東山錦一
人が本能的な行動をおこなうと快感を得る、それは何故か。この問いに対する答えのひとつとして、次のようなことが指摘されている。「本能的行動は危険を伴う*1。しかし、個体あるいは種の維持の為には欠かせない。そのため、人は強い快感によって本能的行動をとるよう動機づけられている。」別の言い方をすれば、「人は本能的行動なんてやりたくない、もしも快感が得られなければ。」ということになろう。
実際、本能的行動なんてやりたくない、という状況はよくあるものだ。「寝食を忘れる」という言葉がまさしくそれを表している。本を読んでいて夢中になり、夜更かしをしてしまった、食事もとらなかった、などという体験は誰しもあるものと思う。
一見するとこれは妙である。「寝食を忘れる」なんていうのは不健康である。何故人は読書よりも食事を大事にしないのか。そのよう(食事を大事にするよう)にデザインされて*2いたほうが、生物としては優れているのではないか。
「何故」に答える前に、「知識を得る・学習する」 -本を読むことと深いつながりがある- ということについて考えてみよう。人間は知識を得るのが好きである。学習するのも(学校の宿題なんかを別とすれば)好きである。それは何故か。
こちらの問いには容易に答えることが出来よう。それは「エサを手に入れるとか、危険を回避するとかの際に極めて有効だから」である。森を出た人類にとって「棒を振り上げて威嚇すれば、たぶんライオンは近づいて来ない」といった知識は役立ったに違いない。
「学習」は人類に限られたものではなく、ネズミだろうが鳩ぽっぽだろうが学習はする。しかし彼らに出来るのは、エサの入手と直接に結びついたことだけ -ボタンを押せばエサが出てくるといったような- である。この点が人間と決定的に異なる。人間は全くどうでもいい事柄をも学ぶことが出来る。なんだかちっとも良くないようだが、悪いことばかりでもない。
例えば、人間は毛皮を着ることを知っている。毛皮を着ると暖かい、その毛皮を着る為にはどのような作業が必要か、ということを。「毛皮を着ること」そのものは食糧の入手とは関係ないものの、寒い冬に屋外で活動出来るようになった結果として人間はより広く食糧を求めることが出来るようになった。
このような、無駄であるかのようにも見える知識を人間が獲得できたのは、人間が食事よりも知識を重視するようにデザインされているからではないだろうか。少々狩りをサボっても毛皮の処理法を工夫する、といった感じで。ホモ・サピエンス・サピエンスが現在のような隆盛を誇るに至った要因として、この知識獲得に対する徹底ぶりが重要であろう。ホモ・サピエンス・ネアンデルターレンシスとはそのあたりで差がついたに違いない*3。
ようやく最初の「何故」に答えることが出来た。「人間は知識獲得を重視することによって、他の生物に対して優位に立ったから」である。いや、思いのほか長い前置きになってしまった。本題はさっさと終わらせよう。
あなたはコンピューターゲームを何時間もやり続けてしまった、という経験がないだろうか。著者には沢山ある。ゲームで徹夜してしまった、というのもよく聞く話である。えんえんゲームをやり続けていれば、腹は減るし眠くもなる。腕が疲れてきたりもする。それでもゲームを続けてしまうのは何故か。
無論、ゲームは本能的行動ではない。多くの場合、知識を増やすわけでもない。いや、本当にそうだろうか?
何を以て知識の獲得とみなすか、というのは本来大脳皮質のレベルで判断される事柄であろう。だが、人間が知識の獲得を好む、というのは遺伝子のレベルで決定されているとみるべきである。その決定に際して使われるという意味において、遺伝子レベルでも「何が知識の獲得か」という判断がある程度行われているだろう。この遺伝子レベルの判断では、コンピューターゲームが知識の獲得作業と混同されているのではないだろうか。こう考えると人間がゲームを好む理由を説明出来る。
コンピューターゲームは人間の遺伝子の判断ミスを誘うことによって流行している。
こうして考えてみると恐ろしいことである。多くの毒物が化学反応の「ミス」によって毒性を持つ*4こととも符合する。コンピューターは、人間社会全体に対する毒物であり、破滅を招く「悪魔の発明」であるといえよう。人間は、食糧よりも知識を重視する、という性質によって今日の隆盛を得た。その同じ性質によって人間が滅びることになろうとは、運命は皮肉なものである*5。
*1 たとえば、睡眠中に肉食獣に襲われるなど。
*2 話を進め易くする都合上、人間が何らかの意志に沿ってデザインされているかのような表現をとることをお許し頂きたい。実際にはそのような意志 -神とか- を想定している訳ではなく、「優れていないものは自然淘汰されたであろう」と考えているだけである。
*3 化石人骨の研究から、ネアンデルタール人は毛皮を着ていなかったことが知られている。
*4 例えば、一酸化炭素は酸素以上にヘモグロビンと結合し易い為に毒性を持つ。
*5 関係ないが、塩野七生が「ひとつの文明は、興隆の際に働いたものと同じ原因
(その民族のもつ性質)によって衰退する」という仮説を立てている。
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