茶柱の幸運

藤野竜樹



 烏龍茶の茶柱の中から抽出した成分が花粉症に効くのだという。随分前にTVで見たのだが、NHKの取材に対し、抽出した成分の入ったフラスコを見せびらかしながら、その研究者は得意気に語って(騙って?)いた。花粉症の元になっている杉も茶も裸子植物だから、茶の中にある、茶自身の花粉の行動を抑制する因子が効果を生むのだという。結果も良好で、将来的には薬としていきたい旨を研究者は表明していた。
 と、このニュースはそこで終わってしまったのが、ニュースの受け手であった筆者の方の衝撃はその後も暫く続いた。何故って、茶柱といえば、
  お茶を点てたとき湯飲みの中に直立して浮かぶ茶の柄の部分
ではないか。
 そもそも残念ながら、筆者はこれまでの人生で一度か二度くらいしか自分の湯飲みの中にそれを見たことはない。筆者は幼年時より、水はよく飲むがお茶はあまり飲まないから、一概に自分のそうした回数の少ない経験を敷衍して考えてはいけないかもしれないのだが、それにしてもこの“茶柱”というものは、いつ立つか判らない代物であるということに間違いはない。
 であるから、この研究の重みと価値がどれほどのものかは計り知れないものである。上述の筆者の衝撃も推して頂けよう。

 “こつこつと溜めた茶柱から抽出した、至宝の薬なんです。”
そう語った研究者の言葉には格段の重みがある。それはそうだろう。フラスコ一杯のエキスを抽出するのにどれ程血の滲む努力があったかを考えると、筆者などはもう気が遠くなりそうだ。研究所の裏庭には山かと見まごうくらいの茶殻が積まれることになるはずで、くだんの研究者をはじめとする研究所員達はきっと胃腸が丈夫になったに違いない。(自慢げな彼の横で、TV局のバイトの兄ちゃんがコードを引っかけてフラスコを落としたりする事件はお約束だろう。)

 この研究を発展させてみたところ、この茶柱エキスがうっかり薬効が高かったりすることが判明したなんて事になると、これまた興味深いことになる。当然評判が評判を呼ぶから、茶柱は大変なブームになることが予想されるのである。更にそれによって茶柱の価値は高騰するだろうし、結果、社会への波紋は少なからぬものにまでなってしまうのだ。
 本論では、その様に大仰化した上記研究が社会に与える影響のシムレーションを試みている。


 急速に発達してきた茶柱市場は、新たなビジネスチャンスを女性にもたらした。上手に茶柱を立てることの出来るいわゆる“茶柱リスト”が脚光を浴びたのである。
 一般人が何気なく煎れるお茶にごく希にしか立てることが出来ない茶柱を、およそ十数回に一回の割で確実に立たせることが出来る者に対して送られる称号が“茶柱リスト”である(byおとなの試験)。国家試験は毎年三回行われ、受験者は十五杯のお茶の中で一つ以上の茶柱を立てなければならないという過酷な試験であるため、国家試験中最も狭き門となっている。(本試験にパスする最も確実な方法は、日本お茶協会が主催する通信教育だろう。一流の先生方の指導の元、一日十五分の練習によってメキメキと上達し、半年後には試験に臨めるまでになる。テキストはバインダー式になっていて...って、このネタ一回やってるね。)
 そんな厳しい試験にも拘わらず、日本の女性の多くがこの試験に臨み、その多くが合格の栄誉を受けている。茶柱を立てる素養が彼女らに多く潜在していたというのがその理由だが、これにはOLにお茶汲みを任せてしまうといった、日本企業の長年の因習が起因していると思われる。何故なら、本試験に合格するのは主婦ではなく、そのほとんどがOL出身者だからである。
 茶柱を立たせるのはお茶を点てるのが上手くなければいけない。しかしそのお茶も、表千家とか裏真影流とか、茶道の流儀では意味がない(粉末状だから茶柱は立たない)。となれば、お茶を煎れることが半ば専門職化しているOLにスポットが当たることになる。
 多くの茶柱リストを排出してきたスカウトマン、丹任炒雄は語る。
「昔はね、その会社との取引が全くなくても社長に面会申し込んだりしてね、で、会見自体は目的じゃないから社長とは無駄話すんやけど、お茶出してくれるときだけ目ぇ光らせたりしてね。」
 彼が飲んだお茶が転機となって職を変えた女性は多い。年収1,000万を越えるある茶柱リストの女性は言う。
「私、某商社でお茶煎れやらされてたんです。で、どうしてこんな事ばかりやらされるの、私はこんな事するために会社入ったんじゃないわって、思いきって会社やめてこの試験受けたんです。」
 彼女の煎れたお茶には驚くべき事に70%の割で茶柱が立つと言うから、その技術たるや確かに高給に値するものである。(それでも基本的に偶然にしか頼っていないとの事であるから、彼女はマクガイバーと同じくらい運が良いのだろう。)
 彼女は現在、一日800杯のお茶を煎れるのが仕事だという。実に充実した毎日である。

