加藤法之
本年の初頭、情報公開規約に伴って一般に公表された、国連の当時の資料が世間に起こした衝撃は記憶に新しいところである。それは巷間に流布するや、米議会が事実関係の究明と証人喚問に躍起になり、EC諸国でもその完全統一の夢に再び深い亀裂を作るまでに至ってしまった。そして我が日本でも、被害者達の主催したデモが国中を席巻したことは人々の心に焼き付いている。その顛末の如何に凄まじいものであったかについては、今更言葉を尽くすまでもあるまい。
今回の報告は、そんな一連の騒動の中核となったそもそもの発端、すなわち“'67地球防衛軍疑惑”事件のあらましと、その関係者らの証言をまとめることによって、当時起こった宇宙人大襲来の謎を解くべくまとめられたものである。
国連はその公的性格から、組織活動の際に生じたあらゆる記録及び資料について、現在の世界情勢に深刻な影響を及ぼすことが明白なもの以外は、三十年の時を経た後に一般への公開を義務づけられている。
開かれた国連、愛される国連をモットーにしていた国連第三代事務総統デスラーが施行したこの制度を利用する人はしかし、本事件が起こる以前は寧ろ希で、その扱いもあまりよいとは言えなかったようだ。それは、例の“くつろぐメトロンと警備隊隊員”写真を発見したオンブズマンのダッコ・チャン氏のインタビューからも察せられる。氏の言葉からは、この事件の引き鉄となったその写真が、如何に奇妙な発見のされかたをしたかが読み取って貰えるだろう。
「私は半年前、さる国際金融機関からの要請で、宇宙人襲来ブームの再来の可能性を調べていました。まずあの頃の資料を集めることになるわけですが、当時最前線で戦っていたのは地球防衛軍ですから、前回ブーム時の情報が一番豊富にあるのは当然そこなわけです。だから私もオンブズマンになって、いわゆる時効資料を貰いに行っていたんです。ところがあそこの資料室と来たら、780万平方キロもあるのに、腰痛を病んだおばあさん一人で切り盛りしているんですよ。資料室の戸を開けても姿が見えないから、これこれの資料が欲しいんだけどってメガホンで叫ぶと、薄暗い闇の中からロウソク片手に音もなく彼女が近寄ってきて、“ちょっとお待ち、けけけ。”って喋って去ってゆく。で、そのまま二週間は戻って来ない。部屋の前でのテント生活もそろそろ慣れたかなって思う頃に現れるんだけど、持ってきてくれた本にはネクロノミコンなんて書いてある。そんなもんいらないよってんで結局自分で探したんですが、中には案の定遭難者の骸骨とかタイタニック号の半身とか、どうやって持ちこんだんだか判らない位物がたくさんあって、やけに物騒でしたね。
「そんなこんなしてやっとかき集めてきた資料だったんですが、ある日生活笑百科見てから部屋に戻ってみるとなくなってるんですよ。母親に言ったら、“29にもなってあんなもん読むの止めな”って理不尽なことを言う。どうも廃品回収に出してしまったらしいんですね。冗談じゃないってことですぐに業者にかけ合ったんですが、“マニアに高く売るからだめだ”の一点張りで、戻ってきたのは一枚の写真だけでした。」
こうして見つかったのが通称“あぐらメトロン写真”だったのである。
麻薬に近い症状を示す芥子大の粒をタバコに混入する陰謀により人類に敵対したメトロン星人氏と、当時ウルトラ警備隊のエリートとの誉れの高かったD・M氏が御膳をを挟んで談笑している。この写真がチャン氏からマスコミの手に渡り、白日の下にさらけ出されたときから、本当の騒動が始まったと言えるだろう。
「私は何も後ろめたいことはしてませんよ。確かに出されたほうじ茶はいただきましたが、私がその後すぐにメトロンと戦ったことは周知の事実です。」
(注.プライバシー保護のためフォントは変えてあります。)
D・M氏の抗弁にも関わらず、沸き起こった反響と疑問の嵐は、留まることを知らなかった。この場合もし本当に氏が潔白だったとすればそうした事態は気の毒なことだが、乗り込んだ敵地で呈茶を受ける神経を疑われたとしても無理はないのではあるまいか。
