字がうまくなる方法とその証明

水田徹・加藤邦道




 なぜ、悪筆なのか?
 字が下手か上手かということを問題にすることはあっても、なぜ字が下手か上手かということを問題にすることは少なかったように思われる。字が下手であったり上手であったりするのは、どうした理由によるものなのか。
 習字の練習量であったり、ひどいものになると本人の性格(ずぼらであるとか几帳面であるとか)に帰せられることすらある。そして事実、字の上手さによって人格まで規定されてしまうことすらあるのである。しかし、言うまでもないことだがそれらはひどい誤りである。
 本論文はこうした誤った認識が通用してしまっている現状を憂い、悪筆の真の原因を啓蒙するともに、字が上達法ならびにその証明法を提示するものである。

 再び冒頭の質問に戻ろう。なぜ、悪筆なのか?
 無論、それは練習が足りない訳でもなければ、上手な字を書くのが面倒くさい訳でもない。それは、自分の手にあった筆記具を使っていないからである。
「弘法筆を選ばす」という格言も、通常の人間の書く字がいかに筆記具に依存しているかを示すものである。
 字がうまい人は、たまたま普段筆記用具として用いる、鉛筆やボールペン等が「自分にあった」筆記具だったにすぎない。無論、鉛筆などが通常筆記具として用いられているのは、それらが多くの人にとって手にあった筆記具だからに違いない。しかし、それらが万人にとって最適でないこともまた事実である。ボールペン一つをとっても、世界中に何万種もの商品が発売されているのは、人によって最適な筆記具が微妙に違っているからなのである。
 字が下手な人も、最適な筆記具さえ選べばきれいな字を書くことが出来るのである。例えば自分に合った筆記具が何たるか分かっている人なら、小学校の習字の時間に「アフリカのンデベレ族が用いるダチョウの肋骨ペンさえ使えば、俺だって上手にかけるのに」というような悔しい思いをしたことも少なくないであろう。あるいは自分に最適な筆記具を未だ見出だせていない人でも、「こんな鉛筆では、本当の俺の字は書けない」といったもどかしさは感じたに違いない。
 字がうまくなるにはどうすればよいかもうお分かりだろう。何十万と存在する筆記具の中から自分にあったものを探し出せばよいのである。人々は字をうまくなるために習字の練習などすべきではない。最適な筆記具を求める旅にでるべきなのである。

 「美しい字を書くには適切な筆記具を選べばいい」、この習字上達法が本当に正しいのか疑問に思われる人もいるだろう。そこで、以下にその証明法を示す。
 先述の命題を証明するには、その対偶命題である「不適切なペンを選べば字が汚くなる」ことを示せばよい。つまり、この上達法を証明するために「不適切なペン」を作り、そのペンでは上手な字が書けないことを示せばよいのである。
 悪筆のためのペンには色々なものが考えられる。
 例えばバスケットボールの一部分からペン先が出ているペン。このペンで字を書こうとすると、バスケットボールを手の平でつかんで、下側にちょろっと出ているペン先で文字を書かなければならない訳である。あるいは、直径0.8mm,長さ6mmの小型ペン、モーターが内蔵されていて不定期に振動を繰り返すペンなど。
 あなたも独自の悪筆ペンを開発し、この上達法が正しいことを確認してほしい。そして、安心して旅にでて自分に最適な筆記具を見つけだしてもらいたい。



論文リストへ