加藤法之
拙論、“仮面と変身”は幸いにも、発表から16ページを経た昨今、ようやく世間に浸透しだした感があり、難産だった同論の著者としてはこれに勝る喜びはない。おかげをもって今日では、改造人間精神論説として一般化したこの論だが、その反響の中には意図するものとは異なる解釈をするものも出てきて、意思伝達の難しさを悟るなど、提唱者としては複雑な心持ちとなっている。
どう曲解したのか、私への質問の中でも奇妙だったのは、「ハヤタ隊員がウルトラマンになるのも気のせいなんですかぁ。」という呈のものである。これを初めて耳にしたとき、正直、くらっとなるのを禁じ得なかった。そもそも何故この様なことを思いつくのかが、私にとっては逆に不思議になったからである。意地悪で遠回りをしているとしか思えないようなゆりかもめに揺られていると、知らず知らずよけいなことを考えてしまうということなのだろうか。(実際の所、私の知る限りでも、気が付いたら巨大化していたという人物は、フジアキコ隊員位のもので、他には類例を見ない。)
ウルトラマンは等身大ヒーローじゃないでしょ。
上記の様な質問にあうたび、私はそう叫んで地球を二周ほど走り回りたくなる。そしてこんな時、それにつけても思い知らされるのは、
一般の人はヒーロー番組を見ない
ということだ。仮面ライダーとウルトラマンの初歩的な違いすら分からない者の輩出も、そもそもこれが原因だろう。(しかし残念ながら私にも、ゴレンジャーとジュウレンジャーとニジュウレンジャーの違いは分からない。)
両者の変身は機構そのものが別物であり、変身という言葉で双方を括っているというのが、実は円谷英二と川北紘一をひとまとめに”特撮の人”と呼ぶほどに大雑把なものなのである。
ハヤタからウルトラマンへの変身のメカニズム。
等身大ヒーローの謎を解明した者の宿命として、拙論を補足する意味でもまた大きくはヒーロー達の活躍を啓蒙する意味でも、この難問にとりかからねばなるまいと、不退転の決意で研究にとりかかった成果が本論である。
固体、液体から気体へと至る物質構造の変化は、相転移と言われる。
また、分子同士がくっつく、もしくは離れることを、化学反応という。
相転移、あるいは化学反応が起こる時、どちらも熱の出入りが行われる。氷に触れると冷たい。これは氷が水に相転移する際、手から熱を奪うために冷たいと感じる。また、使い捨てカイロは鉄が酸化反応して酸化鉄になるために起こる発熱反応のため、ぽかぽかと暖かい。
こうした反応、自発的に起こる物もあるが、その殆どは、他からの影響がその発端となる。それは、反応が起こって別の状態になるには、越えなければならないエネルギーの壁があるからであり、物質がこの壁を乗り越えて他の状態に変わるとき、滑り降りた先が元のポテンシャル(内在)エネルギーよりも高ければそれは吸熱反応であり、低ければ発熱反応となる。(エネルギーの壁がないとき、反応は自発的に起こり、多くの場合不可逆的な反応である。)
これら物質の変化と、変化を起こすための壁を乗り越える術。これが今回の疑問を解く鍵を握るのだ。
人体、ウルトラ体へと至る身体構造の変化は、TBS-Tactical-Body-Shift(戦術的身体遷移:危険に対処するために身体を変質させる)と呼ばれる。
この人体とウルトラ体の関係にも、両者の大きさから見て内在エネルギーの差異があり、また毎週変身している、つまり非可逆変化ではないことから、変異を阻むエネルギー壁があることが推察される。
これらに当たるものを、具体的に記録映像の中から探すのは容易である。よってここから、ウルトラ変身の秘密に迫っていくことができる。以下、まず人体→ウルトラ体反応から探っていこう。
人体がウルトラ体になる場合、後述する理由から吸熱反応であるとすると、その変質にはエネルギーの壁を打ち破るような小道具の存在が考えられる。そして果たせるかな我々は、そこにハヤタ氏の持つベータカプセルや、ダン氏の持つウルトラアイの存在を示唆できる。
ベータカプセルは、フラッシュビームと言われるエネルギーを発光し、人体が吸収してウルトラ体になる。フラッシュビームから我々は、人体→ウルトラ体のエネルギーの壁は100万ワットであることを知ることができる。(参考、ウルトラマン主題歌)
ベータカプセルが明確なエネルギー供給アイテムであるのに対し、ウルトラアイのそれは一見不明確だ。外見からは人体が眼鏡をかけるのと大差無いからである。しかしこれは、この変身法の非常に効率的なことを示している。すなわちこの変身では、ウルトラアイは局部的にエネルギーを放出しているのだ。
ウルトラアイから直接刺激を受ける場所と言えば、視覚以外に考えられない。となれば、変身時の人体は同アイテムから映像を供給されている可能性がある。
100万ワットに匹敵する映像...。きっともの凄いものを見せてくれるのだろう。ダン氏以外では鼻血が出ちゃうかもしれない。