こうして起こった世論の勢いは止まず、真相を突き止めるための第二十五次川口探検隊を資料室に送り込むほどであったのは良く知られるところ。(管理の老婆もすっかり時の人になり、今やブロードウェイミュージカルに出演を果たすまでになっている。)
そしてこの探検の成果により、腕時計をはめた未開人の発見以外にも、衝撃の事実が発覚した。それが今回の騒動の中核である宇宙人に向けた情報提供疑惑、俗に言う地球防衛軍闇宣伝事件である。
'67〜'72当時、地球は未曾有の宇宙人侵略ブームが起こっていた。かの地である宇宙人が来たかと思えば、それが収まってすぐにこの地に他の宇宙人の攻撃が行われるという具合に、異常なまでの頻度で地球は狙われ続けていた。後のガミラスや白色彗星が一年の猶予を置いて来たことを鑑みれば、ほぼ毎週とも言えるその来襲頻度が、如何に高かったかが判る。
それは僅か一年足らずの間に四十以上もの宇宙人達が攻めてきた'67に端を発し、最盛期にはほぼ毎日、酷いときになるとチャンネルを変えても侵略という程の事態にまで陥っていたのである。
こんなに毎回攻撃されて、困るのは一般庶民であることは言うまでもない。当時のニュースフィルムのインタビューから引用する。
「すっごいやんなっちゃうってゆうか? 引っ越した先々で攻撃されちゃう、みたいな。」
「俺んとこみちゃ新築だったのに潰されてまうでかんわ。」
「空を見上げるのが日課になったでごわす。」
実際、罹災者である彼らの言葉には真実味がある。東京などでは先週潰されてやっと建て直した家を今週になってまた破壊されたなどという人もいて、東京タワーなどは実に三十八回も建て直したと言われている。気象庁は気象衛星みまわりからの映像を元にその日の侵略確率(テキダス)を出していたほどだ。
当時人々は思ったものだ。何故こんなに毎日毎日攻めてくるのか。こんな銀河の外れの星に、一体何の用があるというのか。
唐突ではあるが、筆者はここでこの疑問を読者に示すために、今一つの情報を提示しておく必要性を感じる。よって、筆を暫くそちらに転じることをお許しいただきたい。
'60年代の初頭、NASAが宇宙に向けて送り出したパルス波があった。
それは、例えば月との距離を測るといった様な、我々にとって有用な目的を持った実験というわけではなかった。とはいえそれは、そういう短期的な利益をもたらしこそしないが、より遠大な夢とロマンを持って実行されたものだった。
そのパルス波は、宇宙の知的生命体に向けて送られた手紙だったのである。
それは、より多くの星に届く可能性があることから銀河の中心方向に向けられた。そして、クウェーサーなどの規則的な信号もあることから、人為的なものであることをはっきりさせるため、1,2,3,5,7という素数を送り出した後に、あらためて二進数化(由緒正しいENUコードと思われる)した言葉を打ち出したのだ。
それは、我々が地球という星で進化した生命体であることを宇宙にアピールするために行われた。それは、人類という存在がいることを外の世界に知って貰うためのメッセージだったのである。
1 2 3 5 7 銀河の秘境 常青の星 地球よいとこ ハオ
それは、我々がこの大きな大宇宙の中で独りぼっちの存在ではないことを確かめたいが為の、何処にいるかも判らない相手に向けて送られた、気長で少しセンチメンタルな、微笑ましい計画...............の筈だった。
「最初のお客さんは、X星人さんどしたかねぇ。サングラスとかかけはって、いかにも観光で来たって感じどしたわなぁ。」
富士の裾野にある地下堂の女将は語る。ここはミステリアン氏、金星人氏も泊まった五つ星のホテルである。
「初めのうち、お忍びでお泊まりになられて怪獣島観光とかしてみえたんどすが、朝の目覚まし時計の音が耳障りだと突然のたうち回って怒りはって、キングギドラとか放し飼いにしはるんですよ。“困ります、うちはペットお断りしてるんどすけど”いうてもまるで聞いてくれまへんどしたわ。おかげで関東一円破壊されてもうて、うちとこも大損害どしたえ。」
