リンゴ法則への抵抗史

加藤法之



 科学の歴史とは、多くの場合地道な努力が連綿と続いてその発展の基礎をなしているが、時として奇異な偶然によって思わぬ方向へ走り出すこともある。それは例えば、湯のこぼれを見たアルキメデスによって密度の概念が生まれたことであったり、放射能史の黎明が皿の上にのせたラジウムの深夜に蒼く発光する様をマリー・キュリーが廊下から見留めた瞬間であったりすることを挙げるだけでも察していただけると思う。しかし、そうした偶然の産物が転機となった出来事のうち最も有名なものが、”ニュートン身辺へのリンゴの落下事件”であることに異を差し挟む者はおるまい。かように、万有引力という、現代にまで至る科学の方向性を決定づけた法則の発見が、発見者であるニュートンの前にリンゴが落ちたことによってなされたという伝説は、少なくとも日本では知らぬ者がいないほどに浸透しているエピソードである。(学研マンガひみつシリーズから中学一年の英語の教科書にまで載ることによって、手塚治虫と同じくらい有名であることは容易に想像がつく。)

 万有引力の法則の発見を成す端緒となったこのエピソードであるが、その後の科学に与えた影響は計り知れないものである。なにせこの日以来、惑星は太陽に縛られ、宇宙は昨日予測したものと同じ未来を歩まねばならぬようになったのだから。
 そしてそうであればこそ我々は、湧き出す問いを抑えることが出来ない。すなわち、”落ちてくるのはリンゴでなければいけなかったのか?”
 ”竹内均が困るから”というのも一つの回答ではあるだろう。だが、今の我々の周囲を見渡すとき、落ちるのは何もリンゴだけではない。隕石とか飛行機とか、たかいたかいをしていてうっかり手を滑らせた赤ん坊とかも落ちる。変わったところでは受験生や連載原稿なんてものも落ちる。となれば当時とて、落ちる物はリンゴだけではなかったであろう。それは確かに、UFOが落ちてきたのでは非常識に過ぎるし、かといって植木鉢では訴訟問題になるだけだ。こういった例は極端であるとしても、リンゴ以外の物で良いのではなかろうかという疑問それ自体は別段無理があるものではないのである。

 そうだ。リンゴ、リンゴ! 何故リンゴなのだ。何故リンゴが宇宙の法則を決めるのだ。私は認めないぞ。リンゴなんかに支配されてたまるか。自分はもっと凄い物で、別の理論を打ち立ててやる!

 そして実際ニュートンの万有引力法則の発表当時、こんなことを考える人間もいたのである。彼らはニュートンに負けじと、いろいろな物を落とし、そんな落下実験から種種雑多な理論を構築することに情熱を燃やした。リンゴに出来て俺に出来ないはずはない、もとい、ニュートンに出来て俺に出来ないはずはない、という気概は、現在で言えば選挙に出る共産党候補のようなものだったろうか。
 ニュートンの前に落ちたのがリンゴではなかったら。
 こんな仮定に集約されるため、これらの落下実験から導かれた諸法則は現在、”非ニュートン力学”と呼ばれる。
 今回はそんな忘却の彼方に置き去られた非ニュートン力学の歴史の中でも、最もエキサイトした時代の物体落下実験についてスポットを当ててみたい。


 落下実験を公的に最初に行ったのは言うまでもなくガリレオ・ガリレイである。ルネサンスを代表する科学者である彼は、1620年頃、イタリアはピサにある傾いた搭の上から、同じ大きさの木と鉄の玉を落とす実験を行った。全く同時に両者が落ちたことから、加速度は重量に依存しないという”落体の法則”を導いたことは、コロ助の科学質問箱にも載っている有名な話である。
 ニュートンのリンゴ引力の法則に悔しがっていた非ニュートン主義の人々は、彼らに先立つこと50年も前の、この偉大なる科学者に目を付けた。立派な先達がいるではないか、彼の方法論に従えばニュートンを越えられるかもしれないという論理であろうか。そして彼らはガリレオの後に続けと、我も我もとピサの斜塔に群がって実験を始めたのである。

 落下実験再開の先鞭を付けたのはアン・マリーと言われる盲目の女性であった。彼女は「真の天啓はリンゴだけから与えられるものであってはならない。」と言って、斜塔の下に立ち、上から様々な物を落とさせるという実験を繰り返した。
 彼女は盲目であったため、落としたことが判るよう必ず自分の身体に当てるように落とさせたという。そのためか実験を繰り返すうち、肩に落ちたミカンが自分の血行を良くすることに気付いた。落下させる物体の重さが適度であれば健康促進になる。これは使えると踏んだ彼女はその後も実験を繰り返して通称、”肩こりの法則”と言われる法則を打ち立て、同時に世界最初の肩こり解消器”ピサ3(みっつ)”を売り出した。画期的な健康器具として世に喧伝されたにも関わらず、落下法則をそのまま応用したせいで一台の大きさが50m近くにもなってしまったためか、売れ行きはかんばしくなく(売れたのも凄いが)、彼女も実験中の事故で亡くなった。死因は頭蓋の陥没であった。(余談だが、その後この法則は、なにも落下物による衝撃で肩を刺激する方法を採らずとも、肩こりをほぐすことに支障はないことが判明し、拳骨,温熱,磁気,薬品など様々な方法が考え出された。”母さんお肩を叩きま諸派”と言われるほど林立した各派は、現在寧ろ医学面で貢献している。)

