穂滝薫理
失礼な話かもしれないが、これは経験した人にしかわからないだろう。
ある日私はいつものように電子メールをチェックし、めずらしく1通も届いていないことを確認した。「なんだ、つまんねぇな。」と思いながら、しょうがないので、なんとなく過去に来たメールを眺めていた。そうして、ふと気がつくと2時間もの時間が経過していたのである。「やばい。」私は額に汗がにじむのを感じた。「これは病気だ!」
電子メールというものがある。
私は1991年に就職して以来、仕事でもしくは自宅で個人的に電子メールを使ってきた。あまりに便利なので、特に仕事では電子メールのない環境は考えられないほどである。
一応書いておくと、その便利な点は、まず即時性にある。電子メールは、送れば数分で相手に届くのだ。早ければ10分以内に返事が届く。極端な話、数分ごとの返事のやりとりにより、のろのろとした会話だって可能なのだ。手紙ではそうはいかない。届くのだって最低1日はかかるし、書いて封をして宛名を書き、切手を貼ってポストまで行く必要がある。電子メールならば、これらがすべて手元のコンピューターの前にすわったままでできるのだ。この手軽さもいい。もっとも電子メールが速く届くとは言っても、相手がいつまでも読んでくれなければ意味はないが。また即時性という点では電話にはかなわないが、電話は必ず相手がそこにいなくてはならないし、会話している間は相手を電話口に拘束することになる。電子メールは、相手がいるいないに関わらずとにかく届くし、相手も好きなときに読めばいい。よっぽど緊急なことでもない限り、電話でなく電子メールにしたくなるのもわかるというものだろう。
次に便利なのは、パソコンのデータがそのまま相手に届く(あるいは、相手から私の手元に届く)という点だ。いったんパソコンのデータになったものは、加工、編集が自由に行えるし、保存性も高い。例えばこの原稿も、電子メールで編集担当の渡辺氏に送って、彼が多少修正しレイアウトしプリントアウトしてそのまま印刷所に渡している。これが手紙だったら、彼はその原稿をいちいち手入力しなければならないだろう。入力ミスもあるかもしれない。電子メールならば、私の手元にあるデータと相手の手元にあるものの完全同一性も保証されるのである。そんなわけで、一度電子メールの便利さを覚えてしまうと、もうそれのない状態には戻れないと言ってもいいくらいなのだ。
電子メールにハマっていく課程は、だいたい次のようになるだろう。
まず最初のうちは、よく知った友人など、ほんの数人の人とメールのやりとりをするだけ。そのうち、電子メールの便利さや楽しさがわかり、やりとりをする相手も、そして量も増えていく。まったく知らない人になんらかのきっかけでメールを出して、以後メール仲間になることもある(インターネットには“なんらかのきっかけ”がごろごろしている)。また、インターネットでは、毎日特定の話題を自動的に電子メールで配信してくれる、新聞のようなサービスも多い。そんなこんなで毎日何通ものメールが届くようになると、まず朝起きて、とか会社に来て最初にメールを読んでから1日が始まるということになる。そんな生活がしばらく続くと、ついにはメールなしでは生活できなくなってしまうのである。
そうなってしまうと、もうおしまい。メールが来ないことに不安を覚えるようにすらなる。メールが来ないときの不安感といったら、はかりしれないものがある。そう中毒症状である。メールを読まないことには他のことに手が付けられないのだ。もっとも、メールが来たら来たで、返事を書いたりしてやっぱり他のことはやらないのであるが。だが、少なくとも安心して精神的に安定することは間違いない。
メールが来ないときの症状として、
1.何度も、メールが来ていないかチェックする。何度でもチェックする。
2.過去に届いた、または自分が書いたメールを読み出す。
というような例が挙げられる。後者の症状が冒頭に述べたように私が陥った症状であるが、これはもう末期的症状であると言ってよい。“電子メール依存症”である。電子メール依存症でない人でも過去のメールを読み直したりすることがないわけではない。しかし、依存症にかかっている人達は違う。何年も前のメールから、膨大にたまった量のメールを延々と、ひとつずつ読んでいくのだ。おそらく、何時間もかかるだろう。それでも、彼はメールを読み続けることをやめようとはしない。
さて、私が言いたいことは、電子メールにはこのような麻薬的中毒性があるということである。今まで、世間的にはメールの便利な点、楽しい点ばかりが話題にされてきた。まれに問題点が指摘されたとしても、メール爆弾(註1)のような物理的なことでしかなく、中毒性については見過ごされてきたのではないだろうか? 早くなんらかの対策をとらないと、重大な過ちが起こりそうな気がする。
電子メール依存症は、精神病の一種である。これらの症例を集め、カウンセリングなどの行なえる専門家によるチームを編成するべきではないだろうか。そして、まずは、電子メール依存症患者およびその予備軍の実数、実態を把握することが大切である。厚生省あたりにこのことを強く提案したい。
以下参考までに、メール依存症の症例を記しておく。この中に思い当たる症状があれば、あなたもメール依存症(もしくは予備軍)であると考えられる。早急に電子メールの使用をひかえ、医師の指示を仰ぐことをお勧めする。
1. 電子メールが届いていないと不安になる。
2. 電子メールが届いていないか、何度もチェックをする。
3. 過去の電子メールを端から読み出す。
以上はすでに述べた。このほか、
4. ささいなことでも(例えば電話すればすむようなことでも)電子メールで送るようになる。
5. 電子メールをもらうと返事を書かずにはいられない。
6. もーれつに電子メールを書いて送り始める。
これは、依存者には5のような傾向があるため、とにかく電子メールを書いておけば返事を期待できるからである。つまり、電子メールが1通も届いていないという不安を減らすことができる。
7. 他人に電子メールで連絡をくれるよう要請する。もしくは電子メールを始めるよう猛プッシュする。
8. あげくに電子メールアドレスを持っていない人とは没交渉になる。
9. 電子メールアドレスを3つも4つも持つようになる。
10. 電子メールがないと生活できない。なにもできない。電子メール万歳!
最後に、本件についての意見、質問、反論、悩み相談は、もちろん電子メールで受け付ける。
穂滝薫理:hk4@aa.uno.ne.jp
↑私が持っているいくつかの電子メールアドレスのうちのひとつ。
註1 メール爆弾:相手に大容量のもしくは多量の電子メールを送りつけて、システムを麻痺させる嫌がらせ。
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