当時の様子を怒りを交えて語る彼女の言葉は、ある苦笑いする事実を結論として演繹させる。
メッセージ計画からいくらも経たないうちに襲来したX星人。その因果関係を思うとき、彼らはそれを、どうも観光案内だと思ってしまったようなのだ。
NASAのメッセージは、あっさりと届いてしまったのである。
では何故キングギドラの放牧という不幸な事態になってしまったのだろうか。
「“秘境”が拙かったのではないか。」
この道の専門家である青果業の立花藤兵衛氏は、これについてそう分析する。
確かに、この単語には未開のイメージがつきまとう。そこには人跡未踏のジャングル、危険な野獣や毒虫、野蛮な原住民といった連想も続きそうだ。どうも実際の所、これが我々人類に対する宇宙人達のイメージを決定してしまったふしがある。
すなわち、野蛮な生き物は何をするか判らない。ならば旅行に行く時は、多少荒っぽくても自分の身を守る為に自分達が武器を携帯するのはやむを得ないというような。
我々の常識ではそれは、例えば懐剣とか、大げさでもライフルとかに留まるだろうが、宇宙の常識ではそれは、50mを越える怪獣の持参だったのである。
というわけで、こうしたことが端緒となって、半分怖い物見たさを交えての宇宙人の地球観光が始まったのだが、これだけでは前述した疑問の一部にしか答えていない。そもそも、このメッセージだけであのような侵略ブームにまでなるとは考えにくい。
そこにはやはり、仕掛人がいた。
地球防衛軍を頂点とした利権集団がそれである。
地球防衛軍元長官の証人喚問、富士山麓の警察による一斉捜査、スペル星人ビデオ未放送の顛末におけるTBSの謝罪など、周知のように、世界で沸き起こった弾劾の嵐は、それら組織のことごとくを暴き出した。それを事細かに記すことはもう新鮮味を持つまい。その代わりに、筆者は当時その疑惑の渦中にあって事件の一翼を担っていた人物達に話を聞くことで、本質を浮き彫りにしたい。
昨年の緊急国会で弾劾にあった地球防衛軍極東方面軍の元情報将校の部下だった人である金城哲夫(仮名)はこう話す。
「そりゃぁ馬鹿なことだとは判っていますよ。ですけど、うち(筆者注 地球防衛軍のこと)が一回正規に出動するだけで、国連での評価が大きく上がるんですよね。」(プライバシー保護のためフォントは変えてあります。)
'65年度の国連の地球防衛軍への予算は285万円(推定)であるが、この年のX星人撃退後の'66年度同軍予算は332万円(推定)に跳ね上がっている。
一年で実に16.5%の増加。一回の出番でこの増加率は目を見張るものがある。同戦闘で被災地に与えた被害の大きさを考えればこの待遇も止むなしとはいえ、これが関係者達の心を不道徳な方向に動かしたことは疑いもない。戦闘を直接行う防衛軍や兵器産業は勿論、被災地の復興業者から特撮映画関係者まで、宇宙人来訪が金を落としてゆく業界は数多い。彼らの全てとは言わないが、彼らの多くはそうした波に飲まれていったのだ。
娯楽の殿堂。破壊の衝動。東京の街。
侵略するなら東京へ
デストロイ ジャパン
これは前記の情報将校の自宅から押収された資料の一部である。本資料は、'60年代後半に広く銀河に散蒔かれたもののとして確認済みの物である。
「キャンペーン張ったんですよ。地球に来るように。だけど、NASAのメッセージじゃあ、ブースカなんてものも来てしまう。友好的な宇宙人が来たんじゃ駄目なんですよね。我々は戦わなくちゃならないんですから。だからキャンペーン張ってやろうって方向に、だんだんエスカレートしてね。」
このキャンペーンは成功したことは、結果から察せられよう。
「うまく(宇宙人達が)来ましたよね。我々は彼らを最初もてなすんですよ。“ほらこの星綺麗でしょ、原住民の巣があるところはちょっと見栄え悪いですけど、絨毯爆撃できれいさっぱり陽当たり良好になりますよ。”とかいってね。で、その気にさせたところで不意打ちにする。」