 次に有名になったのは万有引力そのものが万有でないことを示そうとした”重箱隅派”であった。ダグラス・A・テンという、機械獣のような名前を持つ彼の一派は、ピサの屋上から紙飛行機を飛ばし、「ほら、真っ直ぐ落ちねーじゃん。」と揚げ足取りのような実験を行った。
 この論述はすぐに空気抵抗が原因であることを指摘されて退けられたが、自作の飛行機を飛ばす実験自体はその後も続けられ、飛行機産業の影の歴史としてその価値は再評価されている。

 特殊な条件を必要とする実験もあった。
 たらい,もしくは洗面器を落とす、コント・ド・リフ法則と銘されたこの法則は、”洗面器を落とすと必ず下で人間に当たる。”という結果を導くものである。これは日本での実験も盛んで、東京のある地方では、当たった直後に如何に珍妙な顔をするかでその人の人となりを判断されたという。近年行われた追実験では、”当たる人間は30%の確率で山本譲二の歌を歌っている。”といった、同法則の補足修正をされている。

 慣性そのものを疑う一派も現れている。彼らはエレベータを落下させ、地上に降りる寸前にその中から一歩脚を踏み出すのだ。エレベーターは破壊されるが降り立った彼は無事という不思議な実験が起こされたという。これは現在”トム&ジェリーの中継ぎマンガに出てくる狼の法則”といわれている。しかしこれまでに、この追実験に成功した者はいない。トム&ジェリー関係の法則では他にも、”下に鋭利な刃物があると5cm手前で急停止して真横に飛び出す法則”などが知られている。(これも追実験は未成功。)

 こうしてみると落下実験派はすべからくニュートン批判をしている者たちの集まりのように見えるが、彼らの中の一部にはリンゴによる実験を試みる者もあった。リンゴ擁護分派と呼ばれるこの一派の代表格はシヅコ・カサギという。基本的にはリンゴを落とすというニュートンの追実験を行うだけの平凡な一派であったが、彼女が「リンゴは何も言わないけれど、リンゴの気持ちは良く分かる。」という電波系の迷セリフを残したことで現在でもその名を残している。


 実際、様々な物を落としたとしても当然の如く、それはニュートンの法則を指示する結果に終わったことは言うまでもない。ミカンや卵やハムやピーマン、ありとあらゆる食材で試してみたものの、その結果に変化はなかった。半ば自棄になって繰り返されるこれらの実験の後、斜塔の下はまるでピザをぶちまけたようであったという。
 非ニュートン学派中期の倦怠期とも見える、彼らの中に一種の諦観ムードが漂い始めたが、場末の娯楽施設同様、こうした状況に於いて流行り物一般が陳腐化,過激化するのは世の習いであろうか、動物学派の登場はその典型例であろう。

 動物学派はその名の通り、「動ける我々は自分達の自由意思で動けぬ筈がない。」といった信条をその基本原理にあげている一派だ。中世の神学的哲学感を完全に払拭している辺りは流石に後期ルネッサンスの科学者であるが、その方法論が些か過激に過ぎた。
 彼らは落下物に、動物を用いたのである。虫,ネズミ,犬,魚...、小動物ばかりではない、どうやって上げたのか、牛や山羊,羊...馬や鹿なども落とした。生き残ったのは鳥くらいのもので、落下実験の731部隊と言われた動物学派の活動後は、斜塔の下はまるで...、おっと、自主規制しよう。
 動物学派のこれらの実験は、位置づけとしては当時の落下実験派の風潮である自棄の念から行われているに過ぎない。だが、そんな彼らがここに記すべき価値のあるものになるのはこの後、被験体に猫を用いたことによる。

 現代日本でありふれているからといって、猫を日常動物と思いこんではいけない。当時のヨーロッパでは少なくとも今のアジアアロワナくらいの位置づけのペットだったのである(史料無し)。だから落下実験の被験体となるのもかなり後の方だったのだ。
 いつものように行われた落下実験の結果はしかし、衝撃的であった。
 ニャンパラリ!
 猫は叫びざま空中転回し、地上に見事落下したのである。
 信念があったとはいえ、繰り返される実験の失敗と尊い犠牲に意気消沈していた研究者は一転、狂喜乱舞した。そして彼らは自分達の信念を再確認し、更なる記録を打ち立てることに躍起になった。すなわちある者はエッフェル塔に昇って落とし、ある者はアルプスから落としたのだ。本来高さを競うのが目的ではないと思うのだが、それにしても猫もまたよく耐えたものだ。ちなみに、それらの実験に悉く成功して見せたのは、現代にもその血統を続けるティーチャー・オブ・ニャンコと言われる亜種である。
 落下実験派の最後の実験は、高さが最高にエスカレートしたバベルの塔実験だ。天をも突くと言われたこの塔は実際成層圏をも越えていたが、その頂上から落とされた猫は残念ながら途中で行方不明になってしまった。ネコ版ライカ犬の悲劇と言われたこの実験に怒りを覚えたネコ達はその後人間に対して口を閉ざし、以来彼らと人類との会話は途絶えてしまった。ちなみに落とされたネコの最後のセリフは、「冗談じゃないぞなもしかして。」だったという。(このネコの消息は明らかではないが、一説によるとまだ生きているとも言われる。空中に時折鳴き声がするとの伝説がそれで、バミューダ海域ではたった一匹で5隻の飛行機を撃沈したことから、”赤い流星のニャー”と恐れられている。)


