高橋英明
近年、有害図書が青少年に与える影響が、深刻なまでに懸念されている。
宮崎被告によるとされる幼女連続誘拐殺人に始まり、じゅん君生首事件に至るまで、マスコミが精神異常者を形成させたと思える事件は、枚挙にいとまがない。
表現の自由が一部で叫ばれているが、権利の濫用は公益に害するほどに認められるべきではないことは、我が国の憲法にも明文化された事実である。
そう、やはり悪書は検閲されて然るべきである。
だが、よくよく注意されたいのは、悪書の存在は、決して性的や倫理的なモノに限らないと言う明確な事実である。
なぜ事実か。それは、「我々が信奉して止まない科学」に対する冒涜ともいえる数々の悪書を目にしているからに他ならない。
論理の前提を明確にしないままの議論。さらに、得体の知れない出典や、ソースのあかされない数々の情報。そして推測の域を出ぬままに下される、(2行先にあるような)断定の数々。このような状況では、健全に科学する心が育たなくても不思議ではない。
そう、マスコミは有害な病人を発生させるだけでは飽きたらず、有益な人材を駆逐しているのである。
この現状を憂うのは、至極自然なことだろう。だが、実現できる代替案のないまま、駄目だ駄目だと単に否定するだけでは、「実際に与党になったとたん責任を言い訳に主張を切り替えたぶわぁか某党」と同じに思われかねない。それは耐え難い屈辱である。
そこで、具体策として、出版界に対し、当局による検閲を提言する。
検閲といっても、発行を停止させるのではない。あくまで目的は読者に科学的な概念を形成させることである。つまり、著者の無知を指摘し、科学的な解釈、補足を併記させることを義務づけるのだ。
例えば、以下のような体裁となる。
幼児向け読本<むじゅんてなあに?>(民明書房刊)
あきれすと かめ
あしの はやい あきれすが、
あしの おそい かめと きょうそう しました。
あきれすは、 かめを バカにしたので、
かめよりも おそく はしりだしました。
すると、どうでしょう。
あきれすが いま いる いちから、
かめの いたところまで
はしっても、
あきれすが うごく あいだに
かめは (わずか でも)さきに
すすみますね。
あら ふしぎ。あきれすは かめには
おいつけないのです。
これに対し、以下の注釈がつく。
アキレスを甲者、亀を乙者とすると、
甲者が乙者の居た位置まで
移動することを以降の議論の前提に据えています。
ゆえに、結論として甲者が乙者を追い越せないことは当然です。
このような限られた前提の議論から導かれた結論は、同前提の状況にしか保証されません。
それをいかなる状況にも当てはめようとする行為が間違えています。
しかし、矛盾ということが存在しないわけではありません。
前提の組み合わせによっては、結論が存在出来ないこともあり、その状況を矛盾と呼ぶことがあります。
くわしくは、文部省刊行の臣民語彙録論理学編用語第三巻(24頁)contradictionの項を参照して下さい。
うーん、われながらすんばらしい考えだ!
もちろん、注釈作成にかかる費用は出版社持ちだろう。この方式によって、怪しげな本には、莫大な量の注釈が必要となり、必然的にコストがかかるようになる。そうなれば、たま出版の出版数は減少し、MMRは閉鎖されるにちがいない。
まぁ、弊害として、机上理論学会の論文集も出版されなくなるだろうが、それはそれ、産みの苦しみは心の税金、しょうがないとあきらめることも大人の条件である。
おめでとう。
|