老け込み加速度

渡辺ヤスヒロ



『光陰矢の如し』
 最近は1年が過ぎるのが早くなった。
以前はもっとゆっくりと時間が流れていた様な気がする。

大人は一様にそう考える。どうしてだろうか?1年の長さは決して変わっている訳ではない筈なのに、そしてほとんど全ての人がそう考えるていると言う事も十分に不思議ではないだろうか?時間が過ぎるのが遅くてたまらない、1年間がどんどん長く感じると言う人がいないのは何故なのだろうか?

 今までの経験にない新しい行動を起こすときに、人は注意深くならざるを得ない。逆に慣れた行動をこなす場合にはそれほど注意していなくとも良い。
 初めての行動を起こすとき、今までの経験が生かせない時にはその行動の詳細を全て頭の中で考えながら行なうことになる。例えば初めて自転車に乗る時、ハンドルを握る手やペダルを漕ぐ足だけでなく、体全体のバランスや進む自転車、出ているスピード、ブレーキ…と、際限なく注意しなくてはならないことがあり、そのいづれかをおろそかにしても上手く乗る事は出来ない。しかし慣れてくればその全てをこなしつつ片手でハンバーガーを食べていたり、携帯電話を掛けていたり、鼻唄を歌っていたり、考え事をしていたりと他事を出来る様になってくる。その動作に必要な部分のみに注意を向け、同じ繰り返し部分は考えないで動作する様になるためであり、そう言ったいわゆる慣れによって生み出される余裕はあらゆる行動、動作に出来て来るのだ。これらの余裕が実際にどう扱われているのだろうか。

 例え慣れていない時よりも早くこなせる様になったとは言え、どんな行動でもある程度の時間はかかる。注意深くなっていない時にその余裕部分で人が何を考えているのかと言うと、驚くべき事だが全く関係の無い事をのんびり考えていたり、実は何も考えていなかったりするのだ。
 注意深く精神的に集中している間は充実した時間を過ごすことになる。実際にそう言った動作を行なっているときはともかく、後から考えると短い時間を長く感じている。充実と言う言い方にに問題があるならば密度の高いと言い換えても良い。
 注意深くない場合には同じ動作を行なっていても集中していない分時間を短く感じているのではないかと言える。
 齢を重ね経験を増やして行けば新しい動作は減っていき、動作に対する慣れが増加する。だから歳を取ると同じ1年でも短く感じると言えるのである。

 毎日同じ事を繰り返す人にとって1年とはあっと言う間に過ぎてしまっているだろう。
隠居老人ののんびりとした生活はまさに単調そのものであり、彼等にとっての時間の経過が早いのは当然の事なのだ。逆に忙しいとしてもそれは関係ない。毎日を仕事に明け暮れている人も同じ様な作業の繰り返しであることが多い。それも同じように時間の経過を早めているのだから。

 つまり最近時間が過ぎるのが早いなあと思っている人は生活がマンネリ化しているのだ。その単調な生活習慣があなたをどんどん老け込ませていると言う訳だ。
 是非生活態度を考え直して頂きたい。



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