悪の組織試論 1.悪の組織の構成

東山錦一




はじめに  いわゆる「特撮ヒーローもの」「戦隊もの」といったジャンルは、ヒーローと同時に「悪の組織」を生み出してきた。初期の作品群でいえば『仮面ライダー』における「ショッカー」、『ゴレンジャー』における「黒十字軍」がその例である。以後、次々と制作されたシリーズ中に数多くの悪の組織が現れてきたが、この間「悪の組織とは何か」「悪の組織は何を為すべきか」といったことはほとんど議論されないままであった。その結果、戦隊もののメインストリームである「超世紀戦隊シリーズ」において宇宙暴走族ボーゾックだの宇宙海賊バルバンだのといったよく分からない組織が現れてしまうという事態に至り、悪の組織を取りまく状況は混迷の時代を迎えている。
 著者は、悪の組織を見つめ直して理論的基礎を固めることが焦眉であると考える。本稿はそのための「悪の組織研究」の第一歩となることを目指すものである。

悪の独裁制
 ひとくちに悪の組織と言っても様々なパターンがある。軍隊的な組織、犯罪結社、カルト教団、異次元人・異星人、マッドサイエンティスト集団などなど。しかし、これら全てに共通する特徴が存在する。それは、独裁組織であるという点である。合議制の悪の組織、などどいうものはいまだかつて現れていない。さらに、組織には名目上の首領と真の首領(たいてい12月頃に現れる)とが存在するという点も多くの場合において共通している。
 それでは、なぜ悪の組織は独裁制でなくてはならないのか。次はこの点について検討する。

悪の共役不可能性
 悪の組織は通常、首領の下に数人の幹部、幹部の下に下級の構成員、さらに下にヒラの戦闘員、という構成になっている
。この幹部たちはそれぞれ得意分野(例えば頭脳派だとか戦闘力が強いとか策謀家であるとか)を持っていることが多い。
 ここから分かるのは、悪の組織を支えているのが「分科の悪人」である、ということである。あらゆる分野の悪に秀でた「全人的な悪人」ではない。悪の組織といえども、優れた全人的悪人ばかりを集めるのは困難なのであろう。
 このように、幹部たちが各々専門分野を持つ「分科の悪人」である場合にはある問題が生じる。それは、「誰がより優れた悪人であるのか分からない」ということであり、「誰の作戦がより優れているのか分からない」ということである。なぜなら、幹部たちそれぞれの専門分野に従った思考法では他分野のことは比較が不可能なのだから。トマス・クーンが述べたところの共役不可能性ということである。
 そのため、組織は統一的な基準(パラダイム)を必要とする。そのパラダイムを具現化したもの、それが組織の首領たる独裁者である。首領はこのような性格の存在であるため、君臨してはいるが必ずしも絶対者ではない。ときに見られる悪の組織の内部抗争による首領の交代劇は、悪のパラダイムシフトが起こった結果とみなすことができよう。また、「真の首領」が別に存在する、というパターンが正当化されるのも、首領が絶対者ではないことによる。その場合の「仮の首領」は真の首領の「御光を受けてはじめて光る」存在でしかないのである。

悪の無責任体系
 このように、孤立した「タコツボ型」のユニットをまとめて構成されている悪の組織はひとつの官僚機構となっている。それは『仮面ライダーX』のゴッドに技術課だの人事課だのが設けられていることからも窺える。
 この種の組織が「無責任の体系」に陥り易いことは、最初にこの語を使った丸山真男の指摘になる通りである。すなわち、幹部たちは分業して互いに協力するのではなく、首領に認められることを唯一の価値として行動する。「タテの究極的価値」(首領)に直接繋がっているという自覚によって職務を遂行するのである。そのため、彼らが作戦を立案し指導し指揮しても、その責任が自分にあるとは考えない。権力を握っていても、その自覚がないのである。
 では首領は責任を担っているか。すでに述べたように、首領たちの多くは仮の首領であって真の首領ではない。首領といえども自由な主体者として責任を担っている存在ではないのである。
 悪の組織がヒーローに何度破れても全く反省がない、何事も学んでいないかのように見えるのは、ひとつにはこの「責任の所在が明確でない」という悪の組織の特徴によるものであろう。

組織編成の改善
 悪の組織が持つ、組織としての欠点を克服しようとした試みとして、『科学戦隊ダイナマン』に登場したジャシンカ帝国は特筆すべきものがある。ジャシンカ帝国ではシッポの本数という明快な基準によって身分が定められていた。九本シッポが皇帝、七本シッポが最高幹部、といった具合である。
 これは紛争の余地のない優れたシステムであるかのように見えたのだが、実際にはレトロ遺伝子を用いて十本シッポになろうとして自滅する奴だの、ダークナイトによる乗っ取りだので混乱するうちにダイナマンに破れてしまった。優れた組織の構成を生み出すのはまだまだ困難なようである。
(ジャシンカ帝国の敗因として、「水浴び中にダイナブラックに肌着を盗まれて逆上したキメラ王女が、遂には帝国を無理な最終決戦に踏み切らせた為」とする説もあるが、ここでは触れない)

失敗は許されない
 悪の組織は作戦に失敗した者を許さない(例えば「ゲルショッカーのおきて」中の「敵にまけたものはころす」「しっぱいしたものはころす」)。これはなぜであろうか。
 大日本帝国の軍隊では「生きて虜囚の辱めを受けることなかれ」として、降伏が許されていなかった。近代兵器の能力(火砲の運用方法とか補給能力とか)に劣る帝国陸軍(劣る、と言っても巷で言われているほどではないが)が頼れるのは兵士の精神力しかなかったからである。帝国陸軍も、火力が大切なことは分かっていたのだ。しかしそれはどうしようもなかった。そうなれば兵士の踏ん張りに期待するほかない。降伏という道を断ってしまえば兵の士気も上がるだろう、という点に望みを託したのである。
 悪の組織が失敗を許さないのも同様の理由からであろう。悪の組織は、ヒーローよりも明らかに弱い。毎回負けている。普通の神経では怪人や戦闘員たちはヒーローに立ち向かえるはずもない。それでも彼らをヒーローと戦わせるもの、それが「しっぱいしたものはころす」という掟である。この掟で逃げ場をなくすことによって、辛うじてヒーローとの戦いは継続されているのだ。失敗を許さない掟は、悪の組織にとって必要不可欠なのである。

まとめ
1. 悪の組織の独裁体制は、組織を成立させている要であるが同時に弱点でもある。組織の改善が急務である。
2. 悪の組織は失敗を許してはならない。
3. ガロア艦長を下っ端にして戦闘員をボスにしてみたところでやっぱりダメ。(地球戦隊ファイブマン「九州だヨん」)


参考文献
『科学革命の構造』トマス・クーン著、みすず書房
『日本の思想』丸山真男著、岩波新書
『軍国支配者の精神形態』丸山真男、『潮流』1949年5月号
『さらば!怪獣VOW』怪獣VOWプロジェクト編、宝島社





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