人類はみんな猛勉強家

穂滝薫理



 最近の若者はちっとも勉強せん!
 例えばどっかのおっさんが怒っていたとしよう。
 しかし、彼らもまた、その前の世代からは同じことを言われていたことはよく知られている。もちろん、その前の世代の人々もそのまた前の世代から、最近の若者は不勉強なり、呼ばわりされている。この鎖はどこまでさかのぼっても途切れることがなく、なんとエジプトの遺跡からも「最近の若者は・・・」という言葉が出土していることは有名である。言うまでもないことだが、最近の若者はよく勉強している、などというおやじは人類の歴史の中で一人も存在しなかった。
 つまり、人類は常に世代を下るごとにだんだんと勉強しなくなってきているのである。換言すれば、人類はその歴史をさかのぼるほど勉強量が多かったということである。
 科学の発達、そして歴史の積み重ねと共に、我々には学ぶべきことがどんどん増えていっているように感じるが、それでも彼らの世代の方が勉強することが多かったのだろうか。多分勉強の中身が違うのだろう。科学を例にとれば、物事がよく分からなかった時代だからこそ勉強すべきことが多かったのだろうか。現代の若者にとっては当たり前すぎて学ぶ必要のないようなことでも彼らは勉強しなくてはならなかったのかもしれない。または、今日我々が勉強と考えているものとは違うもの、恐らく、神学とか哲学、あるいは軍事学といったようなものだったのかもしれない。
 ところで、我々最近の若者は決して勉強していないわけではない。そのことは、我々自身がよく知っている。受験戦争を戦ってきた、あるいは、現在も戦っている人は、なんでこんなに勉強するんだろうって疑問に思うくらい勉強しているのである。
 にも関わらず、前の世代の人達の勉強量にはかなわないというのか!
 しかも、その彼らでさえそのまた前の世代にはかなわない。こうして考えを詰めていくと、ある感嘆にたどりつく。
 アダムとイブは信じられないほど猛勉強家だったんだなぁ、と。
 だけど、おっさん、と私は言ってやりたい。そんなに勉強したにも関わらず、リンゴの実を食べてしまったところをみると、あんたたちの勉強方法は間違っていたようだね。



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