 高さとしてはこの様に、動物学派がちょっと塗り替え得ない記録を作ってしまった。落下実験派の晩期はこうなると、最早運命づけられたようにその題材を選ばざるを得なくなっていくのである。
 人間である。

 始めの内こそ遠慮はあったのだ。だから初期の人間落下を行ったA・ヒッチコックは、”合成落下の法則”を打ち立てたし、トウホウ・トウエイは、”人形化の法則”で対抗したりもした。だが所詮時代は刺激には不可逆なものなのだ。
 この先鞭を付けたのはフォーリン・ラブである。彼は実直な青年であったが、二次元コンプレックスが元で精神を病んでいたようだ。最後の願いは叶えられ、地面の彼はぺちゃんこであった。
 これに続けと多くの者が実験を行った。しかしまぁ、想像していただけると思うが、この時期の学問的成果は皆無だ。敢えて書くとすれば、空中で複数回回転しながら落ちる”飛び込み型飛び降り”位であろうか。彼らは落ちた後、冷めた目で見やる周囲の人々の前ですっくと立ち上がらなければならない。そして鳴門の目をしながら、「それでも地球は回っている。」と言ってから倒れるのが粋とされた。
 誤解しないで欲しいのは、先達がこんなだからといって、基本的に人間落下は純粋に新しい学問を打ち立てようとする目的から成されていたことである。死ぬつもりでやっている者は単なる自殺であり、当時でも最も軽蔑されていた。何で俺に一言言ってくれなかったんだ。ストップウォッチと飛び込み台を用意して駆けつけてやったのにというわけだ。
 しかし皮肉にも、これ以降単なる自殺目的で飛び降りる不埒者が相次ぐことになる。ピーク時における斜塔での自殺率の高さは尋常ならざるものであり、”東尋坊か総武線かピサの斜塔か”とまで言われた。最盛期の塔の下はまるで...。
 (筆者は当局から連行されました。以降は彼の大切にしていたプリティサミーのポスターを保釈品として提出して出所した後に書かれた物です。みなさん早まっちゃいけませんよ。あ、大丈夫ですね、皆さんもう、落ちるところまで落ちていらっしゃる。)
 こうした悲愴な事態を批判し、”重力に対する不服従運動論”を唱えたマハトマ・バンジーの、”紐付き落下実験”が行われたのを最後に、学問体系としての落下実験派の最盛期は終わるのである。


 現在の非ニュートン学派は、細々と命脈を保っているのが実状である。先頃ランゲルハンス島で催されたニュートン委員会に於いて、今では異端となった感さえある同学派の生き残りであるヒロシ・カワグチが発表している。
 ”リンゴがニュートンの近くに落ちたのは偶然ではない。ニュートンの近くにリンゴが落ちたのはガリレオの陰謀であった。”というテーマだ。
 「ガリレオほどの天才が万有引力に気付かないはずがない。彼は自分の生まれていた時代が地動説を演繹させるこの説の発表をするのに適さないと考え、自分と同等の知識を有する者が出たときにこの法則を導かせようとした。そのためにニュートンの散歩道にリンゴを仕掛けたのだ。」という主旨なのだが、更に、「ニュートンの元に落ちたリンゴにはガリレオの指紋が付いている。」と豪語するのを聴くにつけ、非ニュートン学派の伝統は未だ健在なり、と妙に嬉しくなる。もっとも同リンゴは、ストーンヘンジからシャーロックホームズの使ったパイプまでとってある大英博物館に保管してあるためすぐに調べられたのだが、ニュートンが食べてしまっていたので、芯しか残っていなかった。ガリレオ陰謀説は永遠の謎となってしまったのである。


 ピサの斜塔を中心に異様な盛り上がりを見せた落下実験派は、以上のような異常な状態を最後に下火になる。実際の所、そうした者たちの提唱していた非ニュートン力学の科学史的な価値は全くないと言っていい。だが、これら珍妙な法則の数々は、少なくとも当時のヨーロッパを席巻する社会現象まで起こしていることは確かだ。そしてそんな諸理論の持つ不可思議なパワーは、ただ一笑に伏すだけに終わらせるには惜しい光を湛えている。それは新しい物理法則を打ち立てようという人々の意欲の表れであり、野心の宝庫でもあったからだろう。固定化した理論を甘受しているだけの現代人にとって、それは久しく忘れている物を思い出させてくれるのだ。
 我々は見習うべきではないか、斜に構えた頭脳の持ち主達を...。



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