恐怖の大王 に係わる諸問題に関する考察

高橋英明



 既にご存知とは思うが、1999年に、恐怖の大王が降りてくるという概念がある。
 言う迄もなく、妄想だ と断定して無視する事が、最も安易で簡便な対処法である。だが、何もせぬ行為は、運を天に任せる事に 一致する。天命を待つ以前に、人事を尽くすべきであり、恐怖の大王に対し、考察を試みた次第である。(なお、以降は「恐怖の大王」の事を「」と 呼称する)

 とはいえ、彼(恐怖の大王)は 存在するのだろうか?
「彼は 来なかった」と する声が、大多数である。残念な事に、私も 彼の存在は確認できていないが、「来なかった」と言う結論には至れない。
 厳密な論理では、未検知から 存在の否定 に至る論理には飛躍があるのだ。
そして一般大衆に 論理の飛躍を 成し遂げさせた、暗黙の仮定は 主に以下の物である。
「恐怖の大王が 現れたなら、CNNで 報道する(だろう)」
「恐怖の大王が 現れたなら、新聞の紙面を賑わすだろう」
同様に、
「警戒態勢が引かれるはずだ」
「きっと騒ぎになるはずだ」
「誰かが なにか 言ってくるだろう」
などなど。これらの 想像は、我々が彼に、どの様な「恐怖の大王」で在って欲しいか、という願望を明確にする。分かり良く まとめると、我々が期待する恐怖の大王とは、以下の様な存在である。

降臨に当たっては
 予めCNNと綿密な打ち合わせを行い、全地球的規模の衛星生中継を準備する。(無論 その際、ハリウッドのベテラン・スタッフと認知心理的に有効な演出プランを作成し、最大限の恐怖を、娯楽として提供するために 試写会での反応によっては脚本から再構成し直すし、集客用に宣伝の一環として数値上は過去最大級の動員人数(か 収益)を達成させる為、一位になる様に、算出の方法(累計基準や母集団)を さりげなく操作することを 厭わない。)
 また、テレビ文化を迎合しないインテリ層を考慮して、新聞でも公表するだろう。(見開き全面 を買い取り、モダンな体裁で 贅沢に余白を用いながらも洗練されたタイプフェイスの活字で、文面主体の広告を以て、ウイットとエスプリに富みながらもピリッとスパイスの利いた切り口で、意見広告を匂わせながらも、要点(恐怖の大王が降臨した事)は的確に伝える。)
 新聞も取らず(読まず)、テレビも見ない 反社会的なライフスタイルも考慮し、信念や経歴、目的を明確にせぬまま、ライトバンの天井に四芯の角型スピーカーと白手袋+マイクで、半ば催眠術にかけるように 名前を連呼し、存在を主張するだろう、が、それにしても、朝三暮四な政策や名前の語感、(党代表の)ルックスで投票する馬鹿の存在を考えると、つくづく投票率の高さには困ったモンだけど、投票行く奴なんてダサイよ(って風潮をつくりたいですな)。
 そして 耳の不自由な方にも配慮して、「恐怖の大王と申しますが、この度、天から地球にやって参りました。アンゴルモアの大王を蘇らせますので、宜しくお見知り置き下さい。」と 寝たきり老人にも戸別訪問の挨拶を怠らず、その際、外宇宙名物のダークマター羊羹(ただし 名物に美味い物無し)と、伝統に則った引っ越し蕎麦 を 忘れずに持参する。

・・・などと 考えると、何も無かった事を 腹立たしくさえ思うが、憤っては 大人げない。
 彼の目的が、人類との友愛に満ちた平和的共存関係を樹立する事ならば、友好的交流もあり得るだろうが、しかし、(忘れていたが)彼は そもそも 怖ろしい、「恐怖の大王」なのである。恐怖を与えるという意味の 恐怖の大王だとすれば、人知れず 襲い来る事こそ マナーかも知れない。

 実は、恐怖には屈っしない、「自由のために闘い、自由のために死す」という 自由銀河同盟警邏隊員の様な方は、既に情報戦の まっ直中に置かれている。しかし、私の知りうる限り、彼の情報は皆無に等しい。情報戦に於いて情報の欠乏はまさに恐怖であり、(彼が虚偽の観念であろうと)その恐怖は現実である。
 沈黙で恐怖を与えることが恐怖の大王の本質なら、我々はその裏をかき、考えをやめることで我々は恐怖から逃れることが出来るし、これが この問題に関する 一般的な対策である。だがしかし、彼が それを見越し、その裏をかいていたら、致命的な事態になりかねない。

 我々は 彼を 妄想の産物なのか、何かへの比喩なのか、特定する術を持たない。恐怖の大王は、その正体はおろか、居ないかどうかすら不明で解らないのだ。油断していると、いつの間にか 恐怖の大王が都知事になっているかも知れない。安易な否定をせずに、用心と心づもりをしておくことを訴えて、本論を終えたい。
 最後まで読んでくれて、ありがとう。



注釈

彼:
 彼という語は、女性も含める語であるとして用いる。近年、彼という表現を男性のみに用いる風潮があるが、心外である。
 筆者は 例えば 少年・少女の他に少男などの言葉を作る必要は理解できるが、闇雲に既成の単語を廃絶しようとする風潮は疑問に思う。
大多数:
 来なかったという声は聞くが、来たという声は聞かない。
マナー:
 態度(マナー)は、価値観を反映するので、人格を かいま見せる。 彼の意図がどうであれ、あなたが 平和と友愛を希望するならば、(平和と友愛の支持者である あなた から率先して 立場の違いを理解するべきだろうから)是非、恐怖の大王 の陰謀に あたたかい声援を送って戴きたい。
情報戦:
「恐怖の大王 の予言は 嘘」と 解釈させる様に情報操作が行われている可能性もある。その場合、言う迄もなく、情報操作は、大成功である。
致命的な事態:
 我々は、可能性を考慮し、危険回避を行えると信じたい。数百円の出費で 数億円の債権 を抽選する(宝くじの)リスクは 数百円だ(参加可能だろう)。対し、数百円の収入で 数億円の負債 を抽選する(貧乏くじの)リスクであれば、確率上は 宝くじよりも貧乏くじの方が収入が良い場合でも、挑戦すべきでは 無いだろう。(聞いた話によると、宝くじの条件を 全く逆に換えた 「貧乏くじ」を考えると、元の宝くじ と 貧乏くじ とでは、参加者にとっては、貧乏くじの方が儲かるそうである。単純に考えても、宝くじの胴元の収益分は そうだろう)
 何を言いたいかと言えば、金の原子からブラックホールを造らないで欲しいと言うことだ。
恐怖の大王が都知事の可能性:
 嵐を呼ぶ都知事(ゼロヨンしんちゃん)を 王だと言っているわけではない。私から見ると確かに、カーレース開催を謳い当選後にディーゼル全廃論、その一方で米軍の滑走路民間活用という えらく柔軟な発想は まさに恐怖だが、特に彼のことを大王だと分類する理屈(と度胸)を持ち合わせては居ない。あの表現の意図は未来の可能性であり、「恐怖の大王」名義で 阿呆が出馬しても 投票してくれるな、という程度の意味である。


参考資料
  (アニメ映画) SF新世紀 レンズマン 1984年、株式会社ポニー



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