前島篤志
ドラえもんはいかなる目的でのび太の家にやってきたのか。この「ドラえもん」最大の謎は、従来、自明のことであるかのように語られてきた(註1)。
作中、ドラえもんは以下のように、自分の意図をのび太に告げる。すなわちのび太の暗愚と惰弱な性格のために、時は未来に流れても、ドラえもんの最初の主人であるのび太の孫セワシの代まで莫大な負債が及んでいる、私はその恥辱に満ちた野比家の歴史を改変するためにやってきたのだ、と。これまでの「ドラえもん」論はこうしたドラえもんの説明を鵜呑みにしてきたのである。
しかし、この説明をそのまま受け取ることはかなり難しい。ドラえもんの使命は、のび太の結婚相手をジャイアンの妹ジャイ子から静香に変えることにあるのだが、のび太の不幸な子孫たるセワシはまたジャイ子の子孫でもあるはずだ。静香と結婚したらセワシはもはや以前のセワシではない。
またドラえもん(とセワシ)は、歴史の経過を変えても結果は変わらないとする「歴史弾力説」で自らのたくらみを正当化するが、結果が変わらないのなら野比家はあいかわらず貧困のなかにとり残されることになる。彼らの奮闘はまさに徒労というほかないのだ。 これらがクリアされたとしても、ドラえもん(というかセワシ)は時間犯罪人の誹りを免れまい。こんなに簡単に歴史が改変されてしまうのだとしたら、かような無分別のガキにタイムマシンを乗せておく未来社会とは何なのか(註2)。
そもそもドラえもんは本当に「歴史」を変えることが出来るのだろうか。仮にも一族の命運を書き替える大事業である。それを子どもと子守ロボットに任せることの是非は別にしても、野比家救済計画自体が尋常の努力では不可能である(註3)。のび太を教育して静香にふさわしい人間にすると一口にいう(註4)。そのためにはあの骨の髄まで腐り切ったのび太の性格の弱さを改め、知恵遅れの鼠アルジャーノンに投与した以上の知能増進薬を投与する必要がある。自己啓発セミナーくらいではとても間に合わない。
ここで問われるのはドラえもんの機械としての性能、性質だといえる。「未来の世界の猫型ロボット どんなもんだいボクドラえもん」とドラえもんは自信満々に歌う。彼の自信は「未来」という一点から発している。しかし未来だから何でも出来るというわけではあるまい。
ドラえもんという機械を正しく捉えるには、未来の時点での評価を考えてみる必要がある。
彼は子守を業務とする家庭用電気製品だ。猫型という点から、ペットとしても使われていたことがうかがえる。しかも工場で耳を齧られるというエピソードから、商品としては傷物であることもわかる。だからこそ未来の貧しい野比家(セワシ談)でも買えたのだろう。つまりはドラえもんはひらがなコンピュータぴゅう太やキティちゃん電子手帳のごとき、教育玩具なのだ。
そこから出発すると、なぜ秘密道具のいくつかがとり返しのつかない危険を招くように見えて、決定的な事態に至らないのかもはっきりしてくるだろう。それは秘密道具がしょせん玩具だからだ。その安全性基準が、一般家電よりも厳しいのも言うまでもない。
さて、教育玩具にも寿命というものがある。子どもも大きくなるし、何より新製品というものが出る。新製品はほとんど常に古いものよりも性能が良く、なおかつ小型化されている。すなわちドラミちゃんである。
皆さんのお宅には古くてボロくてでっかくてツマミの取れかかったラジカセがまだ使われているだろうか。もっとコンパクトなCDラジカセがあるのに?
古くなった家電は捨てられるしかない。しかし、住宅事情の悪化した現代では、大型家電を処分するのに業者にお金を払わなくてはならないという事態も進行している。こうした風潮が未来に及ばないとは限らない。またペットだのおもちゃだのは不要になっても捨ててしまうには忍びないものだ。親戚に幼い子どもがいれば、只であげてしまうというのはかなり頻繁に採用される解決策だとはいえないか。
セワシが使った手もそれだった。彼はドラミという新製品を買ってもらうために、ドラえもんを親戚の(祖父だって親戚には違いない)幼い子ども(のび太は永遠に幼い)にあげたのだ。ドラえもんとは粗大ゴミの物語だったのである。
註1 こうした謎に先駆的に言及した例として、谷啓志「藤子マンダラの現在」があり、本格的な研究として「ドラえもん異説クラブ」及び東山錦一「悪戯なセワシ君」(ともに月刊のび犬第16号)がある。ことに後者では、日本の法律では借金相続の義務がないことからセワシの行動に根本的な疑義を提出している。
註2 ドラえもん(やセワシ)の使うタイムマシンにはシュミレーション・マシン的な性格を合わせ持っているのではないか、という疑いを私は持っている。作品で時折出てくるタイムパラドックスは、実際に起こっていることではなく、タイムパラドックス・シュミレーターではないのか。
註3 「汚れた血統」(月刊のび犬廃刊号)では、野比家改造が行なわれたとすると、のび太の親にまで遡る大事業だったと結論付けている。
註4 前出「藤子マンダラの現在」では、のび太はその無力さゆえに静香を獲得すると結論する。そこではドラえもんの果たす役割はむしろのび太の無力さの強調/助長であるとされる。
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