牛田猛
突然の雨に濡れて、学校や外出先から帰ってきた経験は誰しもあると思う。困った困ったと言いながら私たちは笑っていられた。思えば『雨に唄えば』という映画もあった。しかし、今はそんなロマンティックな時代ではない。
酸性雨の時代が始まったのである。
人間の営みによって大気に放出される二酸化炭素は年々増加し、いつしか私たちに内緒で雨に溶け込み、酸性の雨を日々私たちにもたらしている。聞くところによるとpH値が4だとか3だとかいうのだから尋常ではない。すでに北ヨーロッパをはじめとする世界の森林では、数知れない樹木が死滅しつつあり、私たちの吸わなければならない酸素の供給を脅かし始めているのである。それだけではない。昔、硫酸をかけられた美空ひばりを思い出すまでもなく、そんなものを浴び続けていれば傘の骨は曲がり、雨ガッパは穴だらけになり、私たちの肉体は確実にでろでろに溶かされてしまうことは間違いない。
まだ日本ではその影響ははっきりとは見えてこないようだが、そのうち日本も豊かな森林が立ち枯れるのを目の当たりにし、酸にとろけた皮膚を露出しながら環境軽視の傲慢を反省する日が来ることは想像に難くない。しかし反省するだけでは人類は生き残れない。酸性雨の防止は、まさに全世界的な課題として、一刻も早い具体的な行動が求められているのである。
以下は、徹底してプラクティカルな認識に基づき、考案された酸性雨対策である。実を言えば余分な二酸化炭素を出さない産業システムを構築するのが本筋なのだが、そんな悠長なことは言っていられないので徹底した対症療法を提示することにしよう。反論は一切受け付けない。いや、正しく言えば、キリがないから受け付けられない。
1.雨の有効利用
「酸」といっても千差万別であるが、酸性雨は二酸化炭素が溶けているのであるから要するに炭酸水と言えるだろう。さて、炭酸水に対する現代人のニーズは極めて高い。そこで、地上に降る前に味を加えてビンや缶に詰め、清涼飲料水やビールにしてしまえばいいのである。地上の工場を経由しない本物の炭酸水。天からの恵み。どこぞの「一番搾り」ビールもしっぽを巻いて逃げる新鮮さではないか。集水設備は、これまで世界中に空き缶を撒き散らしてきたコカコーラやペプシコーラら飲料メーカーに共同して作らせるのが適切だろう。
また、アルカリ性の物質を加えて中和するという方法が考えられる。「月に雁、酸にアルカリ」と古の昔から呼びならわされているのは周知の事実である。地上に落ちてくる前の段階で酸の特質を奪うのだ。しかし、アルカリ性というのもかなり危険な物質が多い。物によっては、酸性の物質に負けず私たちの肉体をでろでろに蝕んでしまうのである。だから下手な物質は使えない。そこで私たちが毎日親しみ、安全で身近なアルカリを利用することが肝要だ。それは何だろうか。
石鹸である。確かそう習った。
雨雲に石鹸水を打ち込んでしまえば良いのである。ただし、安全とは言っても、もちろん石鹸を飲んでしまうというわけにはいかない。石鹸はあくまで体を洗うのに使用するものだから、中和した上でさらに落ちてくる石鹸成分で体を洗えば、言うことはない。雨の日は狭い風呂など使わずに、石鹸入り天然シャワーで汗を洗い流そう。屋外で恥ずかしければ仕切りを作るまでだ。極めてクリーンな方法、と自画自賛するよりない。
2.光合成の強化
次に、酸性雨に負けないように光合成をぐっと推し進めて空中の二酸化炭素を酸素に変えてしまうという手が考えられる。要するにできるだけ葉緑素を増やせばいいのだ。しかし葉緑素を飛行機から散布すればいいというわけにはいかない。雨粒とまじってバラバラと地面に落ちるだけに終わるだろう。
ここで求められているのは、空を飛ぶ植物の開発であろう。光合成を担う植物自体が空中を浮いていればいいのである。近頃は、土がなくても空気中の二酸化炭素を吸って生きているエアープラントというものがあるが、あれが勝手に空を飛ぶようになれば問題は解決する。二酸化炭素の濃い場所に向かって飛ぶ習性を身につけさせればもっといい。飛ぶだけならば動力をくっつけてしまえば簡単なのだが、いちいち小型ジェットエンジンなどつけていると逆に環境破壊になりかねない。ゴム動力ならば地球にやさしいが、すぐ力尽きるので人間社会に途方もない負担を強いることになる。やはり動力の選択には気をつけなければならないだろう。