証人喚問で20秒に一回しか動かなかった(現在では静止画といわれている)ことで有名な、建設業の佐々木守(仮名)は言う。
「全盛期はそれは凄いものでしたよ。毎週毎週攻めてくる、その宇宙人さん達がみんな東京を壊して行くんですから。我々は大繁盛でしたよ。
「せっかく作った建物が壊されるのに、憤りを感じませんでしたかですって。そういうように作るんですよ。中味がない、箱だけみたいな建物をね。東京タワーなんかは組立式にしてね。あそこはそれでも東京破壊観光のメッカだったから、何回も壊されるから部品がなくなってきましてね、最後には70m位になってましたよ。都の人が流石に怒ってきましたけど、“緊張して竦んでるんでしょう”なんて、滅茶苦茶言ってましたね。」
観光業界の市川森一(仮名)は言う。
「私らも負けじと売りましたよ。侵略饅頭、破壊煎餅、占領ペナント、撃滅木刀なんてね。玉砕ラッパなんてのも結構売れましたよ。」
「調子に乗って、TVCMも打ったんですよ。爆撃の映像見せて、“今の君は ピカピカに光って”ってやったら、それ以降光る円盤で来る宇宙人さん達が増えましたよ。」コピーライター関沢新一(仮名)は自慢げに語る。
一度は壊されたであろうあなたの家も、こうした宣伝がその30年ローンの運命を左右していたのだ。
こうして、侵略銀座とまで謳われた地球の災禍は最高潮に達したのである。
広報活動に専念していたという日本支部の元広報部、上原正三(仮名)は言う。
「もうあちこち出張に飛び回ってましたよ。B29星雲からB747星雲まで日帰りなんてこともざらでしたよね。でもそれが幸い、TDF(筆者注.地球防衛軍のこと)では日本支部が一番攻撃されましたねぇ。」
日本支部長付きの秘書、香山滋(仮名)はその来客対応について話す。
「バルタン星人さんなんてお得意も付きましてね、一度は数十億の団体さんで来たもんですから、対応にスペシウム光線のサービス付けたりね。でも危ない経営だったことは確かで、ゼットン星人さんの時はうっかりホントに侵略されそうになりましたもんね。もう冷や汗ものでしたよ。」
毎日のように浮かれ飛んでやってくる円盤に、職場は地獄のようであったという。だがその位は当然だろう。そのとばっちりを受けた地上では、本当に地獄のような攻撃に晒され続けたのだから。こども達は毎日毎日自宅に非難しては、現場からの実況中継を食い入るように見つめていたものだ。
明日は我が身かと、期待...に胸を膨らませながら...。
総被害額が国家予算45億年分にあたるといわれる宇宙人襲来ブームはしかし、突然終わる。情報将校の元部下金城哲夫(仮名)は言う。
「驚くべきことですよ。あれほど猫も杓子もだった地球来訪がばったりと止んでしまったんですから。我々も東京タワー無料破壊とか三段逆スライドミサイルとかサービスの強化に努めたんですが、もう駄目でしたね。」
襲来は瞬く間に減り続け、往時には飛ぶ円盤をも落とす勢いだった地球防衛軍の勢力も、比例するように縮小された。
人々の生活も、憑き物が落ちたように普通の生活に戻った。そしてこども達も、成長していった。
嵐の宴の夢の後、現在の地球には、時代遅れのお目めパッチリの宇宙人が来ているくらいで、往時の凄惨さは見る影もない。地球防衛軍はサイレントサービスを残すのみとなり、富士山麓では別のことで話題を作り、特撮業者はゴジラvsデストロイアなんて物を作るまでに衰退してしまった。
ブームだったとはいえ、どうしてこれほど極端に閑古鳥が鳴くようになってしまったのだろう。
筆者にはその答えが薄々解明できている。今はまだその確たる証拠はないものの、その答えが正しいことは近いうちに天文学者が証明してくれるだろう。
宇宙のバブル構造は、既にはじけていたのである。
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