郷氏はうぶであったためか、この方法には依らず、我が身に危険行為が及ぶと変質するという方法を採っていた。これは高い所から飛び降りる時などに発生する運動エネルギーを利用するのであろう。
ことほど左様にこの反応にはエネルギーの壁を乗り越える時の試練があるのだが、この調節はなかなか難しかったようだ。この壁を低くしてしまうと、怪獣退治後の記者会見の席上でストロボを一斉に焚かれたハヤタ氏が巨大化してしまったり、だからといって高く設定しすぎたために、並の危険行為では変身できず、自ら自動車に突っ込んでいって跳ねられなければならなかったなどという悲惨な報告もなされている。(”当たり屋郷チャン”と言えば、当時関東一円のドライバーを震え上がらせたそうである。)
次に、ウルトラ体→人体反応である。
前述の反応と違って、この反応には明確なアイテムは現れない。しかし、基本に立ち返ってみれば、意自ずから明かとなることを示したい。というのも、前節に、人体→ウルトラ体反応は吸熱反応だと推定しているのは、ここで提起しているウルトラ体→人体反応が発熱反応と考えられるからである。
これは、ウルトラ体時においては彼自身の熱収支は圧倒的に発熱現象が多いことから、その中の一つがエネルギーの壁を乗り越えるときにも有効なのではないかという推察から演繹されるものである。
ウルトラ体時に観察される発熱現象のうちで、最も顕著なものは、言うまでもなくスペシウム光線である。
スペシウム光線とは、ウルトラ体の両手をクロスさせることによって、その間に生じるエネルギー差を埋めるように生じるエネルギー波を敵にぶっつける技である。その破壊力は殆どの怪獣を薙ぎ倒し、その影響力は、幼児が真似をするだけでも親バカな大人を倒すほど強力である。
一般に言われているスペシウム光線の効果とは、主としてその必殺性にのみ言及されているが、本当にそうだろうか。絶大な破壊力はその代償として膨大なエネルギーの消費を伴う。そのため、発射にはかなりの危険がつきまとう。しかし、にもかかわらずウルトラ体の時、彼がそれを毎週使うのには、上記の理由だけでは些か足りないように思われる。そもそもこの技、その危険度から考えて、彼らの故郷であるメシエ78では使わないであろう。彼ら自身が日常生活を営むのには不適当な力と考えられるからだ。(ウルトラの母がスペシウム光線で魚を焼いたところ炭になってしまった。それを見たキングが「やっぱりさんまは目黒に限る。」と言ったという。(参考文献。山田二郎”小噺ファイト”))では地球だからそんな技を使うのか、地球をウルトラの星のムルロア環礁にしているのかと、憤るのは尚早である。これにはやはり、それ相応の理由があるというものだろう。
ウルトラ体でい続けることに危険が伴うこの武器の使用も、人体に戻るための手段、つまりウルトラ体→人体反応に於けるエネルギーの壁を乗り越える手段としての発熱反応と考えると、上記矛盾もしっくりくる。何故なら、今まで学会の議論の中心になることの多かった、”何故さっさと必殺技を出さないのか?”といった疑問にも答えることが出来るからである。すなわち、スペシウム光線を撃ったら、人間に戻ってしまうからだ。
一発光線を放って、それで相手を倒せなかったら大変だ。相手が生きているうちに人間に戻ったら、それこそ何をされるか判らない。だから、そうならないように、スペシウム光線発射前には十分に相手を痛めつけておく必要があるのだ。死にそうになっている相手にも容赦なくとどめを刺すことも、こう考えればその非情さにも頷ける。撃たなければ人間に戻れないからだ。たまに失敗して、発射前にうっかり殺してしまうこともあるが、そんなとき彼は空高く飛び上がって位置エネルギーに変換することでエネルギー壁を乗り越える手段とするのである。
以上が人体、ウルトラ体反応におけるエネルギー収支の、観察から得られる実際である。今回ウルトラ体に絞って論を進めてきたが、本論述が数多の巨大ヒーローものに普遍的に適用できることは明らかであろう。すなわちそこには、人体から巨大化するためのアイテムの存在が確認できるであろうし、死者に鞭打つような怪獣への虐待が観察されるであろうからである。
ところで、人体とウルトラ体。この二者の様に明らかに内在エネルギーに開きのある変質をする場合、本質的な両者のエネルギーの差異は何処から供給されるのであろうか。
瞬間的にエネルギーを高める既出の諸アイテムでは、触媒とは成り得ても、全てのエネルギーの供給源としてはあまりにも貧弱なのだ。だがそれもそのはずで、そもそもこれを為すには、変質を遂げようとする本人一人の力では不可能だったのだ。
ウルトラ体を維持するエネルギー、それにはウルトラ体を応援する多くの人々の熱い視線がその源泉として必要なのである。
それはTBS的観点では、視聴率と言われている。
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