世界統一時間の採用を

加藤邦道




 仕事や旅行などで今までに海外へ行ったことのある人は、一度ならず時差ボケに悩まされたことがあるのではないだろうか? また日本から海外へ(あるいは逆に海外から日本へ)電話をかけるときにも、現地の時間を調べて、かけていいものかどうか確認しなければならないことに煩わしさを感じたことはないだろうか? これらは全て地域ごとに設定された時間が異なるために起きる問題である。
 そもそも時差というのはどういった理由で存在するのか?
 現在、世界の時間はグリニッジ天文台のある経度0°を基準とし、そこから15°ずれるごとに1時間の時差が生じるようになっている。
ただしこれは厳密な定義ではなく、現実には主に国単位で隣国との関係を考慮した時間を設定している。要するに国ごとに都合のいい時間を採用しているわけであって、もはや地球の自転はその根拠にはなっていない。
 となれば、世界にとって最も都合のよい時間の採用をためらう理由はない。
世界統一時間と呼ばれる、唯一絶対的な時間のみを世界中の国で採用すればいいのである。時間は世界にただ1つしかない。日本が午前10時なら、アメリカもヨーロッパも午前10時である。地球の自転は人間の生活を拘束するものではないので、太陽の位置など問題ではない。午後6時に日が昇り、寝ている間に1日の最高気温を記録する生活も、慣れてしまえばどうということはない。
 政治にしろ経済にしろ環境にしろ、今や世界が同時進行していることを否定する人はいない。であれば人が同じ時間を共有し、起床就寝、食事、仕事などに関わる時刻を統一した方が何かと都合がよいことは火を見るよりも明らかである。冒頭に挙げた身近な問題も解決する。
時差はなく、飛行機で10時間かかったら到着地の人は10時間後の生活をしており、始業時刻の9時に電話をかけたとすると、それを受ける国の人も始業時刻の9時に電話を受け取るのである。
 1つ問題があるとすれば、この統一時間をどこの国の時間を基準として採用するかということであろう。これについては世界標準時を設定したイギリスにならい、統一時を提唱する我々日本の時間を基準とするのが原則である。しかし現実の人々の生活を考えると、世界の人口の集中する地区、世界の人口重心を基準とすることにもそれなりの説得力はある。どちらにしても東アジアが基準になることは間違いない。
だから日本政府がこの構想の実現を国連に働きかけていくことを強く望むものである。今ごろサマータイムなどと言っている場合ではない。


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