睡眠暁を覚えず

渡辺ヤスヒロ




 夜になると眠くなる。食事の後は眠くなる。常時睡眠不足な人はいくら眠っても眠り足りないように眠たがる。なぜ、人はそんなにまで眠りたがるのだろうか。そもそも人にとっての睡眠の目的とは何だろうか。


 ヒトは夜行性の動物ではないから、夜に活動しない。活動しない時はエネルギー消費を防ぎ、回復するために睡眠を取る。果たしてそうなのだろうか。睡眠を取らねば体力は回復しないのだろうか。決してそんなことはあるまい。筋肉を常時働かせているわけではないし、じっとしていて回復しても問題はないだろう。極端に活動レベルを落とさなくともある程度抑えた状態であれば体力の回復は可能なはずである。それに比べて睡眠では活動レベルを下げ過ぎていると言える。
 熊や蛇、蛙などの冬眠は長い冬を越えるための特殊な睡眠状態である。この場合には長期に渡り何の補給も無く生命活動を維持するために極端な活動レベルの低下が見られるが、人の場合には夜だけであり活動レベルを下げ過ぎる必要は見られない。付け加えるなら、人が以前は冬眠を習慣としていた時期があったという記録もないので、その痕跡から深く眠っているとも言えないのである。
 睡眠の深さは回復を早めるためだとも考えられるかも知れない。野生に生きる動物はいつ襲われるか分からないから短時間に回復させる必要があったというわけだ。しかし、ある程度深い眠りから覚めた場合には寝ぼけたりするし、実際の野生動物(キリンなど)はむしろ非常に浅い眠りでいつでも逃げ出せる状態で眠ると言う。やはりこの意見でも眠りの必要性を説く事はできない。


 では脳を休ませるためだろうか?目や耳、鼻など五感は常に脳へ情報を送り続け、その処理をしている。未だ未発達な人間の脳では覚醒時にすべての情報を賄い切れず、睡眠と言うある種情報の流入を防いだ状態で処理をせざるを得ない。そうなのだろうか?複雑な情報であれ、処理しきれなければ勝手に単純化したり溢れ出したりするだけでも別にそれほどの問題は無い様に思えるし、事実上そうしている事象は少なくない。
 つまり睡眠の必要性は、実は分かっていないのである。


 睡眠欲は三大欲求の一つであり、最も抗い難い物であることが知られている。それは何故か?睡眠はそれほどまでに重要なことなのだろうか?食欲は個体の維持に欠かせず、性欲は種の保存に欠かせないが、では睡眠欲は何のためにあるのだろうか?これほど重要視されているのはやはり何かあるとしか考えられないのではないだろうか。
 覚醒剤による睡眠の阻害が人体に与える悪影響は計り知れない。しかし本当に悪いのだろうか?なぜ眠らなくなると言うだけの薬があそこまで悪く言われるのだろうか。やはりここにも睡眠を妨げることが人にとって根源の悪であると言う深層心理が働いているとしか思えない。
 その昔、ある偉人は一日に3時間程度しか眠らなかったと言う逸話がある。売れっ子のアイドルタレントや漫画家もわずかな時間しか眠らずに膨大な量の仕事をこなすと聞く。それらの話の場合に本当に感心されるのは睡眠時間を減らしたことではなく、3時間程度という短い時間に凝縮された睡眠の内容の濃さではないだろうか。
 睡眠の重要性の希薄さとそれに合わない扱われ方。行き詰まった議論は基本に帰り、前提条件を見直す必要がある。

・睡眠は特に必要なものではないようである。
・睡眠はどうやら人にとって無くてはならないものらしい。

 矛盾している両者を満足する回答を得ることは出来ない。しかし、ここで基本的な考え自体を変えてみる事にする。すなわち、睡眠は何か目的があって行われているわけでは無いのではないかと考えるのだ。
 睡眠とは何かの目的の為の手段としてあるのではなく、睡眠それ自体が目的なのではないのか。我々は手段と目的を履き違えていたのではないかと言う事なのである。そう考えると今までの疑問は氷解する。睡眠による回復は睡眠の副産物に過ぎず、覚醒中の休息と比較することが無意味であること。そして人にとって睡眠を大切に考えるのは無理も無いということである。なにしろ眠ると言う挙動自体が人間に取って根源からの目的なのだから、それに至る手段は様々に用意され、かつ優先されていると考えられる。食後のうたた寝を妨げることは出来ないのだ。そうした意味ではシエスタのある文化は進んでいると言えるだろう。


 一般には目が覚めている状態から疲れが溜まって来たりすると眠くなり、休息するために睡眠を取ると考えられている。しかし逆に考える事も出来るのではないだろうか。眠っている状態が通常で、なんらかの阻害要素によって覚醒し、その阻害要因を排除できたら再び眠りに戻ってくる。
 眠っていても生物としての活動は休むことなく行われるため、眠り続ける事には限界がある。覚醒中の活動はすべて眠りのためのであると言うことだ。寝ていても腹は減るし喉も渇くし、トイレにも行きたくなってしまうかも知れない。食餌や排泄等の個体としての生体維持の他にも生殖活動ですら種としての睡眠を続けるための非睡眠時間中の活動と言えるわけだ。


 人は生まれながらにして眠っている。つまり本来眠っている時が生物として正常な状態なのである。つまり、人は『眠る』為に生きていると言える。その最たる証拠としては『人は眠りながら誕生し、眠りながら死にゆく』からである。


 今後も人類はより快適な睡眠を得るために人類は一層進歩していくことだろう。眠る事、これすなわち人類の生きる証なのである。幸せそうにうたた寝している人こそ人類の至宝であると言えよう。叩き起こすなどもってのほかである。彼らこそが人類を新たな進化に導いてくれる存在なのだから。
 つまり、『寝る子(種族)は育つ』ってことですな。





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