森の上空の風景が気持ち悪くなりそうなので、ちょっと発想を転換しよう。植物の動力に頭を悩ませるより、すでに空を飛ぶと決まっているものに植物を結びつけてしまえばいいのではないか。空を飛ぶものとはいっても、蝶や蛾などの昆虫類ではいささか役不足である。かといってコウモリやムササビはなかなか明るいところに出てくれない。従って、ここでは鳥類がもっとも有効であろう。鳥にエアープラントを背負わせ、森の上を飛ばせればすべては解決する。ちょっと鳥に同情する向きもあろうが、鳥だって酸素が必要なのである。ゆくゆくは「エアープラントを背負った鳥」という生物を作り出し、繁殖させるのが手っ取り早いだろう。生まれたときから背負っているのだから、そういうものだと思えば同情する人もいなくなるはずだ。
ここで、私たち日本人が古くから使ってきた言葉遣いを思い出してみよう。「カモがネギを背負ってくる」というのがそれである。これは、格好の標的がさらに好都合なものを運んでくるというだけの言葉ではない。「カモにネギ」というのは、人間のあさましい食欲に裏づけられた表現なのではなく、未来の酸性雨現象を見越した、環境保護の隠されたメタファーだったのである。ネギとは、ついにエアープラントを知ることのなかった先人たちの詩的な表現であろう。私たちは、それに気づくのに遅れたことを素直に認めなければならない。
3.石灰の利用
前に、石鹸で中和するという案が出たが、石鹸というのも役不足の感がないでもない。そこで今度は別の物質を利用して、さらに酸性雨の対策を検討してみよう。もっとも有効なのは石灰であろう。
石灰には、水を加えていない「生石灰」と水を加えた「消石灰」の2種類がある。アルカリとして作用するのは後者の消石灰(水酸化カルシウム)で、これと炭酸とは以下のように反応する。
Ca(OH)2 + H2CO3 =CaCO3 + 2H2O
この反応の結果、生じるのは白い炭酸カルシウムと水であり、これにより見事に酸性雨は回避される。芸がなくて申し訳ないが、この消石灰を雨雲にせっせと打ち込めば解決だ。そのあかつきには、どことなく白濁した雨が地球上に注がれるだろう。白い雨を見たら安心すればいい。濡れたって大丈夫。
でも、やはり少し芸が足りなかったかも知れない。ここまできたら石灰をもっと大々的に利用するべきであろう。少なくとも、雨の日に森の上からも粉をばらまくぐらいのことは必須だ。森を守るためなら、外見的に森が真っ白になるなんてことを心配してはならない。そうでなくとも毎年冬になれば、寒い地方の森は真っ白になるではないか。あれが春から秋までも延々続くだけのことなのだ。但しこの場合、森の番人に、樹上の炭酸カルシウム粉を振り払うという重労働が増えることになる。これは今後の森林労働従事者における抜き差しならぬ問題として、クロースアップされてくることは必至である。
さらにダメ押しとして、この石灰を利用して、子供たちにも森林保護の重要性を訴える必要がある。子供とかけて石灰と解く。答えは自ずから出るだろう。
運動会である。森の運動会。
酸性雨の本質的な問題性は、必ずしも木の葉や枝や幹に降り注がれることではない。樹木の立つ土壌を荒廃させてしまうのが最大の問題なのである。従って、上から撒くだけでは不十分であろう。そこに着目し、おもむろに運動会を開催するのである。日本人ならば誰しも目にした経験があるだろう、運動場にスタートラインやトラックや家族席の境界線が白く引かれるのを。運動会には石灰が欠かせないのだ。思いきりバーッと撒くと良い。運動会を行うのに邪魔ならば、いくらか木を切り倒してしまっても一向に差し支えない。「森の運動会」、いかにもいい感じではないか。自然離れの進んだ現代の都会っ子たちに素晴らしきネイチャー・ライフを体験させることもできる。
石鹸・カモネギ・消石灰、この複合技の駆使によって酸性雨はついにとどめを差されることになるだろう。しかも日によっては風呂いらず、子供たちの健康も増進するばかり。こんなにいいことづくめで本当に良いのだろうか。あと残る心配といえば、人類の炭酸飲料の飲み過ぎと、作業員が調子に乗って石灰を打ち込み過ぎてしまい、アルカリ性雨が降ることぐらいである。石灰石の使用についてはセメント産業との調整も必要であろう。しかしそれも酸性雨の恐怖に比べれば、小さなものに過ぎない。
森は、人類は、確実に救われるであろう。
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