片付かない部屋(価値観と破棄基準)

渡辺ヤスヒロ



 きれい好きな人は部屋を片付けておくことが好きである。片付けられた部屋には物が少ない。
逆にきれい好きでない人の部屋は片付けられていない。片付けられていない部屋には物が多い。
 他人から見ればどう考えてもゴミでしかないものを捨てることなく部屋がそう言った物でいっぱいになってしまう事がある。なぜそんなことになるのか、部屋を片付ける前に原因を追求しておく必要があるのではないかと考えた。そうしなければいくら片付けてもまたすぐもとの状態になってしまうからである。

 ここで前提条件を以下の様に考えることにする。
・当事者は自分の個室(部屋・空間)を持ち、主な生活空間とする。そこは仕事場ではなく、プライベートな部屋である。
・個室は他人に出入りや管理されていない。(親が掃除に来たりしない。)
・他に倉庫や専用の物置等を持たないか、持つ予定がない。

 部屋が散らかる人にとっての問題はこんな感じになる。
自分一人で管理している部屋へ物を持ち込むのは自分一人だけである。自分に不必要なものや嫌いな物を持ち込む事はまず無い。にも関わらず部屋は物で溢れ生活することすらままならなくなっていくことがある。
 『住みにくくしたのは自分たちの責任』と歌にもある様に明らかに自分のせいなのだが、どうしてこんな事になってしまうのだろうか。
 原因は単純であり、分かっているのだ。物が多すぎるのである。片付けられるキャパシティを超えた量の物があるために散らかるのだ。しかもそういう人の部屋は片付けるより更に早い速度で散らかっていくのである。正確には散らけているわけではなく片付けられない物を持ち込んでいるだけなのだが。片付けられない物(量)の存在。それが問題なのだ。
 部屋に入る物の量を少なくする(少なく保つ)のが解決手段の一つであると言える。物を少なく保つためには増やさないことと、減らすことの二通りの方法がある。つまり一般的に言われるキレイ好きな人はいづれかを実践しているわけだ。
ではなぜ散らかす人はどちらも実践できないのだろうか。

ここで物が溜まっていく理由を考えてみる。必需品の持ち込みはキレイ好きな人もそうでない人も同じなので、異なると思われる物を持ち込み捨てない理由を挙げることにする。

1 収集癖がある。又はコレクターの場合。
 破棄基準が標準的であっても特定のコレクション対象に対して価値を認める。集めた物は基本的に捨てられたりしないので部屋に物が溜まることになる。結局物を集め過ぎた場合にはより大きな場所へ引っ越すかコレクションの保存場所を別に用意するしかなくなってしまう。  収集癖があると、自分自身のやっているコレクション対象以外の物でも『とりあえず価値がありそう』程度の理由でキープしてしまったりする。さらにそのまま数が集まってコレクションになってしまったりもする。悲しい出来事である。
 コレクションが一般的な場合には、今まで集めた物の一部を売ったりしてより価値の高い物を入手することも可能である。この場合にはコレクションの絶対数の増え方が穏やかなので部屋を圧迫することは少ないかも知れない。

2 貧乏性。物に愛着が湧く事のある人の場合。
 破棄基準が低いため物を捨てにくくなる。従って部屋は物が溜まる傾向になる。
 コンビニの買い物袋とか、新聞広告とか、包装紙、様々な空箱などが簡単に捨てられる人に取っては問題がないのだが、貧乏性であるとなかなか捨てられるものではない。こう言った物はあっと言う間に溜まっていき部屋に溢れて来る。
 貧乏でないとしても溜める事はある。身近な物を使って工作やオブジェの作成をしたりする人に取ってはありとあらゆるものがアートの材料になってしまったりする。すると殆ど全てのものが捨てられなくなってしまうことになる。
「これを使えば〜が出来そう。」と考えるわけだが、これも一種の貧乏性と言えよう。
 貰い物は捨てにくいので、消耗品でない場合には部屋に溜まってしまう。
 何かの記念品であるとか、お土産であるとか、賞品であったりすると尚更捨てにくいのでは無かろうか。実際のところトロフィーや賞状自体に価値があるわけではないがこれらが捨てられることは稀である。

 1、2どちらの場合もきれい好きな人に比べて物に対して認める価値が高いため、破棄すべきと考える基準をクリア出来ていないのだ。
破棄基準として以下の五段階を考えて見た。部屋を片付けていられる人は全てを捨てられるのだが、そうでない自分の部屋が片付かないと思っている人はどこかのレベルにいると思われる。

○自分の部屋から排出するべき物で見る部屋の片付け度チェック

安全レベル
・興味を無くした物
 元々あった物以上の価値や利便性を持つ物を取り入れた事により以前の物が不用になった場合に捨てたり出来る人。

自覚促進レベル
・不用品(価値高)
 貰い物の食器で必要ない物など。いわゆる不用品即売や、フリマで見掛けるタイプの代物。
 部屋が散らかって来たり、物が増え始める可能性があるので注意するべきである。

注意レベル
・不用品(価値低)
 使用価値がない訳ではないが、必要でないもの。一般的に見て破棄基準ギリギリ越えない程度のものが捨てられない人。
 大量のビニール袋とか、割り箸とか、古新聞とか。

危険レベル
・持ち込んだ物から発生する不用物(ゴミ)
 空箱、梱包材や包装紙、食べ物等の食べカスや空きビン、弁当箱等の一般的に見て誰でもゴミとして扱う物。これらは元々必要だから持ち込んだ訳ではなく、持ち込むための容器であったりと言った言わば付属品である。殆どの人間にとって破棄基準を楽にクリアする。
 しかしまれに、箸袋やマッチ箱、ティッシュのチラシ等のコレクターがいたりするので油断できないなどと言って保存したり、ペットボトルは何か役に立ちそうとか言って残したりする人もいる。ごみ捨て場にあるものでも、『まだ使えるから』と言って拾って来てそのままにしたりしてしまうので注意。このレベル以上はもう一般人に戻ることが出来ない生来のものであると言える。

最強レベル
・消耗品(廃棄物)
 切れた電球や、使用後の電池、鼻をかんだ後のティッシュとか、まあ、消耗した後に残ったもの。ゴミとして扱い易い。この辺りも破棄基準を楽にクリアするが切れた電球は綺麗だしとか言う人がいないとも言えない。ごみ捨て場にあるゴミ(壊れた粗大ゴミ等)ですら、その場で目的がなくても珍しいからと言って拾ってしまう可能性がある。この位のレベルの人の部屋に入るのは困難と見て良い。

 つまり結論として部屋を片付けられた状態に保つには、物を『集めず』『愛着を持たず』消耗品で無くても『使わない物』はどんどん『捨てる』必要があるのだ。
 従って貧乏性でコレクターな人の部屋が散らかっていくのは至極当然の事なのである。これらの性格が矯正されるか、これを超える片付け能力を身に付けるしか部屋を片付けることは無いのだが、コレクターにとって所有した物を破棄する事は自分の存在価値を否定することにもなる。まさに身を切られる思いをしなくては捨てられないのである。破棄基準のレベルが低い程部屋は片付くのだが、コレクターとしての才能も低くなっていると言えるのだ。物の真の価値はそれに愛着を持ち、良く知る事でしか分からないとすれば、コレクターにしか分からないと言える。自分の部屋がきれいに片づいている人には物の本当の価値やありがた味が分かっていないのだ。そう考えると部屋が片付いていないことなど些細な事だと言える。
 飽食の時代と言われ物が溢れている今こそ、物の真の価値を見分ける目が必要なのだ。部屋を片付けたりする暇があったら物を集めに出掛けようではないか。



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