渡辺ヤスヒロ
季節は冬。
ウィンタースポーツの季節である。折しもこの冬は日本で冬季オリンピックが開催されることもあり、スキースノボー熱は沸騰中であろう。しかしこんな楽しい冬を迎えることができるのも残りわずかなのかも知れないのである。それは何故か。暖冬で雪が降らなくなってしまうかも知れないからである。雪が降らなくとも人口降雪機があると言う人もいるだろうが、気温そのものが上がってしまっては雪は存在し得ない。
1997年に京都で行われた地球温暖化防止会議が問題としているこの全地球規模の問題に机上理論学会からも一つの解答をここに示しておこうかと思う次第である。
地球の温暖化によって南極の氷が溶けると海の水位が上がる。すると地球上の何割かの都市は水没してしまうと言う。この場合の被害は計り知れない。ここではその海水面の上昇を抑える手段を考えてみる。
地球全体が温暖化していったと言っても一年間を通して氷点下である場所がまだまだ残されている。それは北極南極といった極地である。今後温暖化が進み日本が常春になってしまっても南極が寒いことに変わりは無いだろう。氷点下を保つと言うことは、そこで増えた氷は溶けないので減る事はないと言うことなのである。
つまり、南極でどんどん氷を作ればよいのである。原材料はもちろん海水である。
北極は陸地ではないので氷を作っても流れだしてしまったりしかねない。その上、海に浮かんでいるのでいくら海水から氷を作っても海水面の上昇を抑えるという作用はない。そのため南極に話を絞ることにする。
極付近は偏西風にも影響され難いので非常に高く作ることも可能である。南極に数千メートル(もしかしたら1万メートル)を超えるかも知れない氷の山を作るのである。これだけの氷を作るための海水も相当量必要であり、温暖化によって上昇した海水面を下げる効果はてきめんであろう。
せっかくだからこの氷の山を有効利用することも考えられる。
まず考えられるのは中を空洞にして高層建築物として扱うことであろう。冷房の必要の無い冷凍庫(冷蔵庫)としてはかなり優秀なのでは無いだろうか。気温が大体氷点下で安定しているので湿度も低くものの保存には適している部分もある。もちろん凍りつくと破壊されてしまう様なものは無理だが冷凍保存ができるものは多い。例えば食料等は特に低温状態では細菌や虫害に侵される心配も激減すると言えよう。
次に居住空間としての氷の建物である。かまくらやエスキモーの家等を見ても分かるように雪や氷で作ったとはいえ内部は温かく快適らしいから居住すると言う事も十分に考えられる。南極の雪で作ったかまくらの中で火鉢に当たりながら飲む南極の氷のオンザロックなど、考えただけで贅沢ではないだろうか。
南極は一面氷の世界で絶景であるとも聞いている。そんな景色の良いところならばリゾート地として優秀なのではないかと考えることも出来るわけだ。スキー場などの様に山を削ったりしていなくとも一面何も無い雪景色は観る者の心を雄大な気分にさせ、公害など無縁な空にはこの世のものとも思えない程に美しいオーロラが輝いている。人里離れてゆったりと落ち着いた保養地としても十二分に可能性を秘めていると言えるだろう。
南極にはもちろん雪が一年中あるのだからウィンタースポーツは、やり放題であると考えられる。低温であるためいつでもぱさぱさのパウダースノーで思う存分スキーし放題なのである。それも日本が夏でも冬でも無関係にできてしまう。スキー選手の合宿、練習はもとより、長期休暇といえば夏休みである、夏にもスキーが長期にできるのである。
今までは夏季オリンピックと重なってしまうと言うだけの理由で南半球で行われることのなかった冬季オリンピックが、南半球にもかかわらず冬(12〜2月)にできる。と、言うより一年中できる。しかもずっと昼か、ずっと夜と言った場所なので、24時間続けることもできてしまう。これで夜中だけのスポーツ中継でわびしい思いをしなくとも済むと言うものである。
ほかにもメリットは多く考えられる。
例えば雪祭を開催してみたりする。春が来ても決して溶けることはないので雪像は壊さなければ半永久的に残すことが可能だ。雪は大量にあるので大きさ制限もなくせるかも知れない。芸術家の新たな挑戦であると言えよう。
南極は寒いところだからコタツでミカンを食べながらテレビを眺めるという至福の時間を一年中堪能できるかも知れない。でもテレビは紅白や隠し芸大会ばっかりかも知れない。ひょっとしてお年玉も何度も貰えるかも知れない。御歳暮や年賀状がいっぱい来るかも知れない。
でも南極にはまだオゾンホールと言う問題が残っていたりする。
紫外線の恐怖に怯えながら南極生活を楽しむのはまさに薄氷を踏む思い。だったりして。
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