 花形と思われた茶柱リストであるが、ここに来てその将来に影が差している。というのも、フェミニストによる熱心な働きかけによる男女同権の思想は、男女雇用機会均等法の施行にその一部が結実するが、皮肉にもこれが、茶柱を立たせるテクニックを持つ女性の養成を困難にしたからである。元々同法律はOLがお茶汲みをさせられたことに対する反発が端緒だったといわれているから苦笑するほかないが、同法施行から女子社員が堂々とこの種の仕事を拒否する様になった結果、お茶汲みに従事するもの、引いては茶柱を上手く立てることの出来る者は今や絶滅の危機に瀕しており、OLという職種から茶柱リストの卵をスカウトしていた茶柱市場は危機感を強めている。しかしだからと言って、上記法律を白紙撤回すればよいというものでもないらしい。
「今からではもう遅おまんのや。お茶汲みの技術て、OLの炊事場の長話の中で自然と先輩から後輩に伝えられてく言うもんでしたんですわ。それが中止されてもう何年も経ってしまってるから、伝える人がおらしまへんのや。」丹任氏は語る。
 元々OLは3〜4年で結婚退職するから、連綿と続いていた技術の伝承はこの数年間の断絶の間にすっかり途絶えてしまったというのだ。なら専業主婦の中から探せば良さそうなものであるが、
「あかへんあかへん。奥さんになってもぅた人は煎れ方が我流になってもうて使いもんにならへん。旦那がよう黙って飲んでるな言うくらい変わってもうとるのや。それにもしまだ上手いこと煎れる人がいたとして、旦那のおらん昼間に上がり込んでお茶煎れてもらうなんてころでけまっかいな。」
だそうだ。昼間...団地妻...、至極もっともと頷いてしまうのである。


 さて、上記のような経緯から、茶柱リスト以外からの茶柱の供給先を探すことが茶柱業界の急務となっているが、そうであるから、少しでも茶柱を立てる可能性のある人物が注目されることになる。
 高橋源太郎。76歳。40年間勤めた魚類精製会社を定年後に再就職した清掃会社も去年を区切りに辞し、なかなか縁談がまとまらずに焦らされた長男も、今では三つ向こうの駅から一五分のマンションに一家三人で暮らしているため、今では悠々自適に閑暇の日々を送っている。平凡な日常を送ることに満足しているそんな彼の楽しみは、小さな庭を見渡すせる縁側に腰掛けながら飲む一杯のお茶だ。今日も、妻(あき73歳)がいれたお茶を待ちかねたように受け取り、湯飲みの蓋を取る。
「おや、婆さんや、茶柱だがや。」
「あら、それは珍しいわなも。」

