渡辺ヤスヒロ
『お出掛けですか?レレレのレー』高名な掃除好きキャラクターの言葉
誰にでも経験があることと思うが人の集まるところでは大抵何人かは掃除好きな人がいて、他の人が物を片付けないことを注意したり掃除しない事に文句を言ったりするのではないだろうか。子供の頃、親に玩具を片付けろと叱られたのではないだろうか。すると言われた側は、『ああ悪い事したな、片付けなくては。』と反省してしまうのである。『そんなの勝手だろう。』とか言って逆ギレする場合もあるだろうが、それでも片付けや掃除をしないことが悪だと言う自覚はしているのである。果たして本当にそこに正義はあるのだろうか?本稿ではそこに隠された驚くべき現実をあらわにする研究結果報告である。
注意する側の人達はもしかしたら好意ではなく、単なる潔癖症であったりするかも知れない。何かと言うと片付けられた状態でないと気が済まないと言う精神的な病気(欠陥)を持つ人達のことである。彼らは自分の場所でなくとも、部屋であれば家具以外の物の存在を許さず机の上であれば閉じられたノートや置かれた筆記具の存在すら許さない。本棚の本が傾いているだけでも気になってしまう。勿論他人のロッカーの中の様な彼らの権限外であっても。
公共の場所であれば彼らの鼻息は更に強くなる。何も使っていない様に片付けられた状態を保つことに義務感すら感じ、その努力を怠る人を弾劾する様になるわけだ。彼らには常に正義があり、注意された側は引け目を感じつつ謝るしかなかった。
確かに生活や仕事場等を清潔に保つことは重要である。ホコリが溜まったりカビが繁殖したりダニが湧いたり物が腐って匂ったり虫やネズミが出たりするのは健康問題以上に大きな弊害であることは自明の理である。これは掃除の好き嫌いに関わらず両者の理解するものだ。
彼ら掃除好き連中の言う掃除とは詰まるところ外に出た状態の様々な物をいずこへか直接目に見えない場所へと仕舞い込む(片付ける)ことを意味する。
しかし、物を常に片付けた状態でいることは本当に良いのだろうか。散らかった(放置された)状態の物を片付けることは本当に良い事なのだろうか。
例えばある道具を使う作業を毎日行う場合に、毎回片付けないで中断したままの状態にする方が再開の手間が省けて効率が上がることは言うまでもない。片付けることによるメリットは何だろうか。
掃除(テーブルを雑巾掛けするとかほうきで掃くとか掃除機を掛けるなど)をし易くなる。清潔さを保つためには重要なことであろう。しかしそのためには片付けた後、次の作業を再開するまでに掃除をする必要がある。
ゴミとそうでないものの区別を付ける。全く必要のないものや既にゴミとなったものが散らかった状態ではそのまま残っている場合がある。不要なものが存在すればその分作業スペースが減少していることになり、効率を落とす要因と成り得る。
手の届く位置に必要なものが常にある状態であり、片付けられていないということは物が直接視認できる状態であるとも言える。片付けて仕舞ってあるものは場所を失念してしまえば紛失したのと同じだが、直接見えるものはそうなることはない。散らかっているものはそれほど移動しない上に毎日目に入っていていつの間にか覚えているのでどこに何があるのかが分かっている。片付けたものとその場所をすべて覚えるより簡単で確実である。
散らかっている部屋ではそれが景色として記憶されることになり、ある日いきなり物が無くなっているとそれが今必要でなくとも『あるべき場所に物が無い』と言う違和感を感じるのである。間違い探しの様なもので注意深い人であればすぐに何が変わっているか分かるだろう。それも毎日見ているからこそ出来るワザなのであり、同じ量の物をきちんと片付けても仕舞い場所が記憶から薄れていったら探し出すにはすべての場所を探さなくてはならなくなってしまう。几帳面な人であれば物の場所のリストを作るかも知れないが、物の量や種類が増えたりしたらリストは大きくなる一方だし常にリストを張り出したりして見られる様にしたのでは彼ら掃除好きにとって部屋が片づいたことにならないだろう。
掃除嫌いと呼ばれる人達の管理する散らかった空間がすべて前述した惨憺たる状況を晒している訳ではない。それどころか彼らの使用する場所には散らかっている物こそあれ、それ以外の汚れやゴミやホコリが見られない小奇麗な空間であったりする。それはまるで存在する物の量に限界があってホコリやゴミがそこに割り込めないかの様である。エントロピーの増大しきった空間にはそれ以上散らかりようがないわけだ。エントロピーの増大量は片付けられているほど大きくなると考えると、掃除好きの人の整然と片付けられた空間にこそ常に掃除が必要になる。片付けが完璧であればあるほど掃除が必要になっていくのだと言える。掃除好きな人にとってショックかも知れないが論理的な事実は曲げられない。まあ、ある意味では掃除すればするほど掃除が必要になると言う事は掃除好きには答えられないほど嬉しいことなのかも知れないが。
以上述べたことをまとめると掃除好きが正しい行動原理ではないと言う事である。
きれい好きに正義は無かったのだ。必要以上に場を片付けることはないのである。それ自体が不潔なものや周りに影響を及ぼす様な物でない限り、置きっ放しになっているからと言って咎められることなどないのだ。世のきれい好きの諸君にはその辺りを踏まえて他人へのあの生意気で根拠の無い忠告や注意を自粛し、今までの自分の行いを多いに反省して貰いたいものである。
冒頭の高名な掃除好きである『レレレ』のおじさんは集めたゴミを散らされたり飛び蹴りを食らったりと割と高い確率で酷い目に会っていた。一見理不尽なツッコミかと思えるバカボンパパのそんな行動も掃除好きが間違っていると言う主張だったと読み取れるのではないだろうか。
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