水はどこへ行った

穂滝薫理



 地球規模で水不足だと言う。雨の女神は人々の願いを聞き入れず、砂漠は進行の足をゆるめようとはしない。これほど水の豊富な日本でさえ、ここ数年間は、夏になるとどこどこのダムが干上がりそうだというニュースが流れるようになった。
 水不足とはすなわち飲み水の不足と言い換えてもいい。もちろん、飲み水以外にも必要な水は存在するが、人間にとって最も重要な水は飲み水であることに異論をはさむ人はいまい。風呂に一週間入れなかったところで、別に死にはしないが、飲み水が一週間もなかったら死活問題である。地方によっては、取水制限、給水制限によって、この問題に直面した人もいることだろう。
 地球規模でこの問題が起こっているのである。中東やインドあたりで、脅威的に人口が増えているにもかかわらず、水は増えない。ダムを干上がらせるほど減っているのである。世界中の人々がのどの乾きに耐えていることを想像するのはつらいことだ。
 ところで、地球上に存在する水の総量は一定であるはずだ。宇宙へ散ったのでもない限り、なんらかの物(もしくは状態)に姿を変え、この地球上に存在しているハズである。そして、宇宙へ散ったとは到底考えられない。だとすれば、水はどこへいったのか? 実は答えはすでに述べている。そう、人間になったのだ。人間はその体の70%が水だと言われている。新しい人間が1人登場するたびに、他の人間の飲み水がそれだけ減っているのだ。やはり、人口増加はくい止めねばならない。これはもはや、インドや中国だけの問題ではない、人類全体の問題なのだ。分かったかインド人。

 と、思ったのだが、一応気になって調べてみた。
 資料から私が計算したところ、地球上の海洋、主な湖沼、主な河川の水量の合計は、
  およそ1.370215×10の18乗(トン)
である。気の遠くなるような数字だが、古い日本の単位で言うと、“兆”の上の“京”を使って、
  およそ1370京(トン)
になる。これに対し、人間がその体内に保有する水の総量は、仮に人間1人の体重を60kg、世界の人口を50億人としたとして、
  60×0.7×50億=210,000,000(トン)
である。実に地球の総水量の
  0.0000001458%
に過ぎない。ほとんどゼロと言っていいような割合だ。
 と言うわけで、安心しよう。人口があと10億人増えたところで、それが原因で水が不足することはない。減った分のダムの水は必ずどこかにあるのだ。それを捜せばよい。

参考文献

 『ワールドアトラス』 帝国書院 1500円



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