 茶柱を立てることの出来る第二の候補としてはやはり上記の縁側の老夫婦を押さえねばなるまい。阿吽の呼吸からもたらされる一杯のお茶は、人生の悲喜こもごもを経過した者でないと出せない味があるが、そこに立つ茶柱もまた絵になるものの一つであろう。
 それほど茶柱との相性が良さそうに見える縁側老人であるのに、茶柱業界が彼らに今まで注目してこなかったのは一見不思議に見える。それは彼ら絶対人口の少ないことも要因の一つではあるが、彼らの持つ秘匿性に主たる因を負っている。
 というのも、元々茶柱が立つことを瑞兆の一つと定めたのは道教なのだが、そこでは正式には、立ったらそれを誰にも言わず、しかも利き腕とは逆の手に箸を持ってそれを摘み、落とさないように袖の中にそっと入れられたら願い事が叶うという呈の儀式を経るものなのである。このため、お茶を飲むことにかけては年齢平均では最も多い世代であるにもかかわらず、茶柱を立てたことが他者に漏洩する機会が非常に僅少となることになり、実際の発生件数に比して茶柱の生産量が低く見積もられていたのである。(潜在的オタク人口が如何に多いかがビッグサイトに来て判明し、吃驚することに似ている。)

 だが住宅街の縁側に普通に見られた、上述の平和な光景はここに、一変することになる。
 目に刺激を与える赤い回転灯が周囲の闇を染める中、現場検証に来た警察官達が庭のあちこちを調べている。そして縁側の真ん中には、放心したように、源太郎が腰掛けている。
「裏のお爺ちゃんが、縁側で茶柱を取られたそうよ。物騒な時代ねぇ。」
囁く近所の声は、的確に状況を伝える。加熱した茶柱ブームは、この様な縁側の老人を狙った茶柱強盗までも引き起こすようになっていたのだ。
 源太郎は、茶柱を立てた湯飲みを持ってウキウキしていたところ、突然塀を乗り越えて黒服の男がやって来、その手にしたお茶を略奪されたというのだ。
「(その黒服の男は、)儂の目の前で、腰に手を当てて、一気に飲み干したんだがね。」源太郎は呟く。
 実際、彼ら縁側老人の茶柱立ての確率は、熟練した茶柱リストに勝るとも劣らないと言われている。事実上述の高橋夫妻は、縁側にて実に十回中六回上記の会話をかわしていたことが報告されており(残りの四回は、「婆さん、また、入れ歯入っとるがね。」だったという。)、ただ煎れる回数が少ないために絶対数がないという事らしい。だがこの点が、茶柱専門の窃盗団に目を付けられる原因になったようである。
「裏のお爺ちゃんのとこの回りには、最近めっきり変な人がうろつくようになっとってねぇ、今日みたいな事おこらなえぇがなんて言っとったんだわ。」
近所の主婦は井戸端会議でそう語ったが、その言どおり、近年はこうした老人の元を組織的に覗き見して機会を窺う窃盗団が増えてきたという。
「高台にあるマンションの屋上に一日中陣取って、大きな望遠鏡置いて見てるんですよ。ぼくらの居場所侵害されて、えらい迷惑ですよ。」ストーカーの某氏は、暗視カメラを抱えたまま憤慨したものだ。
 この様な縁側老人の茶柱を狙った茶柱強盗は今年に入って急に増加するが、それは前述の丹任スカウトマン氏の茶柱リスト減少説を裏付けるものであり、してみれば来年はもっと多くなることが予想されるわけで、お茶も落ち着いてに飲めない世に悲嘆にくれる人も出てきている。老い先短い好々爺の楽しみは、こうして現実の荒波に巻き込まれていく。


 さて、こうして一介の研究がもたらす世間への影響を予測してきたわけだが、経済への波及は予想外に大きく、ために社会不安も同時に伴うことが示された。最後に、そうした組織的犯罪機関とそれに対する司法機関の存在を示して幕としよう。
 些か行き過ぎた茶柱ブームは、上述のような窃盗団をも生みだし、それは闇でとんでも無い高値を呼ぶようになる。それは当然大きな組織の暗躍する温床になりうるから、“茶柱マフィア”が暗躍することになる。波止場の脇の倉庫の中で、フロックコートを着た連中がお茶を啜っている光景が現実のものとなるのである。
 だがそんな悪徳を世間が見逃すはずがない。茶柱の闇取引現場を押さえる公僕、“茶柱Gメン”がいるからだ。
 熱いハートと、強い意志を持った人間達、空港の滑走路を借り切ってわざわざ一列で歩く彼らがいる限り、いつの日か必ず、縁側老人が安心してお茶を飲める日が来るであろう。

 茶柱Gメンにはやっぱり、“渋く”キメてもらいたいものである。




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