塔を建てるんだからとっとと片付けて地ならししといて」
と言う感じだったに違いない。
彼らは流行の先端を走り、輸入した海外技術にすぐ飛びつく『超』ミーハーな人達だったのだ。古い物など目もくれなかったどころか流行遅れを毛嫌いしていたに違いない。だからこそその時代の特徴がある技術や建物が残るわけだが。

 本当の意味で守るべきなものは、古くなった建物や仏像ではなく彼らの精神ではないのだろうか?京都の街は常に最新技術によって作られて来たのであれば、今もそうするのは当然のことではないだろうか?
 京都は古い街だから古いままにしておかないと、などという考え方はそれこそ京都に対して屈折した偏見を持つ田舎者の考えでしかないと言える。そんな部外者に京都の街をねじ曲げられるのは、京都を支えた過去の人々に失礼なのである。

 本当の文化・芸術とは普通に生活している中から生み出されるものではない。搾取したお金や地位で、流行を追いかけ新しい物に挑戦する為にそれをつぎ込む事によって作られていくものだ。封建制のあった過去にはそうした立場の暇な人達が文化を作っていたわけだ。
 これに似た特徴・気概を持つ人達が現在も生き残っている。その人達とは文化遺産を守る人でも無形文化財の技術を伝える職人でも歴史家でもなければ京都の街を守る会の人でもない。女子高生、OL達である。彼女達の行動原理や行動はまさに京都を京都たらしめた人達の物と同じで流行を追い、ファッションに命を賭け輸入品をありがたがる。本当の意味での日本文化・日本人の魂は伝えられていたのだ。讃えられるべき彼女達が1,000年後に評価されますように。もちろん昨今の女子高生文化を守り続けて欲しいわけではないので、ガン黒とか厚底サンダルとかに流儀や流派、『〜道』とかか作ったりしないように。



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