「井の頭公園でデートすると必ず別れる」の都市民俗学的考察

上野均



「井の頭公園でデートをしたカップルは必ず別れる」という噂が、一時、都内の女子高生を中心にかなりの広がりを見せた。ポケベルが流行れば「ポケベルが鳴らなくて」と書けばいいと思っている、あの恥ずかしい作詞界のハイエナ、秋元康がさっそくアイドル歌謡に仕立てていたのを覚えている人もいるかもしれない。
この種の噂を、民俗学周辺では都市伝説と呼ぶ。民俗学とは、簡単に言えば、ある地域の生活習慣や言い伝え、祭事、語彙などを収集、研究する学問だ。というと、一見、かび臭い学問のようだが、実際の活動はというと、古老の話を聞いたり、元庄屋の納屋で埃をかぶった民具を探したり、宮司に神社の由来を尋ねたり、寺で過去帳を繰ったりという、真に年寄りじみた学問である。激しい近代化によって崩壊してゆく伝統社会を調査、研究、保存しようというのがもともとの民俗学の営みであったから、基本的には後ろ向きでも仕方ないのだった。
しかし、物事というものは、記録しておかなきゃと思うときにはもう駄目になっていることが少なくない。これも考えてみれば当然のようなことで、いつでも着手できそうな仕事は後回しにされるものだし、常に次回作にしか関心がないというのは現役としては健康な心の動きであろう。そんなわけで、民俗学が対象にしていた伝統社会は、最初から風前の灯火だったこともあって、ほどなくして消えてなくなってしまった。
対象が消えてしまったら、民俗学の方でもさっさと店じまいをすればよさそうなものだが、そうもいかなかった。第一に多くの民俗学者の生活はどうすればいいのか、という問題が解決しなかったし、民俗学の方法論自体はカビを払えばまだ食べられるような気もしたからだろう。
そんな民俗学サバイバル大作戦の一環が、「都市伝説」の研究である。要するに、現在、都市で囁かれている噂やデマの類に目を向けて、これって民間伝承や言い伝えとおんなじじゃーん、と指摘しようという試みなのである。
都市伝説研究のメリットとしては、
 @ 噂が流れた時間と調査される時間とが近接しているため詳細なデータを取りやすい。
 A マスメディアという、学者よりも大規模で優秀な(敏感な、すばやい、ミーハーな、杜撰な、手抜きの、まちがいだらけの、幾分嘘も交じった)調査機関を利用できる。
 B 都市の社会構造の方が親近性があって理解しやすい(ような気がする)。
 C 噂という対象が大衆の興味を引きやすい。
 D 果てしなく長く退屈な村の古老の話を聞かなくて済む。
 E 調査地まで自宅から通える。
 F 調査と称して女子高生などをナンパしやすい。
などが挙げられるだろう。
たとえば著名なところで「口裂け女」を例に挙げてみよう。この話は岐阜県は美濃加茂市という日本最小規模に属する地方都市が発祥地だとされている。「町の精神病院を抜け出した」といういきなり差別的な過去を持つ、口が耳まで裂けた女の恐怖の物語を覚えておらぬ人はいまい。白いマスクをしている、ポマードが嫌い、新幹線より速く走る、そして決めゼリフはマスクをはずして「私、きれいー?」。懐かしいなあ。
さて、この話からいかなる都市の構造が浮彫りになるのか。興味深いのは、この噂の伝達速度である。たとえば東京で語られた噂が鹿児島に辿り着くのに、ほとんど数時間しかかかっていない、とある調査結果はいう。考えるまでもなく、ここに介在しているのは電話などのコミュニケーション・ツールの発達だ。「口裂け女は新幹線より速い」という伝説は、こうした噂の伝達速度が、噂の本体にフィードバックされたものだと考えられる。それによって、我々は「ああ、この頃はまだケイタイってなかったんだよなあ」と知ることができるのである。
といったところで、井の頭公園である。一体、この噂には何が隠されているのか。それを知るためには、まず井の頭公園について知らねばならないだろう。
井の頭公園は武蔵野市、三鷹市にでれんと横たわるかなり大きな公園である。隣接した動物園には、気の触れたと伝えられている年老いた雌象が孤独に佇み、ウサギが直接触れられるコーナーでは薄汚れたウサギを薄汚れたガキどもがいつも追い回している。公園中央には噴水があって弁天様がまつってあり、ボートはアヒル型と手漕ぎ型の二種類から選べる。吉祥寺駅から近いこともあって花見の季節はかなり賑わう、園内のごみ箱にいきなりバラバラ死体が捨ててあることもある、ごく凡庸な市民公園といえよう。こんな憩いの場のどこに、若いカップルを何組も何組も生木を引き裂くように別れさせてしまう魔力が潜んでいるというのか。
これまでの研究が重視してきたのは、弁天様の存在だ。言うまでもなく、弁天様は女神であり、女というものは神様だろうが何だろうが焼きもちを焼くものと相場が決まっている、だから、井の頭公園ではカップルが別れる、という緻密な論理構成を特徴とする学説である。
この説はいわば井の頭公園の特殊性に着目したものと考えられる。弁天様のほかに大した特殊性があるわけではないので、仕方がない。死体が捨ててあるというのも特殊には違いないが、毎日捨ててあるわけではないから「井の頭公園といえばバラバラ死体」とまで断言できないのがつらいところだ。思い切って「いつも死体が捨ててある公園」としての地位を確立してしまえば、何故カップルが別れるのかにも明解な説明を与えることができるのに、残念でならない。
しかし「恋人が別れるデートスポット」は本当に井の頭公園だけなのだろうか。そんな疑問を元に全国調査をしてみると、ある驚愕の事実が浮かんできたのである。それは名古屋近郊の名だたるデートスポット、東山動物園、いるか池、松野湖、長島スパーランド、犬山モンキーパークなどなどに「恋人必ず別れる伝説」があるというのだ。井の頭公園に固有のものだと考えられていた「恋人必ず別れる伝説」は遍在していたのである。
これらのデートスポットをさらに調べると、興味深い共通点が浮かび上がる。すなわち、
 @ 基本的に何もない。
 A 人だけはうじゃうじゃいる(特に家族連れ)。
 B お金はあまり使わなくて済む。
 C デートスポットとして陳腐で、つまり頭もあまり使っていない。
 D 若くていい加減なカップルが多い。

これでおおよそ理解できたと思う。「デートをすると必ず別れる」デートスポットは、「そりゃ振られるわ、お前」的スポットであり、あるいは「やる気ないデート用」スポットだったのである。
 もうひとつ注目すべきは、噂の語り手の多くが女子高生だということだろう。最新統計によれば、女子高生が一年に交際する男性数は平均4.65人(延べ人数。別れてまたくっついた人数も含む)。つまり一年終ってみると3人から4人と別れている計算になる。高校3年間を単純に累計してみると約14人と付き合い、最終的に残る恋人は普通1人かゼロ、まれに2人以上に過ぎない。早い話が、ほとんどのカップルは井の頭公園に行く行かないにかかわらず別れてしまうのだ。
そこで、いくつかの結論が導かれる。
 @ 拝金主義的資本主義の蔓延により、男女交際の成否は費用と労力に比例している。
 A ほとんどのカップルは別れるか、別れる過程にある。
 B 吉祥寺にあるF女子高の彼氏はヤンキーが多いというが、本当か。



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